11 立ちあがろう
私の目から涙が溢れた。私がおかしくなったのは他の誰でもない私が原因だった。
その事実を目の当たりにして、そして、それが分かったところで、どうしようもないことに私は打ちひしがれていた。
泣いたところで何も事態は好転しないことは分かっている。けれど、涙は止まらなかった。
不意に私は温かくふわふわしたものに包まれていた。
目を開けると、私の視界は真っ白になっていた。いや、違う。ジョンが私に寄り添ってくれた。
私はジョンの体に手を回して、彼を抱きしめた。ジョンの体温が私に伝わってきて、心まで温かくなってきた。
「莉渚、少し落ち着いたかい?」
「ありがとう、ジョン」
「構わないよ。ワタシは莉渚の家族だからね」
心地よいバリトンボイスのお陰で涙は少し止まった気がする。私は昔のことを思い出していた。あの時も彼はこうして私のそばにいてくれた。
「すまない。話したくないことを聞いてしまって」
「ううん、いいよ。私1人じゃ何も分からないままだったから」
ジョンがいてくれたお陰で私は真実を突き止めることができた。それが知りたくなかったこととはいえ。
私だけだったら、今も公園のブランコで現実逃避をしていただろう。
「君はこれからどうしたい?」
ジョンの問いかけに私は考える間もなかった。答えは決まっている。
「元に戻りたいよ。でも……」
解決方法が全く分からない。神様に願ったのは私だ。願いを取り消すにはどうしたらいいか。そもそも、そんなことができるのか何も分からない。
私の心は沈んでいた。私はもう一生このままかもしれない。
「ワタシの話を聞いて欲しい。もしかしたら、君が聞きたくないことかもしれないけれど」
ジョンは優しい声色でそう言った。彼が何を言うのか分からないが、それでも耳を傾けようと思った。
「分かった。聞くよ」
「ありがとう」
柔らかく微笑んだジョンはベンチに飛び乗った。そして、私の隣に腰を下ろした。
「莉渚、君は良くない願いをした」
彼はそう口火を切った。
「うん、そうだよね」
親友との喧嘩で私はどこか自暴自棄になっていたかもしれない。だから、あんな願いをしてしまった。
いくら傷ついたとはいえ、あんなことを願うべきではなかった。
「知らなかったこととはいえ、神様に願うべきではなかった。もし、ワタシが全て知っていたら、止めていただろう」
「ジョン……」
「しかし、ワタシだって、そんな君のことを何も知らず、ただ君と話せることに舞い上がっていた。だから、ワタシに君をどうこう言う資格はない」
ジョンは両耳を折り曲げていた。彼は私が想像していた以上に私と話ができることを喜んでいたらしい。
私は彼の可愛い一面を知って、微笑ましくなった。
「私だってテンションが上がっていたんだよ。ジョンとこうして話すことができたんだから」
私は隣に座っているジョンの頭を撫でた。彼は気持ち良さそうな顔をしたが、再び気を引き締めた顔になった。
「それでもワタシは君に言いたいことがある」
ジョンは私を真っ直ぐに見つめた。彼の黒い瞳と目が合った。
「どうか言葉の力を信じて欲しい」
「え?」
「確かに君は言葉というものを恐れている。それ自体は決して間違いではない」
ジョンは静かに語り出した。
「言葉が持つ力は恐ろしいものだ。相手を傷つけることができるし、場合によってはそれ以上のことができる。誰もが言葉に傷つき、言葉で傷つけたことがあるはずだ」
「ジョンもそうなの?」
「ああ、そうだ。宗介と喧嘩したことがある」
「ああ、前にそんなことを言っていたね。どうして喧嘩したの?」
私はこの街のボス猫である茶トラの姿を思い浮かべた。彼とジョンは一体どんな喧嘩したのか興味があった。
「ドッグフードとキャットフードのどっちが美味しいか言い争いになったことがある」
「ふふっ、そうなんだ。誰だって好きなものを好きだと言うのは自由だからね」
私は犬と猫(宗介)がワンワン、ニャーニャーと言い合う姿を想像した。絵面は微笑ましいが、当事者にとってはとても大事なことだ。
私だってその気持ちは分かる。自分の好きな物は自由に主張する権利があるからだ。
「だが、ワタシにとって譲れないものだ。こんな風に、言葉というのは時に争いを引き起こすものだ」
でもとジョンは続けた。私は黙って聞いていた。
「それでも、言葉には良いことはたくさんある。こうしてワタシと君が話をしたことでお互いのことを知ることができた。宗介の仲間たちから情報を集めることができた。小雲ご婦人から貴重な話を聞くことができた。全て言葉の力だ」
ジョンは私の膝の上に前足を置いた。確かに動物と言葉を話せたことでここまで来ることができた。私はジョンだけでなく、今日会ったみんなに助けられたのだ。それを改めて実感した。
「だから、言葉を捨てないで欲しい。生きている者は皆お互い言葉を交わし合うことで仲良くなれる。それを忘れないでくれ」
「だから、言葉の力を信じた方がいいってこと?」
私の問いかけにジョンは力強く頷いた。
「ワタシもどうすれば君が元通りになるか分からない。けれど、こうなった原因、つまり、喧嘩をしてしまった君の親友ともう一度話し合うべきだ。そうすれば何かを掴めるかもしれない」
ジョンの提案に、私は考え込んだ。今も脳裏に私を否定する親友の姿が浮かび上がる。彼女の叫びが頭の中でこだまする。
それと同時に、これまでの千紗との思い出も浮かんでくる。一緒に遊んだことや買い物に出かけたこと。勉強を教えてくれたことや両親と喧嘩した時に励ましてくれたこと。どれも全て私の大切な思い出だ。
その思い出の上から私に向かって険しい表情を浮かべる千紗の顔が塗り替えられた。
それは嫌だ。親友との大切な思い出があんな最後になるなんてとても受け入れられない。
彼女とはずっと親友でいたい。お互い笑い合って思い出を振り返れるようになりたい。あのとても長生きな猫のように。
気づけば私はベンチから立ち上がっていた。涙は完全に引っ込んでいた。体中に力が入った。
「私は決めたよ」
隣にいる相棒を見た。ジョンのお陰で自分の気持ちがはっきりした。本当に彼には何度助けられたことだろうか。
「私も信じたい。言葉の力を。また親友と仲良くなりたい。そのためにもう一度千紗と話をするよ」
私の宣言にジョンは嬉しそうに微笑んだ。彼の尻尾も揺れていた。
「だから、私と一緒にきて」
私は膝をついて、ジョンに向かって手を差し伸べた。私の手の上に彼の前足が置かれた。
「もちろん。私は莉渚の相棒だからね」
ジョンはベンチから降り立って、私の隣に立った。これからどうなるか分からない。どうすべきかも分からないままだ。でも、どうしたいかは決まった。
「しかし、莉渚の親友がどこにいるか分からないな。ワタシは面識がないから匂いを追えないし」
「大丈夫だよ」
私の頭の中にはある場所が思い浮かんでいた。今はもう学校も終わっている。だから、彼女はそこにいるはずだ。
「行こう、千紗の元に」
私はジョンと一緒に歩き出した。親友がいるところに向かって。再び千紗と向き合うために。




