表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Another Tiny Dungeon~戦争奴隷の人族だけど平和な学園生活を送りたい~  作者: フォンダンショコラ
第一章「どうせやらなきゃならないなら、思う存分やってみる」

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

4/5

#02 平和と腰の低さの方程式 後編

「ええと、僕の番号は…」


 あのあと特に何事もなくすんなり学園内に入れたルカは校舎前にクラス表が張り出された掲示板までやってきた。

 クラスは1組から7組まで分かれており、大きな掲示板に1組から7組までの生徒たちの学籍番号と名前が記載されているようだ。新入生たちがこぞって確認しにきており、掲示板の前には高い人垣ができてしまっている。お世辞にも背が高いとは言えないルカの身長では、よく見えないが、人垣をかき分けていくのは憚られる。


 少し待ってみたが、一向に減る気配を見せない人垣にルカはよし、と覚悟を決め、小さな隙間に身体を滑り込ませるように人垣に挑んだ。

 そしてすぐに後悔することになった。


 そこかしこから「おい、どけよ!」だの、「ちょ、邪魔よ!」だの自分が少しでも前に出ようとする穏やかじゃない声がしている。全員がもみ合っているものだから、隙間に滑り込んだルカには前後左右から不規則に圧が身体にかかり、揺さぶられる状態になっている。

 流れに逆らわないように進もうとすれば後ろに追いやられるので、多少強引にでも片手を前にできた隙間に差し込み、圧が緩んだ瞬間にこじ開けながらどうにか進むほかない。


「ぐっっ!」


 何回目か、誰かに足を思いっきり踏まれ、痛みが脳天を突き抜けるが悲鳴は耐える。誰かが上げた手がそのつもりもなくルカの頬を叩いていくことも数回あったし、体勢を崩した生徒の肘がお腹に突き刺さったりもした。


 それでもなんとか前に出てようやく掲示板の全貌がルカの前に現れた。

 クラス表は学籍番号順に並べられている。ルカは自分の学籍番号である570122がないか、張られた表 を順に眺めていく。


 1組

 担任:デルタリア=ジェノヴァ

 56️8097:セリア=フォン=フィールズ

 569102:アイゼル=ロウ=クリストフ

   ・

   ・

   ・

 570235:ワーズフーズ

 570236:ヴァーチャーズ=ゼル


 1組を順繰りに見ていくが自分の名前はなさそうだった確か前二つが続いていたはずだ。2組を見てみる 。


 2組

 担任:ミスティー

 569221:ティータ

 569286:セセノバ=ウル

   ・

   ・

   ・

 570031:シア=ゼルン

 570100:イーオ=レグノア=プファルツ

 570122:ルカ=ゼルムス


 ほどなくルカは2組のクラス表に自分の番号を見つけた。担任はミスティーという。ファミリーネームが無いところを見ると、竜族の方のようだ。


(うわぁ。イーオと、、それにシア=ゼルンとも一緒なのか)


 要注意人物を二人も見つけてしまい、これから1年間は少なくとも彼らと一緒に過ごさなければならないと思うと気持ちが沈みそうだ。特にイーオとはすでに一悶着起こしており、顔を覚えられているだろうから、絡まれる可能性が非常に高い。


(…不注意だった自分が悪いんだけどね)


 もとより人族である限り、偏見、誹謗中傷、流言飛語はつきものだ。気持ちを切り替えて、姿の見えない悪意ある者よりわかりやすく悪意を向けてくれる人のほうが対処がしやすいと割り切ればいいのだ。

 一つ深く息をついた。


「おい、自分のクラス見つけたならさっさとどけよ!」


 人垣の後ろから叫ぶ声があがった。


(…っと、長居は迷惑になりそうだ)


 自分に言われたわけではないが、目的を達成したのならすぐに退散するのがよさそうだ。他人の邪魔になって目立つのはよろしくない。

 踵を返して立ち去ろうとした時、ルカは一人の不思議な竜族の男子生徒を見た。

 その男子生徒は人垣をすり抜けるように掲示板の前に出てきた。そしてざっと掲示板を確認すると、来た時と同様、すっと人垣に入っていった。辛うじて緑色の尻尾が見えたから、そこに入っていったのだと認識できたが、もし彼に尻尾がなければ、急に消えたようにみえたかもしれない。なんだかまるで彼だけ別の次元にいるようだ。


