魔人
突如として現れた巨大な影に、アラジンは腰を抜かして床にへたり込みました。驚きと戸惑いで声も出せないアラジンを見下ろし、魔人は感情が完全に消え去ったかのような、冷たく平坦な声で淡々と告げました。
「お呼びですかご主人様、何なりとご命令を」
腕を組み、彫刻のように微動だにしないその姿は、暗闇の中でわずかに青く発光していました。人智を超えた存在を前にして、アラジンは恐怖に震えながらも、乾いた喉を鳴らして問いかけました。
「……何でも、いいのか。何でも俺の言う通りにしてくれると言うのか?」
「はい、ご主人様。貴方の望むままに。ただし、人を直接傷つける望みだけは、どのような理由があろうとも叶えて差し上げる事はできません」
魔人の言葉を聞き、アラジンはすぐにでも「この場から家に帰りたい」と言おうとしましたが、ふと唇を噛んで言葉を止めました。貧民街で育ち、世間の裏表を見てきた彼は、ここで妙な警戒心を働かせたのです。
「待てよ。おとぎ話では昔から、何でも願いを叶えると言っておきながら、後から恐ろしい代償を求めたり、願いの回数に制限があったりするものだ。お前もそういう類の化け物なんじゃないのか?」
アラジンの疑り深い視線を受け止めても、魔人は一切の揺らぎも見せず、淡々と答えました。
「我々ジーニーは、低級の悪魔のように人間の魂や生贄を求めたりはいたしません。回数を制限することも、主様の望みを歪んだ形で解釈して叶えるような真似もいたしません。私はただ、器の持ち主の命令に従う器にすぎないのです」
それはまるで、気の遠くなるような長い歴史の中で、何千何万と交わされてきた退屈なやり取りを機械的に繰り返しているかのようでした。そのあまりにも淡白な態度に、アラジンは逆に妙な安心感を覚え、意を決して願いました。
「……ならば、俺の家に帰してくれ」
「かしこまりました」
魔人が静かに指を鳴らした瞬間、パチンと小気味よい音が響き、周囲の景色が一瞬で切り替わりました。
ひんやりとした洞窟の空気は消え去り、慣れ親しんだ泥臭い匂いが鼻をくすぐります。土壁のひび割れから冷たい夜風が吹き込み、埃の被った棚には、いつか捨てようと思いながらそのままにしていた割れた瓶が鎮座していました。まごうことなき、バルドゥーンの片隅にある我が家でした。
「他に御用はございますか」
現実に戻ってきたアラジンの耳に、再び魔人の感情の籠らない声が響きました。
「もういい……いや、待て。腹が減って死にそうなんだ。うまい飯が欲しい。それも、見たこともないような贅沢なやつだ」
「かしこまりました」
魔人が再び指を鳴らすと、狭い部屋の中に一陣の柔らかな風が巻き起こり、アラジンの目の前に豪華絢爛な食事が音もなく並びました。
美しい東国の白磁の上で琥珀色のソースがとろりと滴る肉料理、白く焼き上げられて芳醇なバターの香りを漂わせているパン、西国の透き通ったガラスの盃になみなみと注がれた濃紅色の葡萄酒、そして銀の籠に山盛りにされた瑞々しい南国の果実。
大国の王侯貴族であってもめったに口にはできはしないだろう極上の料理の数々に、アラジンはこれ以上ないほど目を剥きました。そして、湧き上がる歓喜のままに、料理を両手で掴んで貪るように口へと詰め込んでいきました。
お腹がはち切れんばかりに満たされると、心地よい疲労感とともに、再び強い眠気がやってきました。アラジンは重くなる頭を振り、ふと我に返って手元を見つめました。この見窄らしいランプが、自分に想像もつかない富をもたらしたのです。もし誰かに見つかれば、一晩で盗まれてしまうかもしれないという恐怖が、にわかに頭をもたげました。
アラジンは部屋の隅の擦り切れた寝床に潜り込むと、大切な宝物を守るように、その晩はランプを両腕で強く抱き抱えるようにして深い眠りにつきました。




