傷を抱えた龍
「ほら、どうした? かかってこいよ。」
男を殴り倒した龍心は、ゆっくりと連中の方へ振り返り、顎をしゃくり挑発するように笑う。
「クソガキ……!」
連中は顔を真っ赤にしながら龍心を睨みつける。
だが、誰一人として前へ出てこない。
全員、あの一瞬で理解してしまったのだ。
――勝てない。
重苦しい沈黙が流れる。
龍心は小さく舌打ちすると、痺れを切らしたように前へ出た。
「なら、こっちから――」
「待て。」
低い声が、それを止めた。
琥鉄だ。
「あぁ?」
龍心は不機嫌そうに振り返る。
その目を見た瞬間、俺は思わず息を呑んだ。
瞳には光はなく、だがその奥には何か、悍ましいものが静かに揺れている。
怒りとも殺気とも違う、もっと危険な何かが宿っている。
「変わったんじゃねぇのかよ。それじゃ昔のままだぞ?」
琥鉄の言葉に、龍心は黙り込む。
しばらくして、大きく息を吐いた。
「……チッ。」
吐き捨てるように舌打ちし、そのままこちらへ戻ってくる。
「ありがとな。」
そう言った龍心の目からは、さっきまでの異様な光が消えていた。
そして再び連中へ向き直る。
「散れ。」
低く放たれた一言。
だが、その場にいた全員を震わせるには十分だった。
連中は倒れている仲間すら置き去りにし、蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
「いいんですかぃ?逃がしちまって。」
柊輝が去っていく背中を見ながら言う。
「いいだろ。仇討ちはできたんだ。」
俺はそう答え、静まり返った戦場を見回した。
残っているのは、地面に転がる連中だけ。
「しかし本当に勝っちまったんだな…。」
旭がそう声を漏らす。
最初は尻尾を巻いて逃げ出した相手。
本当に勝ってしまったという事実が、まだ上手く飲み込めない。
「ごめん、ちょっといい?」
琥鉄がそう俺達に声をかける。
頭からヘッドバンドは外れており、なぜかその声は先ほどとは変わり弱々しく聞こえた。
「さっきはごめんね、雑魚とか言っちゃって……。」
巨体から吐き出されるその弱々しい言葉は、とても琥鉄のものだとは思えなかった。
あまりにも急な謝罪、誰も反応できない。
「お、おぉ……?」
一番怒っていたはずの壮志郎でさえ、動揺を隠しきれていない。
「こいつ、ヘッドバンド付けたらあんな感じになるだけで、これが普段通りだよ。」
付き合いの長い龍心は慣れているのか、何の反応も見せず、冷静に状況を説明してくれる。
ヘッドバンドを付けているときだけということは、二重人格というやつなのだろうか。
そんな事を考えながら琥鉄を見るが、やはり俺の目には先ほどとは別人が映っている。
「まぁ、これからよろしく。」
俺はそう言い右手を差し出すと、琥鉄もそれに対応するように握手を交わす。
笑顔で俺の手を握るこの大男はまるで、穏やかな大型犬のようにも見える。
「しかし、琥鉄君もやばいですが……」
柊輝は龍心の方を見る。
「龍心には聞きたいことがありますねぇ。」
何を聞こうとしているかは明確だった。
多分、皆が思っていることを柊輝は代表して聞いてくれようとしている。
龍心も何のことか自分でわかっているのか、ふんと鼻を鳴らし、何かを諦めたような表情を見せる。
「隠してて悪かった。全部話すよ。」
龍心はそう言い口を開く。
「昔、って言っても2年くらい前か。俺がまだ小学生の頃、すげー仲良かった同じ道場の子がいて。でもその子めっちゃ弱かったんだ。」
同じ道場、ということは琥鉄も知っているのだろうか。
気になり、琥鉄の表情を見るが、口を一文字に結び、目を細めている。
そこから何かを読み取ることは難しかった。
「でも、正義感だけ人一倍あって、すぐ不良とかに突っかかって。……そのせいで殺されたんだけどな。」
声のトーンが急に落ち、辺りの空気が静まり返るのを肌で感じる。
「その日も不良達に突っかかって、そいつにバットで頭殴られて、そのまま。」
そう言い、龍心は視線を下に落とす。
その先には連中が使っていたバットが地面に転がっていた。
「殺された怒りでこいつらも殺してやるって頭に血がのぼって、気づけば警察に地面に押さえつけられてた。不良達は生きてはいたけどほぼ半殺し。」
龍心はそこまで話すと一息置き、また口を開く。
「それから俺は強い奴らとしかつるまなくなった。……もう失いたくなかったから。」
そう話す龍心の目はどこか遠くを見つめている。
「あの時、警察に止められて本当によかった。じゃないと、あいつらと同じになるとこだったから。」
龍心は静かに笑った。
だが、その笑みにはいつもの余裕はない。
どこか、自嘲するような薄い笑みだった。
今までの戦い方や言動を思い返せば、龍心自身も十分“危ない側”の人間に見える。
けれど今ならわかる。
こいつは好きで暴れてるわけじゃない。
誰かを失うのが、怖いんだ。
沈黙が落ちる。
誰も軽々しく口を開けなかった。
そんな中――
「心配しなくても、俺達はそんな弱くねぇぜ。」
壮志郎が口を開いた。
その言葉を聞いた龍心は一瞬、驚いたような表情を見せる。
「だから、お前がもう暴れる必要はねーよ。」
一瞬、空気が止まる。
だが次の瞬間――
「……はっ。」
龍心が小さく吹き出した。
「なんだそれ。」
「事実だろ。」
壮志郎も口元を吊り上げる。
そのやり取りを見て、張り詰めていた空気が少しだけ和らいだ。
柊輝も肩を竦めながら笑う。
「まぁ、実際今回勝っちまいましたしねぇ。」
「最後の方ほとんど龍心と琥鉄だったけどな。」
旭が呆れたように言うと、龍心は鼻で笑った。
「次はお前らももっと働け。」
「うるせぇ。」
そんな軽口が飛び交う。
さっきまで血と怒号に塗れていた場所とは思えないほど、空気は穏やかだった。
だが俺は見逃さなかった。
龍心が、さっきまで強く握り締めていた拳を、ほんの少しだけ緩めていたことを。
「……帰るか。」
俺の静かな提案。
その言葉に、誰も異論はなかった。
地面には、倒れた連中と、折れた木材、転がったバット。
戦いの跡だけが残っている。
俺達は背を向け、ゆっくり歩き出した。
夜風が熱くなった身体を冷ましていく。
その帰り道。
少し前を歩く龍心の背中は、どこか今までより小さく見えた。
きっと、強い奴にも消えない傷がある。
それでも前に進もうとしているから、あいつは強いんだろう。
そんなことを思いながら、俺は静かな夜空を見上げた。




