10 私の親友(莉渚編)
私には親友がいる。彼女の名前は坪井千紗。同い年の高校生だ。
千紗とは小学生の頃、ふとしたことがきっかけで知り合った。それ以来、私の親友だ。
千紗は首元の辺りで切り揃えられた髪型で、中性的で整った容姿をしていた。さらに、勉強や運動もできたため、周囲から慕われていた。
そんな彼女は私といることが多かった。私から遊びに誘うことも、千紗から遊びに誘うこともあった。
彼女は面倒見が良い性格で、昔から私のことを気にかけてくれた。
私は昔からぼんやりとしているところがある。
数学の課題をやるのをうっかり忘れてしまった時や街でチャラそうな男の人に声をかけられたこともある。
私が困っている時、いつも千紗が助けてくれた。千紗は私の勉強を見てくれたり、チャラそうな男の人から私を守ってくれた。
いつでも千紗は私を助けてくれた。私にとって、かけがえのない親友だ。
千紗とはずっと親友でいると思っていた。高校を卒業しても、大人になっても、私たちの関係は変わらないのだとそう思っていた。
そんな私たちにあることが起こった。
昨日の放課後のことだ。私と千紗は通学路を2人並んで歩いていた。
「ねえ」
彼女は唐突に話しかけてきた。話しかけられた私は隣にいる千紗の顔を見た。
「どうしたの?」
「進路のことなんだけどさ……」
私たちは高校3年生だ。当たり前だけど高校を卒業して、進学なり、就職なり新たな道を歩まないといけない。
「本当に行くの?」
千紗は私を真っ直ぐに見つめて言った。切れ長の瞳が私を捉えていた。
「うん、そうだよ。前にも話したと思うけど」
彼女の問いかけに私は困惑しながら答えた。進路のことはこれまで何回も千紗に聞かれた覚えがある。彼女に相談したこともある。
だから、千紗がこうして何度も聞いてくる理由が分からなかった。
「私はこの街を出て、都会の大学に行くよ」
千紗のことを不思議に思いながら、私はいつものようにそう言った。私は将来アパレル関係の仕事に就きたかった。しかし、私が住んでいる街には適当な進学先がなかった。家から通える範囲でも見つからなかった。
だから、私はこの街を出て、都会の大学を進学先に決めた。もちろん、両親や学校の先生、友達にこの話はしてある。
合格すれば晴れて都会に行き、1人暮らしを始めることになる。今、隣にいる千紗にも何度も話したことだ。
「1人暮らしって莉渚にできるの? 私は心配だな」
彼女は怪訝そうな顔をしていた。
「うっ。それを言われるとそうだけど」
千紗からそう言われ、私は言葉に詰まる。昔から私のことを見てきた彼女なら心配するのは当たり前だ。
私だって1人で誰も知り合いがいない街へと行くのは不安に思っていた。
というか、お父さんとお母さんにも心配された。両親からはちゃんと私1人で生活していけるかという心配だけど。
「でも、大丈夫だよ。私だって大人になったんだから気をつけるし」
最近、お母さんから料理や洗濯、掃除といった家事を一通り習っている。1人で生活できるようにするためだ。
それに、1人暮らしをする上で気をつけることを両親や卒業した先輩、先生から聞いている。これでも色々と準備しているところだ。
「千紗が心配するのも分かるけどさ、私は何とかやっていけると思うよ」
私は彼女に向かって安心させるように笑いかけた。
「ふーん」
けれど、千紗は明らかに納得していないようだった。そして、いきなり足を止めた。
「千紗?」
私も止まって、後ろにいる彼女を振り返った。千紗は俯いていた。
「あんたは私を置いていくんだね」
そう言って、顔を上げた千紗は今まで見たことがないほど険しい顔をしていた。その顔で私は気圧されてしまった。
「え? いきなり何を言っているの?」
「だって、そうでしょ。私はこの街に残るつもりだから」
以前進路のことを聞いた時、千紗はこの街にある大学に進学すると言っていた。その時も一緒の大学に行こうと誘われていた覚えがある。でも、私は自分の夢のことがあったので、断った。
「4月からずっと莉渚の気持ちを変えようとした。けど、あんたは変わらなかった。私を捨ててこの街から出ることを選んだんだ」
「そんな言い方しないで。私は千紗を捨てるつもりなんて無いよ」