(すごいな、あんな子もいるんだ)


 聖トリスディアは世界各国から数千もの入学希望者が殺到し、300にも届かない席に得るため、己の学力や武力、あるいは自分の唯一無二の得意分野を武器に試験に挑み、その大半が届かず散っていく。

 入学するだけでもエリートと言われるのはそういった事情があるからだ。

 ルカだってそれこそ血の滲むような努力の果てに入学する権利を得た一人だ。ここにいるほとんどがそうなのだ。


 今誰に気付かれることもなく抜けていった緑竜族の生徒もそういった実力者の一人であるということだ。

 感心してばかりもいられない。掲示板の前に立ち続ければ、それだけ邪魔になる。ルカはもう一度だけ2組の場所を確認すると、人垣から抜け出した。


 校舎の入口では、腕章をつけた在校生たちが新入生を誘導していた。ルカはそのうちの一人に声をかける。


「すみません、2組はどこですか?」


 頭に神族特有のハイロゥを浮かべた男子生徒はちらっと一瞥すると、あからさまに面倒そうな表情を浮かべた。


「…2組は東棟二階だ。階段を上がって右手、奥から二番目の教室。迷ったら廊下の案内板を見ろ」

「ありがとうございます」


 ルカが頭を下げると、男子生徒は少しだけ意外そうな顔をした。礼を言われること自体に慣れていない、というより、人族に礼を言われたことに反応したのかもしれない。一瞬だけ、侮蔑するような感情が見えたが、彼はルカを無視するように次の新入生の対応にうつっていた。


(気にしない、気にしない)


 人族に対するそういう態度には慣れっこだ。

 校舎の中は外の喧騒とは少し違っていた。石造りの廊下は磨かれていて、窓から差し込む朝の光を鈍く反射している。壁には歴代の卒業生らしき肖像画や、クルセイダーズの紋章が飾られていた。古い木材とインク、それからどこか薬草にも似た匂いがする。

 初めて入る場所特有の落ち着かなさに、自然と背筋が伸びる。

 案内された通り階段を上がり、右手へ進む。廊下にはすでに何人もの新入生がいて、掲示板で確認したばかりの自分の教室へ向かっていた。嬉しそうに話す者。不安そうに周囲を見回す者。すでに知り合い同士なのか、笑い合いながら歩く者。


 その中で、ルカはなるべく目立たないように廊下の端を歩いた。

 東棟二階、奥から二番目。

 扉の上に掲げられた札には、はっきりと「2組」と書かれていた。


(ここかな?)


 覚悟を決めるように深呼吸を一つする。ここまで目立たないようにしていたが、入る瞬間にはどうしても注目されてしまう。

 心の中で大丈夫、うまくやれると自分を鼓舞し、ルカは教室の中へ足を踏み入れた。

 ガラガラと必要以上に大きな音を立てて扉が開いた瞬間、無数の視線が向けられるのをルカは感じたが、平静を装いながら颯爽と入る。


 教室には、もう半数以上の生徒が集まっていた。

 横長の室内に整然と机が並び、机の端には小さな札が置かれている。どうやら学籍番号ごとに席が決められているらしい。前方の黒板には白いチョークで「自分の番号の席に着席」とだけ書かれていた。


(570122……)


 人族である自分に対し様々な種類の視線を感じる。ボソボソと「おい、人族がいるぞ」とコソコソ喋っている声が聞こえる。無視して自分の学籍番号が書かれた席を探すフリをしながら、ルカはさり気なく教室を見回した。

 教室の席は半分ちょっと埋まっているようだが、ルカと同じ人族はいなさそうだ。

 そんな中、ルカは窓際の前方にいる、一人の神族の少女に目に留まった。


(え、帽子?)


