#03 災いというやつは人の事情を汲み取らない 後編
ルカはその場で跳ね、壇上に飛び込んだ。
眼の前ではアウラがまさに掲げた剣をシアに振り下ろそうとしていた。
ダンッ。床を軋ませ、ルカが跳ぶ。剣が振り下ろされ―
「そこまでです!」
叫びながら、ルカは剣の腹を思いっきり殴り飛ばす。ガンと甲高い音が響き、不意の横入りによる攻撃で剣を逸らされた衝撃でアウラは体勢を崩した。
ルカはシアとアウラの間に着地すると同時に、片足を軸に身体をひねった。
狙うのは、体勢を崩したアウラの胴。
白銀のグリーヴをまとった脚が、弧を描いてアウラの腹部へ走る。
入った。
そう思った瞬間、甲高い金属音が弾けた。
「――っ!?」
ルカの蹴りは、アウラの腹ではなく、腹前に差し込まれた剣身に受け止められていた。
つい先ほど、こちらが横から殴りつけ、軌道を逸らしたはずの剣。
その刃が、もうそこに戻っている。
受け止めた衝撃でアウラの身体は後方へ滑った。だが、倒れない。床板を削るように靴底で勢いを殺すと、彼女は顔を上げ、愉快そうに口角を吊り上げた。
「妾に不意打ちとは、人族の分際でよくやった!」
褒め称えるように、嬉しそうに言ってみせる。
「はは、お褒めに預かり光栄です」
軽口で返して見せるが、ルカの背筋に、冷たいものが走った。
(あの一瞬で、剣を戻したのか……!)
完全に体勢を崩したはずだが、あの程度の衝撃ではびくともしなかったのだ。今の自分では到底勝てない格上の相手だ。
ゴクリと生唾を飲み込む。緊張に身体が固くなりそうになるのを意識的に力を抜き五でも動けるように注意する。
「あ、あ…あっ」
後ろからシアの声。ルカは目線だけを後ろに向けると、顔を蒼白にしたシアのすがりつくような視線がルカに向けられていた。怖かったのだろう。言葉すら発せられなくなっているのだ。
「もう大丈夫。安心していいから」
ルカは安心させるように口のはしをあげてみせた。うまく笑えているといいのだけど。
「あ、あの、でもっ」
何か言い募ろうとしたのか言葉にならない言葉を上げるシアの言葉を背に受けながら、ルカは再びアウラに向き合う。
「終わったか?」
「待っててくれたんですか?」
まるで用事を済ませたか?みたいなノリで気軽に来てくるアウラにルカは構えながら率直な感想を述べる。
「意外と律儀なんですね」
「何を言う、妾は淑女だぞ。男子の立て方くらい心得ておる」
冗談か本気かまるでわからないが、少なくとも戦う気だけは本気のようだ。無造作に剣を持っているだけにも関わらず、まるで隙がない。
「さ、人族の男子よ、妾の舞台に上がったからにはダンスくらいは嗜んでいるのだろう?」
「無調法者なので、愉しんでいただけるか些か自信がありませんけどね」
軽口を交わしながら構えを取り、すり足でゆっくりと近づく。一歩進むごとに首筋にヒリヒリと緊張感が走る。
「ふふふ、無調法者ときたか。よい、妾の前で無様を晒すことを許―「風駆け!」
アウラが言い終える前にルカは精霊魔法を発動させた。纏った精霊装がルカの意志に呼応し、魔法を発動する。速度を上げる魔法。それはルカの踏み込む力を何倍にも高めたその一歩は爆発的な推進力を産み、瞬時の移動を可能にした。
次の瞬間、ルカはアウラの持つ剣の直ぐ側に。狙いはアウラの持つ剣。推進力をそのまま打撃力に拳を打ち出す。
ルカの拳が剣を捉えた刹那―!
