不満がない人生って、ないのかな
探偵は事務所の椅子を後ろに傾けて、ぐらぐら揺れていた。
「落ちるよ」
「落ちない」
「お客さん」
探偵はそのままの姿勢で振り向いた。
「ああ」
四十代くらいの男性が座っていた。
少し疲れた顔をしている。
男は言った。
「今の生活に、大きな不満があるわけじゃないんです」
「でも、なんか……」
「これでいいのかなって思ってしまって」
探偵は椅子を戻し、座り直した。
「結婚してるのか」
「はい」
「子供は」
「います」
「仕事は」
「あります」
「じゃあ、だいたい揃ってるな」
男は苦笑する。
「そうなんです」
「だから、贅沢だって分かってるんですけど」
「でも」
「独身の友達見てると、自由そうでいいなって思ったり」
「一人の時間が欲しいなって思ったり」
「でも一人になったら、寂しいんだろうなとも思うんです」
探偵は少し笑った。
「人間はな、ないものねだりなんだよ」
男は黙る。
「結婚してるやつは、自由が欲しいって言う」
「独身は、寂しいって言う」
「仕事してるやつは、辞めたいって言う」
「仕事してないやつは、不安だって言う」
「一人は寂しいって言う」
「結婚してるやつは、一人になりたいって言う」
男は小さく笑った。
「……確かに」
探偵は続ける。
「つまりな」
「どこに行っても、不満はゼロにはならない」
「え?」
「選ばなかった方の人生が、良く見えるだけだ」
男は黙る。
「だから」
少し間を置く。
「どっちが正解か、じゃない」
「どっちの不満なら、我慢できるかだ」
男はしばらく黙っていたが、やがて笑った。
「……なんか、すごく現実的ですね」
「現実だからな」
男は立ち上がる。
「ありがとうございました」
「どういたしまして」
扉が閉まる。
相棒が言う。
「不満がない人生って、ないのかな」
探偵は少し考える。
「ないだろうな」
「じゃあどうすればいいの」
探偵はコーヒーを飲む。
「俺なら、あるものを大切にするかな」
「え?」
「ないもの数えても、仕方ないだろ」
「あるものの方、見た方が楽だ」
相棒は少し黙る。
「……なんか、それだけ聞くと、できそうな気がするね」
「そうか」
探偵はカップを机に置いた。
「人間、ないものばっかり見てると」
「ずっと不満だ」
「でも、あるもの見てるやつは」
「わりと機嫌よく生きてるぞ」




