不安
アラジンはいつものように宮殿の豪華な客間で、ロクサーナを相手に旅の話を聞かせていました。
「僕はあの時、魔法の外套で身を隠していたのだけれどね。北の凍てつく氷海の中から、凄まじい水しぶきと共に巨大な海蛇が鎌首をもたげたんだ。そして、泳いでいた大きな鯨を一噛みで仕留めると、そのまま海の底へと引きずり込んでいったのさ。恐ろしい光景だったよ」
アラジンは身振りを交えて得意げに語りましたが、ロクサーナは話を聞いていてもどこか気がそぞろで、美しい眉をひそめて何かを深く思い悩んでいるようでした。
「どうしたんだい、ロクサーナ。ひどく悩んでいるように見えるけれど」
アラジンにじっと心配そうに見つめられ、ロクサーナは形の良い唇を噛み、ぽつりぽつりと話し始めました。
「……新しくお父様に仕え始めた、あのファルザド様の事なの。あの方は、本当にとても優秀な方よ。お父様も、あの方の計らいで農地が広がったとか、新しい異国との交易が始まったとか言って、最近はとてもお喜びだわ」
「国が豊かになるなら、それは僕たちにとっても良かったじゃないか。何か問題でもあるのかい?」
アラジンが不思議そうに尋ねると、ロクサーナはとても言いにくそうにしばらく口ごもっていました。しかし、意を決したようにまっすぐアラジンを見つめて話し始めました。
「アラジン、どうか気を悪くしないでね。あなたの持ってきてくれる珍しい宝石や山のような金貨は、とてもこの国の助けになっているわ。でも……どうしても朝廷では、あなたとファルザド様が比較されてしまうのよ。あの方は、十年先、百年先を見越した確かな計画を立てて、この国を根底から支えようとしている。……最近では一部の大臣たちの間から、ファルザド様をわたくしの王配、つまり次の国王に推す声すら上がり始めているのわ。あの方は、わたくしより一回りも上の歳だというのに」
アラジンは驚きのあまり、敷かれていた絨毯を蹴立てるようにして勢いよく立ち上がりました。
「なんだって! ロクサーナ、君はそれでいいのか?」
ロクサーナは寂しげに細い声を漏らし、茶色の瞳を伏せました。
「わたくしが良いとか、悪いとかいう問題では無いのよ。アラジン、あなたの語る遠い国の話はとても楽しいわ。あなたの語る輝かしい未来を、わたくしも一緒に見てみたい。でも……」
ロクサーナの言葉の裏にある不穏な現実に、アラジンの目は瞬く間に激しい怒りに染まっていきました。あのファルザドという男は、卑怯な政治の魔法を使って、自分の手にするはずだった幸せな未来を壊そうとしているのだと確信したのです。美しいロクサーナを奪い取り、自分が努力して築き上げた贅沢な地位を盗もうとしているに違いない、と。
そうだ、あんな理屈っぽい魔法使い以上の功績を、俺がこの手で上げてやればいいのだ。誰もが文句のつけようもない、度肝を抜くほど大きなことをしてやればいい。
アラジンはすぐさま王への面会を求め、怒涛の勢いで執務室へと赴きました。部屋の扉を開けると、そこではちょうどファルザドとシャフリヤール王が熱心に地図を囲んで会話を交わしているところでした。
「……このように、狂暴な騎馬民族のうちの有力な一派と秘密裏に手を結び、我が国の交易の一部を担わせることで利益の一部を与えます。奴らもその交易が失敗すれば、自らの食い扶持が減ることになる。食料欲しさにこの国と戦争をするより、交易の対価として安全に食料を贖う事ができれば、そもそも我らと戦う動機自体が減るでしょう」
「しかし、狡猾な奴らが交易品をそのまま持ち逃げする可能性もあるのではないか?」
「なので、まずは害の少ない少量から試します。もし持ち逃げるようなら、即座に取引を打ち切り、その逃げた部族と敵対関係にある別の部族に同じ話しをもっていけばよいのです。奴らは互いに牽制し合うでしょう」
アラジンには、二人が交わしている高度な国家戦略の話など何一つ理解できはしませんでしたが、自分の施策をねじ込むために強引に二人の間に割り入りました。
「シャフリヤール王、少々僕からも提言したいことがあります」
ファルザドはアラジンの姿を見ると、感情を読ませない涼しい顔で一礼しました。
「おっと、これは失礼いたしました。私はこのあたりで失礼します。仔細は後ほど書類にまとめて提出いたします。シリンザル第二王子殿下も、御機嫌よう」
恭しく一礼して去っていくファルザドの背中を、アラジンは忌々しげに睨みつけながら見送りました。そして、男の気配が消えるや否や、王に向かって自信満々に胸を張って言いました。
「先ほど騎馬民族の話が出ていたようですが、僕からも国をより強大にするための素晴らしい提案があります。このバルドゥーン王国の西側に、さらに高く強固な城壁と、王の威光にふさわしい壮麗な離宮を建てるのです」
シャフリヤール王は、アラジンの突飛な提案に困ったように眉を下げ、深くため息をつきました。
「しかし、王子よ。ここしばらくはファルザドの尽力のお陰で、国の予算は上向き、街は活気付いているものの、新たな城壁を一遍に築くほどの莫大な予算など我が国にはないのだ。ましてや、新しく宮殿を建てるなど到底無理だ。それに西側は、不毛な岩と砂が広がるだけの荒野だぞ。かの地に宮殿を建てるなど、どれほどの難工事になるか想像もつかん」
アラジンは王の心配など何でもないことのように、大仰に両手を広げて笑いました。
「バルドゥーンの国庫を使う必要など一切ありませんよ。そんなちっぽけな予算に頼らずとも、僕がすべて手配しましょう。資材も人足も、僕の力で用意してみせます」
「……まあ、そこまで王子が言うのであれば任せるが、無理はするなよ」
王の曖昧な承諾を引き出すと、アラジンは満面の笑みを浮かべました。
「はい、お任せください。必ずや、王が驚くような素晴らしい成果を上げてみせましょう!」
宮殿を後にしたアラジンは、馬を走らせて西の広大な荒野へと向かいました。見渡す限りの赤茶けた砂と乾いた岩が転がる無人の地に立つと、彼は懐から煤けたランプを取り出し、その表面を強く擦ってジーニーを呼び出しました。紫の煙と共に現れた巨大な青い魔人に、アラジンは声を張り上げました。
「ジーニー、この王国の西側の荒野に、世界で最も壮麗な離宮と、この国のどこの壁よりも高くて頑丈な城壁を作るんだ」
「かしこまりました、ご主人様」
魔人が一切の感情を排した顔のまま、パチンと静かに指を鳴らしました。
その瞬間、地響きと共に大地の砂が生き物のようにうごめき始めました。まるで地面から草木が生え茂るかのように、真っ白な大理石の城壁が組み上がり、その奥には天を突くような美しい塔を持つ離宮が、みるみるうちにその姿を現していくのです。
アラジンはその圧倒的な光景を見つめながら、歪んだ笑みを口元に浮かべました。
「いいぞ、これが終わったら、次はあの干からびた荒野の周りを、一面の豊かな穀倉地帯に変えてやろう。これだけの圧倒的な奇跡を見せつければ、王も、ロクサーナも、あの生意気な魔法使いも、誰もが俺の力を認めざるを得ないはずだ」
成し遂げた万能感に酔いしれるアラジンの激しい哄笑が、風の吹き抜ける広大な荒野にいつまでも響き渡っていました。