「ハハッ!不意打ちとはやるではないか!」
アウラが笑い叫んだ。ルカの拳が剣に接した瞬間、アウラが身体を回転、剣にかかった衝撃を回転の動きで逃がしながら、一回転。入れ替わるように身体を軸に回転した剣が今度は、ルカの後頭部目掛けて迫る。
ルカはそれを予見していたように打ち出した拳を地面につけ、屈むとそのまま腕を軸に前転の要領で足を振り上げる。ルカの振り上げた足は狙いすましたかのように、ルカに迫っていた剣の腹を捉え、甲高い音をたて打ち上げる。ルカはそのまま回転の力で空中に飛ぶと、身体を捻って華麗に着地する。
「そこっ!」
叫びとともに先に体勢を整えたアウラが、無造作に剣を突き出され、ルカの眉間に迫った切先を間一髪、ガントレットに滑らせていなすが、アウラの猛追が始まる。
「ほらほらほらほら!踊れ踊れ!」
切り払い、突き、突き、払い、袈裟斬り、切り上げ、逆胴、薙ぎ払い、振り下ろし、怒涛の攻撃に徐々に押されながらもルカはその全てを捌ききる。
「これを凌ぐか!いいぞ!期待以上ぞ!」
アウラの嬌声にも似た声にルカは応じる余裕がない。アウラのそれは無造作に見えるが、一撃一撃が術理に基づいた洗練された一撃であることをルカはその身をもって理解した。
(くっ、反撃できないっ)
乱雑に見えるアウラの猛攻は、まるで袋小路に追い詰められるように理にかなっている。反撃に転じようとすれば先んじて気勢を制し、引こうとすれば、引いた分だけ押される。大きく距離を離そうとしゃがめば、即座に剣を振り下ろされ防御を余儀なくされる。一つ一つ攻め手も、逃げ道も防がれていく。
アウラは少しずつ迫ってきて、ルカは一歩ずつ下がっている。このままではいずれ追い詰められてしまう。
(それならっ)
無理矢理にでも活路を作るしかない!狙うはわかりやすい一点。
ルカは反撃しようと拳をひく、それに呼応し、アウラが素早く突きを入れ、ルカの反撃を潰す。それを待っていたとばかりに飛び退く予備動作をとると、アウラはそれを防ぐように剣を振り下ろす。
(かかったっ!)
振り下ろされた剣を目掛けてルカは飛び上がり、足のバネの力を上乗せした拳を放つ。
がんっ、と甲高い金属音が弾けた。
「なんだとっ!」
初めて驚愕の表情を浮かべるアウラ。それもそのはず。弾いた剣をルカが空中でがっちり掴んでいた。さらに、ルカは掴んだ剣を軸に空中で身体を捻り、自らを回転させながらアウラに蹴りを放つ。驚いたアウラは判断が遅れた。ルカのグリーブのつま先がアウラの顎を捉え、撃ち抜く。
鈍い音とともに衝撃でアウラがのけぞりながら床を滑る。がやはり倒れない。蹴られた姿勢のまま、勢いを殺し、耐える。
アウラとの距離が開き、再びルカは構える。
アウラは打たれた姿勢のまま、止まっていたが、クツクツと噛みしめるように笑い声をあげながら、彼女はゆっくりと身体を起こした。その顎にはルカに蹴られた後がくっきりと残っているにも関わらず、愉悦に満ちた表情をしている。
「あああ、好い。とても好い。妾の顔を足蹴にする輩は久方ぶりだ。貴様、好いな」
まるで積年の恋人に出会ったかのような蕩けた顔だった。それは恋に思いを馳せる少女のようでもあった。それは衝動に突き動かされる獣でもあった。クツクツとルカの眼の前で笑うそれはまさに女であった。
「いいぞ、気に入ったぞ、名だ。貴様の名前を聞かせろ!」
待ち焦がれた愛を囁くようにアウラがいった。その異質な衝動に気圧され、ルカは名乗ってしまった。
「僕は、ルカ…ルカ=ゼルムスだ!」
「ああ、ルカ!貴様のようなものを待ちわびていた!」
噛みしめるように自らに刻みつけるようにアウラが自身を両手で抱きしめながら、ルカの名前を何度も口ずさむ。その異様な光景に場が膠着する。
蕩けきった瞳がルカの姿を写すと、まるで恍惚の夢から脱皮するように徐々に焦点を結んでいく。
「ふふふ、妾としたことが、淑女にあるまじき行為に耽ってしまっていたようだ」
恥じ入るように頬をあからませるその様子は、何も知らなければ貞淑な淑女だと信じてしまうだろう。
アウラは愛おしげに蹴られた顎を、自らの指で愛おしげになぞり、ルカに流し目をくれる。
「いま摘み取るには、惜しいか、いやそれとも今摘み取るべきか…」
アウラの言動に、ゾクリとルカの背筋に悪寒が走った。あれは捕食者の目だ。ルカはとっさに身構える。
そしてアウラが一歩踏み出したその時、
「アウラ=フラン、今すぐそこから離れろ!」
制止の声とともに、一人の少女がルカの前にふわりと降り立つと、竜族であること示す尻尾を不機嫌そうにブンと一振りした。その尾は黒竜であることを示す黒い尾だった。
