第91話 魔将
ゴドフロアの心に、焦りが生まれた。
――自己編綴魔導式活性の時間は……あと1分少々か。
自らにかけられた強化の残りは、とても十分な時間とは言えなかった。
魔将とは魔族の頂点に位置する統率者にして、最大の戦力。
その力は絶大で、人類の歴史上何度も苦しめられてきた最悪の敵だった。
――ならばッ!
ゴドフロアは爆発的な踏み込みで、ゲーザに向かって一直線に跳ぶ。
大地が砕け、空気が裂ける。
瞬間的に弾丸と化したゴドフロアは、一瞬でゲーザに肉薄。
その勢いのまま、右下よりの振り上げをゲーザに見舞った。
狙いは胴体、そして顎。
裂帛の殺意で、彼は戦鎚を振り上げる。
ゴドフロアの目に、ゲーザの驚いた表情が入ってきた。
どうやらこの一撃は意表をつく事ができたらしい、と心の中でほくそ笑む。
あわよくば決まってくれと祈りながら、両の手にさらに力を入れた。
だがゲーザは両手で戦鎚を弾くと、空中へと飛び退った。
キィン、という甲高い音と共に、自らの太さよりも半分もない細腕で、巨大な鉄槌が難なく弾かれる。
――化物が。
決まるとは殆ど思っていなかったが、こうも簡単にいなされるのまでは想定していなかった。
改めて魔将というのは化物だと、ゴドフロアは気を引き締める。
「そう焦るな」
対するゲーザはまるで子供にするよう、静かにゴドフロアを嗜める。
「こちらにも準備というものが有る」
キィィィィン、という甲高い音がする。
それは遥か上空より発せられてるものだった。
反射的にゴドフロアはそちらを見た。
天に光る、巨大な星。
そこに、それは有った。
光り輝く水晶の固まりが空に浮かんでいた。
殆ど日は落ち黒が赤を塗りつぶそうとする、夜の始まりの中。
その星は、僅かな光をその身に受け美しく輝いていた。
ゲーザは手を掲げ、力強く叫ぶ。
「融装」
その言葉に、まるで星が呼応するように墜ちる。
彗星のように、隕石のように、水晶はゲーザ目掛けて墜ちてくる。
そして水晶とゲーザが合わさった瞬間――
激しい光が、そこから溢れた。
多目的ゴーグルをもってしても眩むような強い光に、ゴドフロアも思わず目を閉じる。
その光が溢れていたのはほんの僅かな間。
だが、ゴドフロアが目を開けた時、そこには。
異形の戦士が、大地に立っていた。
体に金属や水晶を纏ったような、輝ける鎧騎士。
それが、そこには居た。
赤を基調としたその姿は、燃え盛る炎をイメージさせるかのような、鮮烈なものだった。
肌に張り付くように装着された金属の鎧は全身を隈無く守っている。
顔までもが仮面のようなものに覆われ、恐ろしさを醸し出していた。
そして所々に見える水晶らしき部分は、自ら光を放ち輝きその存在を誇示していた。
「さあ」
鎧騎士――ゲーザの両手の手甲に、光が纏わりつく。
それは固まると、美しい刃を形成した。
両の手に備わったそれを掲げ、ゲーザは吠える。
「存分に、戦おうじゃないか!」
跳躍したのは、両者とも同時であった。
推進力と重力を活かした戦鎚の振り下ろしを狙うゴドフロア。
一直線に真っ直ぐ、最短距離で突きを狙うゲーザ。
双方は互いを食い破らんと、正面からぶつかっていく。
先に攻撃が到達したのは、距離に勝るゴドフロアの一撃だった。
ゲーザの脳天を捉えようと、唸りを上げた振り下ろしが見舞われる。
身を低くし飛びかかるような格好をしていたゲーザには防ぎ得ない、超重の打撃。
ゲーザにはそれがまるで天が落ちてくるかのような印象を与えていた。
だがゲーザは何も焦らず、それを片手で弾く。
キィンという音と共に、戦鎚は軌道を逸らされ、ゲーザの横を通り過ぎた。
残されたのは、目標を失い鉄槌を足元まで振り下ろした隙だらけのゴドフロアの姿だけだった。
ゲーザの一撃がゴドフロアに迫る。
狙うは腹。
横一文字の切り裂きが騎士を襲う。
「チィッ!」
だがその腕を狙うように、丸太のような足から放たれた膝がゲーザを襲った。
咄嗟に打ったものとは思えぬ強烈な一撃。
それがゲーザの刃を跳ね上げた。
ぐらりと揺らぐ、ゲーザの身体。
二人の戦士は互いに互いを崩しあい、無様な姿を晒し合っていた。