 その神族の少女は制服規定にない羽根飾りのついた帽子を胸に抱えていた。人見知りなのか、誰かに話しかけようとしては、口を開く直前で固まっている。何度か深呼吸をしているようだが、そのたびに肩が小さく跳ねていた。


(緊張してるのかな…)


 その少し後ろでは、さっき掲示板の前で見た緑竜族の男子生徒が、目立たない席に静かに腰を下ろしていた。大柄な竜族の中では少し小柄に見えるが、周囲の音や動きに対して、目だけがよく動いている。ぼんやりしているようで、どこか隙がない。


(あの子、同じクラスだったんだ)


 さらに視線を流すと、教室の一角だけ妙に空気が薄い場所があった。

 そこにいたのは、黒髪の魔族の少女だった。背を丸め、両手で頭の横を隠すようにして机に突っ伏しかけている。けれど、隠しきれていない紫の角が、窓から差す光を受けて、宝石のように淡く輝いていた。


 シア=ゼルン。


 要注意人物票の最上段に名前を書いた相手だ。シアは何人かの同族に囲まれているようだが、その空気はどこか張り詰めているように見えた。


「ね、ねえ、あなたシア様よね? ゼルン家の――」

「…………」

「もしよかったら、あとで一緒に――」

「…………」


 近くの魔族らしき少女が勇気を出して話しかけていたが、シアはつまらなそうに壁に目を向けたまま、まったく反応しない。聞こえていないのか、聞こえないふりをしているのか。どちらにせよ、話しかけた少女は困ったように笑って、そっと距離を取った。


(……すごいな、意識すらしていなさそう)


 魔族の重鎮、四貴魔将ゼルン家の令嬢。魔王の妃候補。肩書きを並べれば、近寄ることすら許されない高嶺の花そのものだ。


(やっぱり関わらないほうがいいな)


 ルカは自分に言い聞かせ、視線を戻した。

 すでに自分の席はわかっている。教室の中央より少し後ろ。通路側に近い位置。机の札に「570122」とある。

 今見つけたとばかりに、その席へ向かおうとした、その時だった。


「おい」


 聞き覚えのある声がした。

 できれば今日一日はもう聞きたくなかった声だった。

 ルカは内心で小さく息を吐き、しかし顔にはすぐに礼儀正しい笑みを貼りつける。振り返ると、教室の後方に数人の魔族の男子生徒を従えたイーオ=レグノア=プファルツがいた。

 どうやら、すでに取り巻きらしき相手を見つけたらしい。


「まさか本当に同じ組とはな。戦争奴隷が聖トリスディアの教室にいるだけでも目障りだってのに、よりにもよって俺様と同じ2組とは」


 周囲の何人かが、ちらりとこちらを見た。

 ルカは頭を下げる。


「イーオ様と同じ組に置いていただけるとは、身に余ることです。ご迷惑をおかけしないよう、努めます」

「ふん。口だけは回るようだな」

「それくらいしか取り柄がありませんので」


 自分で言っていて少し悲しくなるが、相手は貴族階級で、こちらは平民の人族。こういう時は下手に反論しない方がいい。面子を立て、正面からぶつからない。人前で恥をかかせない。要注意人物票に書いた接触方針を、ルカは頭の中でそらんじる。

 イーオの背後にいた魔族の一人が、面白そうに鼻で笑った。


「おいイーオ、こいつ本当に人族か? やけに物分かりがいいじゃないか」

「人族にしては、だろ」


 イーオはそう言って、勝ち誇ったように笑う。


「まあいい。俺様の目に入らないところで大人しくしていろ。間違っても、俺様に恥をかかせるような真似はするなよ」

「心得ました」


 ルカはもう一度、丁寧に頭を下げた。

 それ以上絡む気が失せたのか、イーオは鼻を鳴らして仲間たちの方へ向き直る。周囲の視線も、ひとまず大きな騒ぎにはならないと判断したのか、少しずつ散っていった。


(……初日から順調に目立ってるなぁ)


 まったく望んでいない方向に。

 ルカは苦笑を飲み込み、自分の席へ向かった。椅子を引き、静かに腰を下ろす。

 机の木目を見つめながら、もう一度だけ教室を見渡した。


 さっき印象に残った神族の少女はまだ話しかける相手を探しているようだがいまいちうまくいっていない。見ていて哀れに感じるくらいオロオロしている。掲示板の前にいた緑竜族の男子は誰にも気づかれないように周囲を熱心に観察している。シア=ゼルンは相変わらず話しかけるなオーラを放っているが、今度は果敢にもイーオが取り巻きを引き連れながら彼女に話しかけようと近寄っているのが見えた。


 一癖も二癖もありそうなクラスだ。波乱が起きないわけがなさそうだ。

 それが良いことなのか悪いことなのかは、今のルカにはまだ分からなかったが、「お、俺を無視するのか!?」というイーオの悲痛なつぶやきが聞こえたあたり、少なくとも小さな火種はすでに生まれていそうだ。


