第92話 魔技
――3時間後。
すっかり闇の帷が落ちた頃合いに、ゲーザは砦の前へと姿を現した。
他の魔族は伴わず、ただ一人。
空を飛び、門より離れた場所に着地する。
その姿は既に生身ではなく、あの鎧騎士となっていた。
「我が名はヴォルシュ=マゴクのゲーザ。栄え有るヴォルシュの戦士!」
ゲーザは声を張り上げ、宣誓する。
その声は闇夜に遍く響き渡った。
「勇士ゴドフロア・ド・モンフォール! 約定通り戦おうではないか!」
まるで呼びかけに応えるように。
ギィ、と砦の扉が開いていく。
ゆっくりとそこから歩み出てきたのは、砦の総司令ゴドフロア。
ゲーザの顔は仮面に隠されて分からない。
しかしまるで笑ったかのように、ゴドフロアには感じられた。
だが次の瞬間、それを見たゲーザが身を固まらせる。
ゴドフロアの後ろからは次々と、兵たちが並び出てきていた。
粗末な革鎧を纏った弱卒の集団。
それはゲーザから見れば障害になり得ない、ただの邪魔な肉の固まりだった。
「何を考えている、勇士ゴドフロア」
固い声色でゲーザが問いかける。
「我らの戦いにそのような雑兵、無粋だぞ」
「戦に無粋もクソも有るか」
対するゴドフロアは、吐き捨てるように言った。
「勝つ為に最善を尽くす。それが儂のモットーよ」
さっとゴドフロアが手を掲げる。
「一人で勝てぬのは、ちと業腹ではあるがな!」
刹那。
矢が雨のようになって、ゲーザに降り注いだ。
砦の壁上から、兵や騎士達が一斉に魔族へ向かって弓を放ったのだ。
「チィ!」
ゲーザは両手で飛来する矢を振り払うようにして撃ち落とす。
その矢が、自らの鎧を貫く事は無いだろうとゲーザは予想していた。
しかしそうやって慢心した結果、もしどれか一矢に自分を貫く秘策が込められていて、それが自分を貫くかもしれない。
完全に安全とは断言できないのだ。
故に撃ち落とすしか選択肢はない。
一つ残らず。
また空に逃げようと考えても、それも不可能だった。
彼が纏う天晶鎧に備わった飛行能力は、あくまで移動用のもの。
衝撃に弱く、被弾する事で容易に機動力を削がれ失速し、墜落する事になる。
この矢の雨の中飛ぶのは自殺行為であった。
結果的にゲーザは地面に釘付けにされていた。
次々と放たれる矢が、ゲーザを地面に縫い付ける針となって、彼を地面の刺繍の一つとしていた。
「のこのこ出てきたら罠が張られるとも想像できんか、魔族」
そう言ってゴドフロアが笑う。
「知略勝負は苦手と見えるな」
ハハハと。
その声には、明らかな嘲笑が含まれていた。
「小細工か、それもまた良し」
だがゲーザは不敵に笑う。
「多少の不利も楽しまんとな!」
自らを狙う矢から逃れようと、ゲーザは軽く後ろに飛び退る。
しかしその着地した地面より、光が漏れる。
「!?」
そこに描かれていた魔導式――捕縛。
効力は対象の動きを阻害し、その場に縛り付ける。
そのような魔法。
「こんなもの!」
だがゲーザを拘束できる時間は1秒にも満たない。
ほんの僅か、0.1秒か0.2秒。
だがそのほんの僅かな時間が、戦場では致命的だった。
僅かな動きの乱れを的確に、長弓による強力な一撃が狙い撃つ。
ヒュッ、という風切り音と共に飛来するそれを、ゲーザは迎撃せざるを得ない。
そして一矢を払う間に、次々と他の矢が降ってくる。
魔族の動きは、完全に掣肘されていた。
「さあ行け!」
ゴドフロアが次なる号令をかける。
「ウオオオオオオ!」
彼の背後に控えていた兵士たちが、気炎を上げて一斉にゲーザへ向かって走っていく。
鬼気迫る表情で、涙を流しながら、全速力で駆ける。
ゲーザに近づく彼らは、当然の如く矢の雨にも晒された。
ど、と身体に矢を受けた男が倒れる。
だがそれを省みる事もなく、兵士たちは一目散にゲーザへ向かって進んでいく。
「何を考えている、勇士ゴドフロア」
苛立ち紛れに、ゲーザが叫ぶ。
「同胞の命を無駄に散らしているだけだぞ!」
だがゴドフロアは黙して語らない。
ただその光景を後ろから見つめているのみだった。
「哀れな」
ゲーザにとって、迫りくる矢も走ってくる雑兵も、脅威度も対処法もそう変わらぬ相手だった。
近づいてくればただ払いのける。
そう思い、傍にきた一人を薙ぎ払おうとして――