一瞬だけ、ゴドフロアとゲーザの視線が交錯する。
目が合った瞬間、ゴドフロアは己の獲物――戦鎚から手を離した。
そして密着するような距離に到達したゲーザに、掴みかからんと襲いかかった。
自由になった両手でその身体を拘束しようと手を伸ばす。
しかしゲーザもまた、弾かれた両手をゴドフロアの伸びた腕に被せるように重ねる。
その力をぐるりといなし、上下へと開こうと画策した。
だがゴドフロアもそれを許そうとはしない。
ゲーザの腕を跳ね上げ、そして間髪入れずその体に拳を叩き込む。
威力よりも速さを重視した、手打ちでの乱打。
拳が一つ繰り出される毎に、ボッ、と空気を無理矢理こじ開ける音が響く。
残像が残る程の速度で繰り出されたそれは、ゲーザの体を執拗に打ち付けていた。
フッ、と軽く息が吐き出される間に、数え切れぬ拳打が輝く鎧を打ち据える。
その衝撃でゲーザは軽く仰け反った。
明らかな死に体。
完全に隙を晒していた。
――畳み掛ける!
ゴドフロアは最も威力の出る打ち下ろしを選択し、鉄槌が如き己の拳をゲーザの脳天へと叩きつけようと振り上げる。
さしもの魔将もこれは防御せざるを得ない、必殺の一撃。
そう見えた。
だが、魔将が選んだのは、さらなる攻撃だった。
仰け反っていた頭がしなり、弓なりの体が蓄えた力を解放し、ゲーザの頭部を前へと跳ね飛ばす。
まさかの頭突き。
打ち下ろそうとした拳の内側へ、ゲーザの体は滑り込む。
ゴドフロアの前腕は魔将の肩で受け止められ、そのダメージは最小限に抑えられた。
同時に、ゲーザの頭がゴドフロアの胸に突き刺さった。
逞しく暑い胸板が、魔将の頭撃を受け止める。
鈍く重い衝撃が、ゴドフロアの体内を駆け巡った。
だが、怯まない。
ゴドフロアの体は僅かに後ろへと飛ばされるが、それだけ。
態勢を崩さず、そのまま魔将に掴みかからんと両手をその体へ伸ばす。
対する魔将も、咄嗟にゴドフロアの手を受け止めた。
掴みたいゴドフロアと離したいゲーザ。
両者の腕が、激しい位置の取り合いい移行した。
両者の腕は絡み合い、互いに力を逃しあい、まるで子供の遊びのようにくるくると空中を舞った。
そこで漸く両者の足が地へと辿り着く。
大地から伝わる力が改めて二人の腕を満たした。
漲った両手はいつの間にかがっちりと互いを組み、力比べの様相を呈していた。
この攻防の時間、僅か3秒。
「やるな勇士よ」
ゲーザの鋼鉄に包まれた仮面の下から、喜悦の声が漏れる。
「このような戦いを望んでいた。強者との戦いをな」
「ほざけ」
対するゴドフロアには余裕が無かった。
自己編綴魔導式活性の残り時間、19秒。
一気呵成に決めなければ勝機は無い。
だというのに、この膠着した状況。
今この力比べを迂闊に解けば、その隙にやられる。
焦る事はできない。だが時間も無い。
敗北の二文字が、彼の脳裏を支配し始めていた。
ぐっとゴドフロアが両手に力を入れる。
ともかくこの状況を崩さねば。
彼は自慢の筋力で、ゲーザの体を崩そうと一層力を入れた。
しかし魔族の身体はびくともせず、まるで地面に杭で打ち付けられたように動かない。
「大した力だ、自己編綴魔導式だったか?」
ゲーザの声色には、明らかに余裕が含まれていた。
その腕から伝わる力は、自分となんら変わりないのに。
歯を食いしばりながら腕に神経を集中させるゴドフロアの心には、焦燥感ばかりが募っていった。
「それが出てきてくれたお陰で、こちらも助かっている。今までは余りに弱すぎたからな。それで当時の長老達も大層頭を悩ませたそうだ」
徐々に、ゴドフロアの身体が反っていく。
押し返されるように、じわりと。
ゲーザが握る部分の現代式甲冑からはミシミシと軋む音が聞こえ、その限界が近い事を示していた。
「こうして戦いが成立してくれるだけの――?」
不意に、ゲーザの力が緩んだ。
同時に萎むように筋肥大が収まるゴドフロア。
自己編綴魔導式活性が解けたのだ。
――儂の負けか。
せめて連戦でなければ。
負け惜しみのようだが、ゴドフロアはそう思わずにはいられなかった。
万全な時間が有れば戦いようも有ったものを!