「でも、事実はそうでしょ! あんたは友達の私よりも自分の夢を選んだんだ!」
千紗の叫びを聞いて、私は言葉が出なかった。私が親友を置いていく。あり得ない。そんなことするはずがない。
けれど、志望校に合格すれば4月から私はこの街を出る。それはもう決めたことだ。だから、事実としては千紗を置いて行くことになる。
「千紗は1人じゃないよ。他にも友達だって」
学校での彼女はたくさんの友達に囲まれている。私以外にも友達がいるから千紗は大丈夫と言おうとした。
「私は莉渚さえいればいい!」
私の言葉を遮るように、千紗は足を地面に叩きつけた。
「他の奴らなんてどうでもいい。私には莉渚が必要なんだよ。それでもあんたは私を捨てるっていうの?」
「だから、捨てないってば! そんな意地悪なこと言わないでよ!」
「意地悪じゃない! そうだって言っているの!」
私たちは激しく言い合った。思えばこんなに彼女と喧嘩をしたのは初めてだ。いつもお互い仲良くしていたから。
「もういい」
突然、千紗はそう言い切った。彼女は私のことを睨んでいた。その目には怒りや敵意、恨みや失望が混ざった感情が宿っていた。
「あんたがこの街を出るって言うなら、私はあんたと絶交する」
私は頭を殴られたような衝撃を受けた。体がよろめいてしまった。千紗と友達をやめる。その事実は受け入れられなかった。
「どうしてそうなるの!? 千紗は自分勝手過ぎるよ!」
「莉渚がそれを言うな! 私を捨てるくせに! この街から出ていくくせに!」
私と千紗は叫びすぎて息が荒くなっていた。こうして互いに向き合っても、彼女が何を考えているか全く分からなかった。
不意に千紗は私に向かって歩き出した。私はそれを黙って見つめていた。
すれ違う瞬間、彼女の口が開いた。
「じゃあね」
今まで聞いたことがない冷たい声色だった。いつもなら別れる時、彼女は「またね」と笑顔で言っていた。
けれど、今日はいつもと違い、決別の言葉に聞こえた。千紗は私に目もくれず歩き去った。私たちの仲が壊れていくような音が聞こえた。
その晩、私はベットで横になりながら考えていた。千紗と喧嘩したショックで夜ご飯もあまり喉を通らなかった。
どうしてこうなったのだろう。何がいけなかったのだろう。
千紗が怒っていることは分かる。私と離れたくないということは分かっている。それでも、私も彼女が口にした言葉に苦しめられた。
私だって簡単に進路のことを決めたわけじゃない。千紗や他の友達、家族から離れることを寂しく思っている。平気なわけがない。
けれど、千紗はそんな私の思いを聞かずに自分の気持ちを一方的にぶつけた。私が悪いのだと決めつけたのだ。それが私の心に矢となって刺さった。
明日のことを思うと、気が重くなった。学校で会っても千紗とは話ができないだろう。たとえ、話をしても、また何か進路のことで言われるかもしれない。
それに周りの反応も気になる。お母さんとお父さんは元気がない私に心配してくるだろうし、他の友達だって私と千紗に何かあったのか聞いてくるかもしれない。
そんなことを想像するだけでうんざりする。
「面倒くさい」
私は無意識に呟いた。人と会話をするなんて面倒だ。人から千紗とのことをあれこれ言われるのは嫌だし、自分が傷つくような言葉なんか聞きたくない。
「神様、お願いします」
微睡の中、私はぼんやりとそう思った。親友と喧嘩した衝撃で、何もかもどうでも良くなってしまった。
「私はもう言葉なんて聞きたくありません。どうかお願いします」
私はベットの中で横になりながら両手を合わせて天に祈った。
「言葉を聞こえないようにしてください」
そう祈ってしまった。そう願ってしまった。
「まさか……」
私の話を聞いたジョンは呆然としていた。私は泣きそうになっていた。そうだ、どうしてこんなことを忘れていたんだろう。
いや、忘れようとしたからだ。嫌な記憶は忘れたいのが普通だから。
「私だったんだ。私が願ったんだ」
目から涙が浮かんできた。私はぼやけた視界の中にジョンを入れた。彼はただ黙って私を見つめていた。
「人間の言葉が分からなくなった原因は私自身だったんだよ」
私はようやく思い出した自分の罪を相棒に告白した。




