第93話 破滅の銀蝗
その日、ソラムの街はいつも通りの朝を迎えると思っていた。
夜の闇が、顔を出す太陽によって徐々に光で塗り替えられていき、また新しい朝が来ると誰もが疑ってもいなかった。
ソラム駐屯所では、通信を担当する騎士が寝ずの番を行っていた。
「日も昇って来たな。もうちょっとだ」
朝食が終わる頃になれば、交代の時間だ。
この長い夜勤務も終わりだと、固くなった体を背伸びして解しながらこれからの事を考える。
帰ったらすぐに寝たいが、今日は役所に行かなければならない。
この街へ引っ越してきたばかりの彼は申請しなければならない事項が幾つかあるのだ。
「こんな時代なんだから、全部魔導通信網経由で済ませられるようにしてくれよ」
まあ全部紙で書かなきゃいけなかった時代よりはマシだけどさ、と独りごちる。
本人認証が済めば、申請関係はほぼ自動だ。
その手間が無いだけ昔よりは恵まれてると自分を慰めた。
「そろそろかな」
彼は|シックなオーバルの眼鏡の端に映る時間を見て身構える。
もうあとちょっとで前線砦からの提示連絡が有る時間だ。
前線との通信は非常時以外は寸断されている。
これは情報漏洩を防ぐ為と言われている。
魔族にもこちらの情報を抜く手段は存在していると既に判明している為、王国もそこには細心の注意を払っている。
その為、前線とのやり取りは緊急時を除いてこのような定期連絡のみとするよう定められていた。
その数少ない窓口が、この短い定時連絡なのだった。
本来であれば、113区砦に魔族が来た時点で緊急通信が為されるべきだった。
しかし結果として砦からソラムへは通信されなかった。
その原因は三つあった。
一つは、指揮系統が乱れていた事。
魔族軍の苛烈な攻勢を前に、総司令であるゴドフロアは指示を出す暇も無く前線に赴き魔将と戦う事となった。
その為、ソラムへの緊急通信と通信回線の確保指示を出し忘れていたのだ。
一度出撃し戻った時にはもう「自分はその為の指示は出し終えていた」と彼自身錯覚していた。
実際は急いで出てきて、何もしていないのに。
トップが最大戦力であり、強敵出現時には出撃しなければならないという体制の弱点が露骨に足を引っ張っていた。
もう一つは、現場の混乱。
今まで見た事の無い大攻勢に、砦は大混乱に陥った。
彼らも十分に訓練を受けた精兵。
勿論、緊急時にどうするかも叩き込まれていた。
しかし敵を感知してから砦が攻撃されるまで、一時間も無かった。
そのような状況で彼らは、目の前の敵への対処に忙殺された。
当の連絡を取るはずの通信担当の騎士も、司令であるゴドフロアと現場のやり取りの調整に四苦八苦していたのだ。
彼が本来担うはずだった緊急連絡。
それを出す事を、彼は最期まで忘れていた。
最後の一つは、若い人員が多かった事。
100年間停滞する前線仕事。
この場所での勤務は半ばステップアップとしての通過場所として使われていた。
前線の空気を暫く味わい王国へ戻り、出世する。
今の若い世代の騎士にとって前線務めは「面倒だが必要な過程」でしかなかった。
彼らにも勿論人類の状況を憂う気持ちと愛国心は存在していた。
しかしだからと言って常日頃から戦意に満ち溢れやる気満々で仕事をしている訳ではない。
気の緩みも有ればやる気が出ない時も有る。
決して無能ではない。
だがここで入れ込み最大限の結果を出そうともしていない。
そんな彼らがいざ異常事態に直面した時、混乱するのは必然だった。
本来やらねばならない事を失念する程に。
三つの要因による、余りにも単純な人為的ミス。
これらが重なり、結果的にソラムは自分たちの危機を知る事すらできなかった。
ソラムの人々が徐々に目覚め、のんびりと朝を楽しもうとしてる頃合い。
その街の上空には、一人の男の姿が有った。
魔将ゲーザ。
彼は砦を破壊し、そのままこのソラムへと飛行してきたのだ。
朝日が彼の装甲を煌めかせる。
だがその煌めきを捉えた者は、まだ誰も居なかった。
「目的までまだ一つ有るのか……」
彼は足元に広がるソラムの街を眺め、思案する。
「情報によると、そんなに重要ではないな、ここは」
昇る朝日を眺めながら、ゲーザは考える。
目的とする対象はこの街の先。
そしてこの街自体は、特に美味しい要素の無いだけの通過点。
力を入れて攻略する意味は薄い。
「……飛ばすか?」
切り時か、と彼は思う。
自分が投入できる戦力にも限りは有る。
出撃に備え十分に溜めてきたつもりだが、本命前にこれ以上失うのを避けたいのも確かだった。
先程の砦では思った以上の損害を被った。
となればここで温存するのも悪くないのではないか?
