第2話:幻惑の残響 ―裏側に秘めた未完成―
### 1.
古美術「九条」の店内に、接触不良のギターノイズが不規則に響いていた。
九条湊は、カウンターでジャックの端子をいじりながら、琥珀色の液体を洗面台に吐き出した。
「……ガラガラ、ペッ」
壁にもたれたリリが、うんざりした顔で両耳を塞ぐ。
「湊、そのノイズ、どうにかしてよ。あの子の耳に届いたらどうするの」
湊は答えず、煙草を咥えたまま端子を捻った。ノイズが一瞬止まり、またぶり返す。
店の引き戸が開き、湿った外気と共に源じいが入ってきた。その一歩後ろに、使い古された楽器ケースを両手で抱えた男が続く。業界の垢を全身に染み込ませたような、元マネージャー風の中年だった。
### 2.
男がカウンターに置いたのは、極彩色にペイントされたギターケースだった。留め金を外すと、中から異様な熱気が漏れ出す。
リリがケースを覗き込み、低く呟いた。
「……怒ってるんじゃないわ。何かを隠そうとしてる」
「持ち主が逝って二十年になります」男は震える声で続けた。「このギターを弾こうとすると、指が動かなくなる。深夜になると、誰もいない部屋でハウリングが起きて……『まだだ、まだ終わっていない』という声が」
湊はギターを一瞥し、源じいに視線を向けた。源じいが無言で封筒をカウンターに置く。
「案内料は骨上げの代金も込みだ」
湊は封筒をポケットにねじ込み、ケースの留め金を閉めた。
「行くぜ、リリ」
### 3.
取り壊し寸前の古いレコーディングスタジオに、ハンターカブの排気音が響き渡った。
湊がドアを蹴破ると、内部はサイケデリックな残光に満ちていた。機材が散乱し、コンソールの液晶が明滅している。
ピンク色の髪をなびかせた男が、スタジオの中心で機材を手当たり次第に叩き壊していた。何かを探して、狂ったように。
湊はカブのエンジンを吹かし、男の視線を引きつけた。
「……あんた、二十年も同じ場所をうろついてるのか。疲れないのか」
迷霊が振り向く。その目には怒りではなく、焦燥があった。
「案内してやる。あんたが隠した『答え』の場所までな」
カブがスタジオを爆走し、迷霊を引き連れてステージへと突っ込んだ。
### 4.
湊はカブを急停車させ、荷台からギターケースを引き下ろした。
迷霊が喉を鳴らして距離を詰める。湊はひるまず、ギターを裏返し、バックプレートを強引に剥ぎ取った。
そこに、テープで厳重に貼り付けられた一枚のMDがあった。
迷霊の動きが止まった。
湊はMDをポケットに入れ、男の目を見た。何も言わなかった。
男はゆっくりと、ギターを弾く所作を一度だけ見せた。加工も装飾もない、素のフォームだった。極彩色の霧が光の粒子へと変わり、スタジオの闇に溶けていった。
### 5.
翌日、湊は依頼人にMDとギターを返した。
「これがあいつの、最後の案内状だ」
九条に戻ると、リリがいつもの調子で毒を吐いた。
「あんな騒がしい人の音、世に出しちゃって良かったの?」
湊は答えず、廊下の奥へ向かった。
重厚な鍵を開け、部屋に入る。緩やかな電子音が一定のリズムを刻んでいた。
今日のその音は、あのギタリストが遺したはずのメロディと、静かに共鳴しているように聞こえた。
緑の光が、少女の穏やかな寝顔を照らしている。
湊は何も言わず、ただその光をじっと見つめた。
扉に鍵をかける音が響き、古美術「九条」には、またいつもの気だるいジャズだけが流れ始めた。