ゲーザに近づいた兵士が、爆散した。
ドォン、という大きな爆発音。
そして舞い上がる砂埃。
それがゲーザの真横で炸裂した。
「なッ!?」
それまで余裕を保っていたゲーザに、焦りの声が含まれる。
決して大きな爆発ではない。
だが、魔族の体勢を崩し隙を作る程度に威力の有るものだった。
ぐらりと揺らぐゲーザに、次々と兵士が殺到する。
何人もの兵士が組み付くように、ゲーザの身体へとしがみついた。
「うわあああああー!」
嘆きとも、気合ともつかぬ声。
その声を上げながら、組み付いた兵士たちは次々と爆散した。
「どうだ魔族よ、痛かろう」
対するゴドフロアは、余裕の笑みを浮かべそれを見ていた。
「自ら考え動き、必ず捕まえる爆弾。恐ろしいであろう?」
彼の横では、次々と兵士達がゲーザ目掛けて走っていく。
彼らの後ろには騎士が控えており、その手に握られた剣は血で濡れていた。
足元を見れば、何人かの兵士が背中を切られ倒れている。
そして兵士の身体には、幾つかの袋が結わえられていた。
その袋の口が緩み、黒い砂のような何かが僅かに零れ出ているように見えた。
「行け」
騎士は冷たい口調で兵士たちへと命ずる。
「貴様らも家族に楽はさせたいであろう? 対価分の働きはせよ」
「いやだあ、死にたくない」
涙を流しながら尻込みする兵士を、何も言わず騎士は斬りつける。
彼は涙を流しながら、その場に倒れ伏した。
「次だ、行け」
その光景を見ていた兵士が、震えながら走る。
留まれば死。
進んでも死。
同じ死ならば、まだ全力で体を動かし気を紛らわした方がマシだとばかりに、彼は走った。
火薬の詰まった袋を体に巻き付け、武器も持たずにひた走る。
彼に課せられた使命はただ一つ。
魔族の下へとたどり着け、だ。
何も考えず走った兵士は、無我夢中で魔将に飛びついた。
何本もの矢が体を貫いていくのも無視して、がっちりと掴む。
その瞬間、魔導式が発動する。
遅延式の魔導式。
ほんの僅かに炎を出すだけのそれは、しかし爆薬を起爆させるのには十分な働きをした。
大きな、爆発の華が咲く。
一人の兵士は粉微塵に砕け散り、この世から姿を消した。
そのように大輪の華が戦場に咲き誇るのを、ゴドフロアは見つめ続ける。
「衛星国民も所詮、金を求めて戦っておる」
彼はその口髭を撫ぜながら、然りと呟く。
「便利なものだ。金さえ積めば、その命すら買える」
今回の突撃攻撃に志願したものは、普段の10倍以上の給金が払われる事になっていた。
そして万が一生き残る事ができたら、家族と共に王国民になれるという確約まで与えている。
ゴドフロアは買い取ったのだ。
彼らの命を、魔将を狙い撃つ誘導弾として。
万全な態勢で向かおうが、こちらが劣勢であろうとゴドフロアは理解していた。
だからこそ、自らが戦う前に可能な限りダメージを与えなければならない。
そう彼は考えていた。
ちまちまとした攻撃は相手に効かないだろう。
それなりの火力の攻撃を、間断無く叩き込まなければならない。
それは魔導式では難しいというのがゴドフロアの読みだった。
残り少ない時間で用意できる、高い火力。
その結果考え出されたのが、この人間爆弾だった。
「これは人類を守る為の尊い犠牲である」
戦いが始まる前。
満面の笑みで、ゴドフロアは兵たちに語りかけた。
「喜ぶがよい。お前達の命は聖戦に捧げられるのだぞ」
金貨を積み上げそう語るゴドフロアに、異を唱えられる兵は存在しなかった。
何十回、爆発が続いただろうか。
爆発の中心地は激しい砂埃に塗れ、魔将の姿は確認する事ができない。
「ある程度の手傷は負わせられているといいのだが」
ゴドフロアは愛用の戦鎚を握り込んだ。
ここからは力押しだ。
あとは自己編綴魔導式が切れる前に勝負を決めるのみ。
ゴドフロアの目の前で、徐々に砂埃が晴れていく。
そこに、ゲーザは立っていた。
傷一つ無く、変わりない姿で。
輝く鎧は依然変わりなく、美しいまでに煌めいていた。
「狂ってるのか……」
その声は、呆然としたもののようにゴドフロアには聞こえた。
「同胞の命を使い捨てるなど、光の民はここまで愚かなのか?」
「その命を奪いに来ている貴様が言う言葉ではないな」
戦鎚を構えながら、内心ゴドフロアは動揺していた。
――無傷だと?