ゲーザはそう考えつつあった。
「先程のような目に遭うのも、うんざりだよな……」
ゲーザは砦での攻防を思い出す。
熱くなれる戦いがそこには有ると思っていた。
自分と戦える勇士も見つけた。
だから、この出撃は価値が有ったと、最初はそう思った。
だというのに、最終的に見たのは単なる機械的な処理をこなす作業だけ。
呆気なく勝ってしまうという、これ以上無い失望。
魔将の心は既に疲れていた。
「よし、決めた」
ゲーザは自らのこめかみに指を当て、決断する。
「この街は飛ばそう」
彼はそう言うと、意識を集中した。
「請願――」
厳かに、彼は祈る。
自らが信奉する闇の神。
そして偉大なる王、魔王へと。
「支援要請・拠点破壊」
無慈悲なる滅びの呪いを、ゲーザは祈った。
朝焼けの赤が街を照らす中、ソラムの郊外の住宅地。
あくびをしながら空を見上げていた一人の男がそれに気づいた。
「ありゃ、雲か?」
遠くに見える。黒い雲。
こんなにもはっきりと雨雲が見えるのは珍しい事だった。
「こんなに晴れてるのに、もしかして通り雨でも来るのかね」
いやだいやだ、と彼は首を振る。
こんなにも気持ちのいい陽気なのに、外に出る事も叶わないとは。
今日の予定はどうしようかと思案していた男は、違和感を覚える。
「なんか、おかしいな」
遠くに見える雲が、何か奇妙だと彼には思えた。
何故なのかは分からない。
だが、心の奥底が囁きかけるのだ。
あれは何か変だぞ、と。
男はよく目を凝らし、雲を見る。
彼の安い眼鏡に視力強化の魔導式など仕込まれていない。
家族との通信用魔導式が入っている程度だ。
なので、必死に目を見開いてそれを見る。
じっと雲を見続けて、何秒経ったか。
男は遂に、違和感の正体に気づいた。
「あの雲、どんどんデカくなってる」
雲が急速にその大きさを拡大させていた。
いや、違う。
正確には、雲が凄い勢いで近づいて来ている。
空を流れる、緩慢な動きではない。
明確な意思が有るように、雲がこちらに向かってきている!
男の心が言いようのない恐怖で占められる。
理由も分からぬ、その恐れ。
だがそれに従い男は即座に家へと入った。
そして彼は家中の窓を締め切り、雨戸を閉め、わざわざ地下室に篭って、そこにある粗末なベッドの中で毛布を被って丸くなった。
余りにも臆病で、過剰とも言える怯えぶり。
もし余人が見ていれば盛大に笑ったであろうこの行動は、結果的に正解であった。
男はソラムで数少ない生き残りの一人となった。
大半のソラムの人々がそれに気づいた時、既に手遅れであった。
銀に光る雲霞。
それが街目掛けて突っ込んできた。
「な」
驚きの声を上げる前に、雲は人々を包みこむ。
そして、その体を激しく切り刻んだ。
街行く人々の肉はこそげ、骨は割断され、腸は辺りに散らばった。
一瞬にして人が人だったものに変わり、ソラムの街路の方々に打ち捨てられる事となった。
雲の正体は、蝗の大群であった。
鋼鉄の羽と体を持つ、銀色の蝗。
魔族の生み出した破滅の蝗であった。
人の歴史の中でこの蝗は、銀蝗と呼ばれていた。
銀蝗は滅びの使者として、幾つかの逸話に出てくる凶悪な魔族として知られていた。
一体一体は強く無い。
それこそ子供ですら叩き潰す事が可能だろう。
だが問題なのはその数。
襲い来る場合は常に数万の大群で押し寄せ、人の営みを破壊する。
銀蝗が通り過ぎた後は何も残らない。
生き物は食い尽くされ、建物は破壊される。
この魔族を前に、滅び以外の選択肢は存在しなかった。
