結婚した方が幸せですよね?
机の上に、ティッシュの山ができていた。
鼻をかみすぎて、頭がぼんやりする。
春は嫌いだ。
花粉で頭は回らないし、目は痒いし、仕事にならない。
また一枚ティッシュを引っ張って、鼻をかむ。
そのとき、ドアが開いた。
「すみません」
入ってきたのは、三十代くらいの女性だった。
きちんとした服装で、真面目そうな人だった。
「どうぞ」
椅子を勧めると、女性は少し緊張した様子で座った。
机の上のティッシュの山を見て、少しだけ驚いた顔をしている。
「……大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃない」
女性が少し笑う。
「今日は、どうしました」
女性は少し迷ってから言った。
「結婚した方が、幸せですよね?」
思わず、手が止まった。
「……結婚ねぇ」
そう呟いて、隣を見る。
相棒は事務机で書類をめくっていた。
こっちを見もしない。
「何」
「別に」
相棒は興味なさそうにページをめくる。
女性が少し笑った。
「参考にならなそうですね」
「まあな」
「それで」
俺はティッシュを丸めながら言った。
「何で結婚したいんだ」
「え……」
「幸せになりたいから、じゃないのか」
女性は少しうつむいた。
「友達が、みんな結婚していくんです」
「子供も生まれて、家を買って」
「幸せそうか」
「……幸せそうです」
「幸せそうに見えてるだけってこともある」
「え?」
「実際は大変だ」
「生活、金、家事、親、子供」
「問題山積みだ」
女性は少し笑った。
「夢がないですね」
「現実だ」
「でも、みんな普通にやってます」
「普通にやってるように見せるのが、大人だからな」
女性は少し黙った。
「でも、一人は寂しいです」
「寂しいから結婚するのか」
「……ダメですか?」
「別にダメじゃない」
少し考えてから言う。
「結婚はゴールじゃないぞ」
「え?」
「スタートだ」
女性は少し驚いた顔をした。
「恋愛はイベントだ」
「結婚は生活」
「生活……」
「毎日だぞ」
「嫌でも顔合わせるし、逃げ場もない」
「……」
「いいこともあるけどな」
「一人よりは、楽なことも多い」
そこで、また隣を見る。
相棒は電卓を叩いていた。
「結婚して、幸せですか?」
女性が聞いた。
少し考える。
「……どうだろうな」
相棒が顔を上げる。
少しだけ睨まれた。
「余計なこと言うなよ」
「言ってねぇよ」
女性がくすっと笑う。
「結婚した方が幸せかどうかは、知らん」
「はい」
「やってみれば分かる」
「そんなものですか」
「そんなもんだ」
女性は少し考える。
「……怖いです」
「失敗したらどうしようって」
「失敗って何だ」
「離婚、とか……」
「別にいいだろ」
「合わなきゃ別れりゃいい」
「そんな簡単に言いますけど……」
「簡単じゃないけどな」
「死ぬわけじゃない」
女性は黙る。
「とりあえず結婚してみる、ってのも一つの手だ」
「そんな理由で結婚していいんですか?」
「いいだろ別に」
「もっとこう……好きな人と、とか……」
「好きでも別れるやつは別れる」
「好きじゃなくても続くやつは続く」
女性は少し笑った。
「めちゃくちゃですね」
「人生なんてそんなもんだ」
少しだけ間を置いて言う。
「結婚したいのか」
「普通になりたいのか」
「そこだけ間違えるな」
女性は、はっとした顔をした。
しばらく黙って、それから小さく言った。
「……私、本当は」
「結婚したいんじゃなくて」
「一人でいるのが、不安なだけかもしれません」
「そういうやつ、多いぞ」
女性は小さく笑った。
「もう少し、自分がどうしたいか考えてみます」
「そうしろ」
女性は立ち上がって、頭を下げた。
「ありがとうございました」
「礼はいらん」
女性は少し笑った。
「証拠、いりませんでした」
「ここはそういう場所だ」
女性は、来たときより少しだけ軽い顔で事務所を出ていった。
ドアが閉まる。
静かになった事務所で、俺はティッシュをもう一枚取った。
「結婚ねぇ」
そう言うと、相棒が言った。
「何」
「結婚してよかったか」
「今さら?」
「どうなんだ」
相棒は少し考えてから言った。
「まあ、悪くはないんじゃない」
「その程度か」
「そっちは?」
少し考える。
「……まあ、悪くはない」
相棒が少しだけ笑った。
結婚した方が幸せかどうかは知らない。
ただ、
一人で背負うより、
二人で背負った方が楽なこともある。
それくらいは、分かる。
証拠はないけどな。