多少の手傷は負わせられると思っていた。
あれだけの爆発であれば、どんな魔法でも防ぎ切れるものではない。
当然魔族に対しても有効だろうと考えていた。
だが、その目論見は甘かった。
最高戦力である魔将の力は、ゴドフロアの想像の上を行っていた。
「訂正しよう、ゴドフロア」
すっとゲーザの手が掲げられる。
「お前は勇士ではない。ただの外道だ」
――ィィィィィン
甲高い音が、辺りに響く。
音はゲーザの体から発せられていた。
彼の体が発光し、音を奏でていた。
「誉れも無い貴様など討ち取る価値も無い。ここで処分する」
「ッ!? 魔技か!」
魔技。
それは高位魔族が用いる異能の総称。
光の民が魔法を用いるように、闇の民である彼らはそれを用い、人類と数千年も戦い抜いてきたのだ。
「惰弱で情けない呼び方をするな」
ゲーザは冷たく言い放つ。
「熱情と言え」
だん、と勢い良くゲーザは大地に手を叩きつける。
「我が熱情は【振動】」
――不味い!
「ッ! 自己編綴魔導式活性!」
咄嗟にゴドフロアは自らを強化し、飛び出す。
しかし魔将を止めるには、一步遅かった。
「震える戦意が、世界を震わす。受けよ、この猛き想いを!」
瞬間、世界が揺れた。
「うわああああああ!」
立っていられない程の、激しい揺れ。
テーブルに置かれたコップはそこから滑り落ち、棚に収められた巻物は吹き飛んだ。
砦の上に居た者達も、何人かは揺れで下へと落とされる。
ぐしゃりと鈍い音をさせながら、幾人かはその命を終わらせた。
その場に居る誰も彼もが、事態に適応できていない。
ただ揺れるに身を任せ、それが何時終わるのかと耐えるだけ。
局所的な大地震が、今砦を襲っていた。
飛び出そうとしていたゴドフロアも、バランスを崩す。
不定期に揺れるその大地の中を動き回れる程、彼は人間離れしていなかった。
「うおっ!」
たたらを踏んだゴドフロアは反射的に空中へと飛ぶ。
大地に立てぬと悟り、反射的に取った動きだった。
だがその隙を見逃す程、魔将は間抜けではなかった。
一直線にゴドフロアへ向かって、ゲーザは飛んだ。
その体は小刻みに震え、甲高い音を放っている。
激しい振動が装甲の金属で音を奏でているのだ。
「さらばだ、ゴドフロア」
ゲーザの掌打が無防備なゴドフロアへと放たれる。
ゴドフロアは咄嗟に手に持った戦鎚でそれを受けたが――
その刹那、戦鎚が粉々に砕け散る。
予想もしない光景に、ゴドフロアの目が驚愕に見開かれた。
ゲーザの攻撃は止まらない。
戦鎚を砕いた一撃はそのままゴドフロアの現代式甲冑に到達した。
音もなく、甲冑の表面が砕ける。
そしてその下に隠されていた肉が、ずたずたに引き裂かれた。
高速の振動が肉を侵し、引き裂き、そしてどろどろにかき混ぜていく。
鍛え抜かれたゴドフロアの身体は一瞬でタンパク質のジュースへと変質していた。
驚愕に目を見開いたまま、砦の総司令官はその命を終えた。
ゲーザは止まらない。
そのまま砦に取り付くと、両の手を壁面へと押し付ける。
その瞬間、壁は激しく振動し、自ら崩れるようにしてがらがらと音を立ててばらばらになった。
瓦礫が辺りに散乱し、最早用を為さなくなったその場に、ゲーザは音もなく降り立つ。
そして未だ足元の覚束ない騎士達に近づいていった。
「悪く思うな」
ゲーザの両手は未だ激しく震えている。
全てを削り取る悪魔の手のように。
「戦争だからな」
魔将の手が、残る命を次々と刈り取っていった。
100年間抜かれる事が無かった、第113区砦。
その砦は呆気なくたった一人の手によって終焉を迎えた。