「助けてくれぇ!」
「いや、なんでええええ!?」
通りでは人々が銀蝗から逃げようと必死に足を動かしていた。
だが銀に光る蝗の速度は異常とも言える速度を誇っていた。
光の雲があっという間に人々を包み、骸とすら言えない細切れの何かに変えていく。
そんな光景が、街の至る所で散見されていた。
建物の外に居た人間たちは、皆同じように銀蝗にばらばらにされた。
その鋭い羽は肉を削り骨を断つ動く剃刀であり、抵抗する事などできなかった。
一方、屋内でも地獄のような光景が展開されていた。
「キャアー!」
楽しい朝食の時間。
外の景色を見ながらそれを楽しもうとしていた一家の食卓に、破滅の使者がやってくる。
開け放たれた窓から無数の銀蝗が侵入し、幸せな親子へと襲いかかっていった。
幼い娘は、自分の母親が虫に集られる光景を見せつけられていた。
あまりにもおぞましい冒涜的な光景。
「ママーッ!」
小さな少女には、ただ叫ぶ事しかできない。
だがその声もすぐに止まる。
次々と侵入してくる銀蝗が、娘にも群がりその口を塞いだ。
見た目はただの蝗と変わらぬ銀蝗は、僅かな隙間から侵入し、その家屋内を蹂躙していく。
時刻は朝。
新鮮な空気を取り入れ、新たな気持ちで一日を迎えようという刻限だった事が災いとなった。
多くの建物では丁度窓を開け放っており、それは銀蝗にとっては格好の侵入口となっていた。
老いも若きも、男も女も。
種族も国籍も関係無く、その場に居る人間全てを銀蝗は蹂躙していった。
通信を担当していた騎士にとって幸運だったのは、そこに窓が存在しない事だった。
彼はこの地下に有る通信室に籠もり、外の様子は監視機器を通して見るのみだった。
だからこそ今の災禍を逃れ、そして同時に外の様子も知り得る事ができたのだった。
『ダラマトナ! 聞こえるか、ダラマトナ!』
彼は全力で通信を送った。
『こちらソラム本部! ここはもう駄目だ、おしまいだ!』
扉の外からは、がりがりと何かを削る音が聞こえてきていた。
閉じこもっているが、何時まで持つか分からない。
『魔族だ! 銀蝗が押し寄せてきた!』
銀蝗には、もう一つの異名が有る。
――魔族の先触れ。
その蝗が訪れた後には、必ず魔族の大攻勢が伴う。
それは歴史が証明する事実だった。
この魔族の群れの出現は即ち、魔族の攻勢が始まった事を意味していた。
『ここが落ちたら次はそちらだ! 頼む、届いてくれ!』
通信は一向に繋がらない。
だがそれでも、届くと信じて彼は通信をダラマトナへ送り続ける。
がり、と一際大きな音が扉から聞こえた。
それは銀蝗が遂に鉄の扉に穴を開けた音だった。
ブゥン、という低い音と共に、蝗達が室内へ押し寄せてくる。
騎士の視界には、死を告げる小さな魔族が一杯に広がっていた。
だが彼は通信を止めない。
『頼む、頼むから届いてくれ!』
蝗達に群がられ、体を切り刻まれても。
その意識が途絶えるまで、彼は必死にダラマトナへと呼びかけた。
同時刻、ダラマトナの通信室。
「なんだ?」
通信士の騎士は、一通の断片的な通信を受け取っていた。
所々途切れ、聞く事も困難なそれは、だがしかし確かにそこへ届いていた。
一人の騎士の献身は、ダラマトナにその危機を伝える事に成功していたのだ。
そしてこの一通の通信が切欠でソラムと113区砦への通信が途絶している事をダラマトナの参事会は知る事ができた。
彼らは際どい所で、自分たちが滅びの淵に居る事を自覚できたのだった。




