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好きがわからない

 探偵は事務所のソファで寝転がって、古い雑誌をめくっていた。

 読んでいるのか、ただページをめくっているだけなのか分からない。


「お客さん」


「ん」


 探偵は起き上がり、ソファに座り直した。


 二十代半ばくらいの女性が、少し緊張した顔で座っていた。


「私……彼氏がいるんですけど」


「うん」


「ドキドキしないんです」


 探偵は「そうか」とだけ言った。


「優しいし」

「一緒にいて楽だし」

「嫌いじゃないんですけど」


「ドキドキしなくて」


「これって、好きじゃないんですかね」


 少し間が落ちる。


 探偵は聞いた。


「ドキドキしないと、好きじゃないのか」


「……分からないです」


「誰も教えてくれないから」


 探偵は少しだけ笑った。


「まあな」


「恋愛のことは、誰も教えてくれない」


 女性は黙っている。


「みんなな」

「ドキドキするのが恋だと思ってる」


「漫画も、ドラマも、そうだからな」


「でも」


 探偵はコーヒーを飲む。


「ドキドキなんて、ずっとは続かないぞ」


 女性は顔を上げる。


「え?」


「知らない相手だから、ドキドキするんだ」

「慣れたら、ドキドキなんてしない」


「でも」


 少し間を置く。


「ドキドキはしないけど」

「一緒にいるやつはいる」


「ドキドキはしないけど」

「別れないやつもいる」


「ドキドキはしないけど」

「最後まで一緒にいるやつもいる」


 女性は黙る。


 探偵は続ける。


「ドキドキは、恋だ」

「落ち着くのは、愛だ」


「どっちが上とか、下とかじゃない」


「ただ、違うだけだ」


 女性の目が少し揺れた。


「……じゃあ」

「ドキドキしないのは、ダメじゃないんですか」


 探偵は首を振る。


「ダメかどうかは」


 少し間を置く。


「あんたが決めろ」


 女性は少し笑った。


「……難しいですね」


「そうだな」


 女性は立ち上がる。


「ありがとうございました」


「どういたしまして」


 扉が閉まる。


 相棒が言う。


「恋って、独りよがりってこと?」


 探偵は少し考える。


「まあ、そういうところはあるな」


「好きだって言ってるやつも」

「会いたいって言ってるやつも」

「嫉妬してるやつも」


「だいたい、自分の気持ちの話だ」


 探偵はコーヒーを一口飲んだ。


「でも、それが悪いわけじゃない」


「始まりは、だいたいそこだ」


「じゃあ愛は?」


 探偵は少し考える。


「相手がどうしたいか、考え始めたら」


 コーヒーを飲む。


「たぶん、そっちだな」


 相棒は少し黙ってから言う。


「……じゃあさ」


「ドキドキしないけど、一緒にいる人って」


「それでもいいのかな」


 探偵はカップを机に置いた。


「さあな」


 少し間。


「でも」


「ドキドキして、別れるやつも多いぞ」


 相棒は少し笑う。


「それは、そうかも」


 探偵はソファにもたれた。


 窓の外で車の音がした。


「まあ」


「一緒にいて、嫌じゃないなら」


 少し間。


「それでいいんじゃないか」

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