(もしかしてイーオはトラブルメーカーなのかな…)


 嫌な予感を覚えながら目線を向けると、イーオがシアの横から机に手を突いて上から覗き込むように身を乗り出していた。

 ルカからはイーオの表情は見えないが、その背中からは怒気が出ているのが見て取れる。


「……」


 しかし当のシアは先ほどと同様、無視を決め込んでいる。その態度がより一層イーオの自尊心を傷つけ怒りに火をくべている。取り巻きもイーオに呼応するように「返事くらいしろ!」と喚き散らしているが、シアの態度は一向に変わらない。


(確かに同じ魔王十二門とはいえ、プファルツ家は八門候だけど、ゼルン家はその上の四貴魔将…まさに家格が違うけど……でもあれは…)


 ふと、違和感を覚えた。

 一見して無視を決め込んでいるように見えたが、シアの腕は微かに震えている。ルカはそれを見落とさなかった。そっぽを向いているため顔は見えない。でもあれは怒りで震えているわけではなさそうだ。明らかに怯えている。

 まずいな、と思った。皆から注目されているが、誰もシアを助けようとはしていないし、無視されていると思い込んでヒートアップしたイーオがシアの機微に気づくはずもない。


「貴様、いい加減にっ!」

「何を騒いでいますのっ!」


 さらに詰め寄ろうとしたイーオを艶やかな声が制止した。その声は教室を一瞬にして静寂に包むほどの威容があった。怒っていたイーオでさえ冷水を浴びせられたように さっきまでの威勢を失って黙っているほどだ。

 びっくりして声の主を見ると、教室の入口でピンク髪の女性が鋭い視線で射抜くようにイーオを見ていた。


 教員だろうか、垂れ目が印象的な大人の女性だ。女性は緩やかなウェーブがかかった髪の毛を揺らしながらゆっくりと教室を睥睨する。彼女を追うように教室に現れる尻尾が、彼女が竜族であることを物語っていた。

 彼女は教壇の上に立つと、言った。


「席につきなさい」


 落ち着いたよく通る声だったが、その声には逆らえない圧力があった。それまで思い思いに立っていた生徒たちは彼女の言葉に導かれるように大人しく、自分の席に戻っていく。息巻いていたイーオたちですら、文句も言わずに従っていることにルカは驚きを覚えた。


「全員いますわね」


 教室を見渡した女性が満足そうに言う。ルカが教室に入ったときには半分ほどだったと思ったが、イーオに気を取られているうちにいつの間にか全員揃っていたようだ。

 全員が席につくのを確認してから女性が自己紹介を始めた。


「私はあなた達の担任教官のミスティですわ。見ての通りの竜族ですわ」


 女性―ミスティー教官はそういって愛想よく笑ってみせた。それだけで先ほどの圧力がふわっと消え失せ、教室の雰囲気が急に和らいだ。


「さて、皆さんは本日より、聖トリスディア学園クルセイダーズ養成課程の一期生となりますわ」


 ミスティー教官は教壇の上で、ゆるやかに教室を見渡した。


「誇りなさい。ここにいるということは、少なくとも入学試験をくぐり抜けるだけの力、知恵、才覚、あるいは運を持っているということですもの」


 愛想のよい笑みを浮かべるミスティの言葉を皆、誇らしげに聞き入っていた。

 先ほどまで騒がしかった教室が、今は水を打ったように静まり返っている。そんな教室の雰囲気を楽しむように眺めた後、声のトーンを落として「もっとも」と口を開いた。


「入学できただけで満足しているようなものが、卒業できるほどこの学園は甘くはありませんわ」


 さらりと告げられた言葉に、教室の空気がわずかに固まる。追い打ちをかけるようにミスティー教官は言葉を続ける。


「新入生に多いので先にいっておきますわ。この学園では、家柄も種族も肩書きもただの記号ですわ。そんなものに縋っているようでは卒業どころか進級すら諦めたほうがよいでしょう。それでもなお、家名やパパやママの地位にすがりたいという甘えん坊がいらっしゃいましたら、悪いことはいいませんわ。退学届をしたためることをおすすめします」


