私、何者なんですか?
事務所の真ん中で、Y字バランスをしていた。
「何やってんの」
相棒がドアのところで言った。
「体幹トレーニング」
「仕事しなさいよ」
「してる」
「どこが」
「人生の」
「バカじゃないの」
そこでドアがノックされた。
コンコン。
「……どうぞ」
俺はY字バランスのまま言った。
入ってきた相談者は、ドアのところで固まった。
「あの……」
「気にしないでください」
相棒が言う。
「いつもこうなんで」
「いつもじゃない」
足を下ろして、椅子に座る。
「それで」
相談者は、二十代後半くらいの男だった。
スーツは着ているけど、少し疲れた顔をしていた。
少し迷ってから言う。
「自分が何者か、分からないんです」
「俺だって分からん」
「え?」
相談者は驚いた顔をした。
「この前な、AIに言われた」
「AI?」
「お前、ずっと尊厳の話してるって」
「尊厳……?」
「そんなつもりなかったんだけどな」
相談者は少し黙る。
「自分では、分からないもんですか」
「分からん」
「でも、みんな何かあるじゃないですか」
「やりたいこととか、向いてることとか」
「あるように見えるだけだ」
「……」
「仕事は?」
「営業です」
「食えてるのか」
「はい、一応」
「じゃあ今は営業だろ」
「そういうことじゃなくて……」
「そういうことだ」
相談者は黙る。
少ししてから言う。
「子供の頃から、特に夢もなくて」
「大学出て、就職して」
「気づいたらこの年齢で」
「うん」
「自分には何もないなって」
少しだけ考えてから言う。
「同じこと、繰り返してないか」
「え?」
「昔から同じことで悩んでないか」
相談者は少し考える。
「……ああ」
「昔から同じことで怒られてないか」
「……怒られてます」
「昔から同じことで褒められてないか」
相談者は黙る。
しばらくして、小さく言う。
「……人の話を聞くのは、うまいって言われます」
「俺は多分、それより」
「はい」
「人の気持ちばっか考えてる」
「気持ち……?」
「こいつは、何でこんなこと言うのか」
「何で怒ってるのか」
「本当はどうしたいのか」
「……」
「気づいたら、そういうことばっか考えてる」
少しだけ間を置く。
「多分、それが俺だ」
相談者は黙っている。
「あんたは?」
長い沈黙。
やがて、相談者は言った。
「……人が何を考えてるか、気になることは多いです」
「営業向いてるじゃないか」
「でも、やりたい仕事じゃないです」
「やってみたい仕事は」
「特にないです」
「じゃあ営業でいいだろ」
「それでいいんですか」
「食えてるなら、立派なもんだ」
相談者は少し笑った。
「私、何者なんでしょうね」
「さあな」
「え」
「ただ」
少し考えて言う。
「人はな」
相談者は顔を上げる。
「何をしてるかじゃなくて」
「何を考えてる時間が一番長いかで、だいたい決まる」
「何を考えてるか……」
「気づいたら、同じことばっか考えてる」
「それが多分、その人だ」
相談者は、しばらく黙っていた。
それから、ゆっくり頭を下げた。
「ありがとうございました」
「礼はいらん」
相談者はドアの前で少し止まってから言った。
「……自分が何者かは、まだ分かりません」
「分からなくていい」
「え?」
「死ぬまで途中だ」
相談者は、少しだけ笑った。
ドアが閉まる。
静かになった事務所で、相棒が言った。
「で、あなたは何者なの」
「さあな」
「この前AIに言われたんでしょ」
「何て言われたと思う」
「さあ」
「尊厳の話ばっかしてる人、だってよ」
相棒が少し笑った。
「じゃあ、それじゃないの」
「かもな」
証拠はない。
でも、まあ。
気づいたら、そうしてる。
多分、それが俺だ。




