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自分の気持ちがわからない

朝。


事務所の隅で、俺はヨガマットの上に立っていた。


片足をもう一方の太ももに乗せる。


両手を胸の前で合わせる。


きこりのポーズ。


バランス。


呼吸。


静止。


ソファから相棒が言う。


「何やってんの?」


「ヨガ」


目を閉じたまま答える。


「体は動かさないと鈍る」


「探偵に必要?」


「人間に必要だ」


そのとき、事務所のドアが開いた。


遠慮がちな音。


俺は片足のまま言う。


「相談か?」


若い女が立っていた。


「……はい」


「何だ」


女は少し迷ってから言う。


「自分の気持ちがわからないんです」


相棒が眉を上げる。


「どういう意味?」


女は言う。


「人の意見に合わせちゃうんです」


「友達が行きたい店」


「恋人が見たい映画」


「上司の考え」


少し笑う。


「全部、合わせられるんです」


「でも」


女は少し俯く。


「気づいたら」


「自分が何したいのか」


「分からなくて」


俺は目を開ける。


足を下ろす。


「怒られる家だった?」


女が固まる。


「え……」


「意見言うと」


「機嫌悪くなるやつ」


女は少し黙る。


それから小さく言う。


「……はい」


相棒が腕を組む。


「なるほど」


俺は肩をすくめる。


「それは性格じゃない」


「生存術だ」


女が顔を上げる。


「生存術?」


「子供は」


「安全な行動を覚える」


「怒られない」


「嫌われない」


「それが正解になる」


相棒が言う。


「便利な能力ね」


俺が頷く。


「だから今も使ってる」


女は小さく言う。


「じゃあ」


「どうしたら」


俺は答える。


「小さいことで試す」


女が首を傾ける。


「例えば?」


「昼飯」


「自分で決めろ」


相棒が笑う。


「スケール小さい」


俺は肩をすくめる。


「人間は」


「小さいことからしか変わらない」


女は少し考える。


それから言う。


「……今日」


「自分で店決めます」


俺は頷く。


「それでいい」


女が帰る。


ドアが閉まる。


俺はまたヨガマットに立つ。


きこりのポーズ。


相棒が言う。


「あなたは?」


「何が」


「自分の気持ち」


俺は答える。


「腹が減ってる」


相棒は笑った。


事務所の朝は、いつも通りだった。


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