 ミスティー教官の暴論すぎるその言葉に一瞬、学生たちはあっけにとられる。再びざわめきだした。特に反応が激しかったのは魔族や神族の家柄が優秀な者たちだった。そのうちの一人が「ぶ、侮辱だ!」と声を震わせて立ち上がると、それに呼応するかのように「不遜だ!謝れ!」「当家は100年の…」などと言い始め、ざわめきは大きくなり、騒ぎになる。

 ルカはただただミスティー教官の言動に圧倒された。


(す、すごい人だな)


 ミスティー教官の発言は実力主義をとても乱暴に言い換えたものだ。しかし今このタイミングで言うことじゃないと思う。彼女は何のためにこんな挑発的な事を言ったのだろうか。ルカの疑問は次の彼女の言葉ですぐに解消する。


「静かに」


 ピシャリと言い放つと同時に先ほどと同様の圧力がかかる。たったそれだけで教室が静寂に包まれた。

 ミスティー教官はその結果に満足したように頷くと再び口を開いた。


「御託を並べ立てたいのなら、弁説家にでもなりなさい。不満があるなら実力で示しなさい。名門の生まれであろうと、神の子を名乗ろうと、竜の血を引いていようと、役に立たなければ落ちますわ。逆に、誰に蔑まれようと、結果を出せば評価されます」


 その一言は、あからさまに、この教室唯一の人族であるルカへ向けられたものだった。察しの良い何人かの視線がちらりとルカに向く。


 戦争奴隷。劣等種族。場違いな道化。不躾な好奇心。

 言葉にされなくても、向けられる視線だけで十分だった。

 視線に気付かないフリをして、ルカは姿勢を崩さず、机の上に置いた手だけをそっと握る。


「さ、堅苦しい話はこの辺りにいたしましょう。今日は入学初日ですもの。さて、これから皆さんは入学式の会場に移動します。私語は控えること。騒がないこと。細かい注意点やこの後のスケジュールについては各自の机に置いてある紙に書いてありますわ」


 紙?どこにあるのだろうか。ルカを含め、誰の机の上にもミスティー教官が言う、紙は置かれていない。


「教官、紙はどちらに?」


 一人の生徒が手を上げ、教室中の疑問を代弁した。

 その問いを待っていたとばかりに、ミスティー教官は口元に小さな笑みを浮かべる。


「今、配りましたわ」


 言葉が終わるのと、ほとんど同時だった。

 何もなかったはずの机の上に、白い紙が一枚、すっと姿を現した。


「うわっ!?」

「え、いつの間に!?」

「ま、魔法……?」


 教室のあちこちで驚きの声が上がる。椅子を鳴らして身を引く者、目の前の紙を恐る恐る指でつつく者、慌てて机の下を覗き込む者までいた。

 無理もない。

 竜族は、基本的に魔法を使わない。強靭な肉体、竜鱗、圧倒的な生命力。それこそが竜族の力であり、魔法は神族や魔族の領分だと考えられている。


 だからこそ、今の一手は完全な不意打ちだった。

 ただ、全員が同じ反応をしたわけではない。

 当たり前のように紙を手に取る者。最初から机の上にあったと気づいていたように、軽く目を伏せるだけの者。逆に、驚いたことを隠そうとして不自然に背筋を伸ばす者。


 その差が、そのまま観察力の差に見えた。

 ルカも、目の前の紙を見下ろしながら息を呑む。

 置かれていたのに、見えていなかったのか。

 それとも、見えないようにされていたのか。

 どちらにせよ、ただの手品ではない。


「ふふ、言ったでしょう?この学園では実力こそ全てだと」


 教壇の上で、ミスティー教官が満足げに頷いて見せた。それは一般的な劣等種族という見方が、この学園では当てはまらないという証左にほかならなかった。


「さ、予定をしっかり確認しなさい。これから会場へ移動しますわよ」


 驚きの余韻に誰も返事をしなかった。じれたようにミスティー教官が机を叩く。


「返事は?」

「はい!」


 教室中の声が重なった。

 ルカも少し遅れて返事をする。ミスティー教官は満足げに頷くと、教壇を降りた。


「では、予定表を持って、学籍番号順に廊下へ。二列に並びなさい。迷子になった子は置いていきますわ」


 冗談めかした言い方だったが、誰一人として笑わなかった。

 生徒たちは慌ただしく立ち上がり、椅子を引く音が教室に広がる。ルカも周囲に合わせて席を立った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