アウラは突如現れた黒竜族の少女に驚くことなく、からかうような視線を向ける。
「おや、グラニスではないか。また妾を邪魔しにきたのか?それとも貴様が妾の相手をしてくれにきたのか?」
少女の名前を親しげに呼ぶが、呼ばれた竜の少女―グラニスは不機嫌そうに尻尾を一振りする。
「バカをいうな。もう終わりだ。私がここに来られたということは、教官たちもすぐに来るということだ」
グラニスが顎をくいっとして示すと、混乱を抜けた教官たちがこちらに走ってきているところだった。
「謹慎から開けたばかりだというのに、今度は入学式で暴れるなど、前代未聞だ。厳罰は避けられないぞ」
「ふふふふ。どうせ妾を縛り付けて置くことなどできやしないのだ。貴様もそれが分かっているから、厳罰などとヌルいことをいっているのであろう?」
「くっ…!」
アウラの言葉にグラニスは悔しそうな表情を浮かべている。アウラはグラニスの表情に満足げな表情を浮かべ、視線を再びルカに向ける。
視線が合うと、アウラの頬が途端に上気した。
「ああ、ルカよ、お前は妾の獲物じゃ、もっと妾好みの良い男になるがよい。その時は今以上に可愛がってやろう」
ぞくりとするほど妖艶な笑みを浮かべて言い放った。状況を忘れ、思わず生唾を飲み込んでしまう。
「生徒アウラ!貴様というやつは!!」
色めき立った教官たちが迫ってきていた。アウラは教官たちに一瞥をくれるとつまらなそうに溜息を着いた。
「情緒もない教官どもめ…さて妾はここで失礼させてもらおう。ルカよ。さらばだ」
そういってルカが何か言葉を掛ける前に踵を返してさっそうと去っていく。その後を教官たちが「おい、待て!!」と追いかけていった。
後に残されたのは、壇上の三人。グラニスとルカと、そしてへたり込んだシアだけだった。
なんだかどっと疲れたが、まだ終わっていない。ルカはへたり込んでいるシアを見る。まだ傍線としているが立ち上がれないでいるようだった。
「精霊装。解」
ルカがつぶやく。するとガントレットとグリーブが光の粒子になり、泡沫のようにぱっと消えた。
そしてルカはへたり込んでいるシアに小走りで近寄ると、いまだ傍線としているシアの眼の前に中腰でたち、手を差し伸べた。
「立てますか?」
ルカが差し出した手を、シアはすぐには取らなかった。
震える指先を見られたくなくて、膝の上でぎゅっと握り込んでいる。
「……なんで」
「はい?」
「なんで、助けたの!私なんて……助けたって、何もできないのに、しかも人族の分際でっ」
それは悲痛な叫びだった。その言葉は、ルカの胸に深く刺さり、古い記憶が呼び起こされる。
泣きながら廃墟を歩いている。ひどい光景だ。泣いている自分は血まみれで服はボロボロ。あちこちに散らばった家族だったもの。あっちに転がっているのは隣の家の優しかった老夫婦。
僕はその中を泣き叫びながら歩いていた。
―どうして?どうして誰も助けてくれないの?
「ねぇ、どうして!」
叫び声に我に返り、今に戻る。血の跡も肉の塊も廃墟もない。眼の前には怯えて泣いている綺麗な魔族の少女。
答えなければいけない。ルカ=ゼルムスにとって助けないという選択肢がないことを。
「何もできないからって、その人を助けない理由にはならないですから」
ばっと、シアが顔を上げた。まるで寝ているところに水をかけられたかのように驚きに満ちた表情だった。ルカは自分が何か悪いことを言ったのではないかと内心不安に感じる。
しかし、ルカにとってのあたりまえは、シアにとても衝撃を与えていたようだった。
「……」
「……えっと」
沈黙が気まずい。ごまかすように頬をかく。
「人族に助けられて、ご不快かもしれませんが…」
「……え?」
シアが素っ頓狂な声を上げる。もしかして気づいていなかったのだろうか。
シアがルカのことを目をまんまるにして上から下まで見ている。人族には魔族のような角も、神族のようなハイロゥも、竜族のような尻尾もないからわかりやすいだろうに。それだけこの少女が、他人に興味を示してなかったということなのだろう。
「…そう、なのね」
絞り出すようにシアはそれだけを言った。彼女の表情は伺いしれない。何かを考えているようでもあった。
「えっと、その。そろそろ手をとってもらえると」
差し出した行き場のない手を軽く振る。
「生徒シア!生徒ルカ!怪我はありませんか!?」
合わせた様子で駆け寄ってくるミスティー教官。引っ張り上げたシアの軽さに驚きながら、ルカはほっと安堵のため息をつく。彼が差し出した手には小さな手が握られていた。




