第22話 「交流電流」
前章「メールの男」
男が来たのは、夜だった。
三十代。細身だった。眼鏡をかけていた。鞄を肩にかけていた。引き戸を開けて、店内を見渡した。骨董を一通り見た。それからカウンターの湊を見た。少し迷う顔をした。
湊がカウンターから男を見た。
「九条さんですか」
「そうだ」
男が入ってきた。椅子に座った。鞄から封筒を出した。印刷された紙が入っていた。
「変なことを聞くと思われるかもしれないんですが」男が言った。「先月、匿名のメールが届きまして」
美晴が出てきた。茶を出した。男は一口飲んだ。封筒をテーブルに置いた。
「内容が——普通じゃなかったんです。ニコラ・テスラを研究している人間にしかわからない内容で。テスラの未発表のアイデアが書いてあった。それと、今後こういう方向で研究を進めろという指針が」
「誰が送ったかわかるか」
「わかりません。ただ——テスラを本当に知っている人間にしか書けない内容でした。私はテスラの研究を二十年やっています。それでも知らないことが書いてあった」
男が封筒の隣に、布の包みを置いた。
「これも持ってきました。テスラが枕元に置いていたアイデアノートの複製です。研究仲間から譲り受けたものです。メールが届いてから、このノートが�妙に気になって。関係があるのかと思って」
湊が包みを見た。
「触っていいか」
男が頷いた。
中章「自慢したい男」
湊がノートに触れた。
来た。
怨みがなかった。嘆きもなかった。
来たのは——勢いだった。
大きな、止まらない勢いだった。言いたいことが山ほどある、という勢いだった。湊が少し引いた。
声が来た。
男の声だった。早口だった。英語と、別の言語が混じっていた。湊には言語ではなく意志として届いた。
評価されている、と声は言った。今の時代に、正当に評価されている。自分が正しかった。交流電流が世界を動かしている。自分の名前を会社につけた男がいる。宇宙に行こうとしている。電気で車を走らせている。自分が夢見たことを、現代の人間がやっている。
それが言いたくて仕方がない、と声は言った。
湊がノートから手を離した。
呆れた顔をした。
リリが奥から出てきた。
「何か来た?」
「来た」湊が言った。「自慢したいだけだ」
リリが目を輝かせた。
「誰が」
「テスラだ」
リリが声を上げそうになった。美晴がリリを目で制した。
男が湊を見た。
「テスラが——来ているんですか」
「来ている。あんたのノートに引き寄せられた。メールも——おそらくこいつだ」
男が動かなかった。しばらく動かなかった。
「何を、言っていますか」
「自慢している」湊が言った。「今の評価が正しいと。自分が正しかったと。それを誰かに言いたくて仕方がないと言っている」
男が目を伏せた。それから小さく笑った。
「——テスラらしい」
湊がノートに触れた。
声が続いた。自分の名前を会社につけた男に言いたい、と声は言った。あの男に直接言いたい、と。
湊がノートから手を離した。
「自分の名前を使っている会社の男に言いたいそうだ」
男が頷いた。知っている顔をした。
「それは——難しい」湊が言った。
声が来た。不満だ、と言っていた。
「難しいものは難しい」湊が言った。声に向かって言った。「霊が直接会いに行ける相手じゃない」
声がまた来た。ではどうしろと言っていた。
「知らん」
リリが笑いを堪えていた。美晴が困った顔をしていた。
後章「指針」
しばらく、テスラの声が続いた。
湊は受け取った。呆れながら受け取った。言いたいことを全部言わせた。交流電流のこと。共鳴のこと。無線送電のこと。当時誰も信じなかったこと。今それが形になっていること。全部、受け取った。
声が落ち着いてきた。
それから、別の声が来た。
先ほどとは違った。静かだった。短かった。
湊がノートから手を離した。男を見た。
「指針を伝える。聞けるか」
男が背筋を正した。
「聞きます」
湊が口を開いた。テスラの声を、そのまま渡した。研究の方向のことだった。今の技術と、テスラが諦めた技術の間にある隙間のことだった。そこを埋めろということだった。男にしかわからない言葉が続いた。湊には意味がわからなかった。ただ渡した。
男の顔が変わっていった。
聞くほどに、顔が変わっていった。
湊が話し終えた。
「——これは」男が言った。声が震えていた。「メールに書いてあった内容と、同じです。続きが、ここにある」
湊は何も言わなかった。
男がテーブルの上のノートを見た。長く見た。
「テスラが——私に、これを伝えたかったんですか」
「自慢もしたかったんだろう」湊が言った。
男が小さく笑った。今度は声に出して笑った。
「そうか。テスラらしい」もう一度言った。「自慢しながら、仕事もする」
男がノートを包み直した。封筒も鞄にしまった。立った。
引き戸に向かった。途中で一度だけ振り返った。
「テスラに——ありがとうと伝えてもらえますか。評価されているのは、あなたが正しかったからだと」
湊がノートに手を置いた。
声が来た。
知っている、と言っていた。
「知っているそうだ」
男がまた笑った。引き戸が閉まった。
リリが息を吐いた。
「楽しかった」
誰も答えなかった。
源じいが奥で何か言った。聞き取れなかった。
湊がカウンターに戻った。安酒のコップを取った。一口含んだ。
飲んだ。
棚の上の守り鏡は、光らなかった。今夜はテスラには関係がなかった。