明らかに弱体したゴドフロアを、しかしゲーザは追撃する事は無かった。
魔族は困ったように腕を組みながら、何事かを思案していた。
「どれくらいかかる」
「何?」
「回復にどれくらいかかると聞いているんだ」
思わぬ問いかけに、ゴドフロアは混乱した。
――こいつは、何を言っている?
「その自己編綴魔導式とやらがまた使えるようになるまで、どれくらいの時間が欲しい。待ってやる」
「なんの罠だ」
「こちらにも都合が有るんだ」
ゲーザは肩を竦め、溜息をついた。
「その状態の貴公を倒してもこちらとしては旨味が少ないんだ。全力を出して貰って、もっと多彩な手段で抵抗してもらわないと困る」
ゲーザはくるくると指を回しながら、何事かを数えているようだった。
「この出撃件をもぎ取るのにどれだけ苦労したと思ってる。こっちとしては少しでも功績を稼ぎたいんだ。次の出撃が何十年後になるかもしれない。だから、一度で稼げるだけ稼ぎたい。ここにこのような勇士が居るなんて、想定外だったからな」
なあ?と。
まるで友人に語りかけるように、気安くゲーザは言った。
「さあ、どれだけ待てば良い。望むなら今攻めている兵達も引き上げよう。そうすれば安心して休めるだろう?」
どこまでも虚仮にされているかのような物言い。
だが仕切り直すのに千載一遇のチャンスであるのも確かだった。
どうするべきか。
ゴドフロアは頭を回転させる。
「3時間」
暫し逡巡した結果、ゴドフロアはそう答えた。
「3時間待てば、全力で戦えるだけの魔力が回復する」
「いいだろう。では3時間後、また砦を訪れる」
そう言うとゲーザはくるりと踵を返す。
そして首だけ振り返り、問いかけた。
「勇士よ。名を聞いておこう」
「ゴドフロア。ゴドフロア・ド・モンフォール」
「覚えたぞ、勇士ゴドフロア」
魔族は軽く跳び上がると、宙へと浮かんだ。
そしてそのまま重力を無視するよう、空の彼方へと凄まじい速度で飛んでいった。
その姿を、ゴドフロアは無言で見送る。
彼の表情は未だ苦々しいままだった。
同じ頃、砦前。
害獣や鎧装猪が入り乱れる戦場は、地獄絵図と化していた。
辺りには人と獣の骸が散乱して混ざりあい、臓物の海がそこには生まれていた。
それらは他の魔族達に踏み荒らされ中身をぶちまけて、所々に血だまりを作り出している。
辺りには悪臭が漂い、まるで地獄に迷い込んだかのような惨状が広がっていた。
そのような中、必死になりながら魔族の猛攻を凌ぐ兵たちの姿があった。
「ひい、ひい」
涙を流し、顔を歪め、血まみれになりながら槍を振るう彼らの姿は悲惨と言って良かった。
もう力も尽き果て本能だけで槍を振り回す、それだけの動物に成り果てていた。
そんな彼らを食い殺そうと次々襲い来る鋼の獣達だったが――
ぴくりと、全ての魔族が顔をもたげた。
まるで聞こえない何かの声を聞いたように、一斉に耳を澄ますような仕草をしていた。
「……なんだ?」
唐突に弱まった圧力に、兵たちも思わず手を止めた。
殺意の塊から、従順な家畜になったように姿を変えた魔族に、彼らは攻撃も忘れその様子をただ眺めていた。
そして魔族たちは唐突に、まるで今までの事が何も無かったかのように駆けていく。
自分たちがやってきた方向へと一目散に。
「帰っていく……?」
助かったのか、と兵たちはへなへなとその場に座り込んだ。
血に浸かるのも忘れてただ座る。
そこでようやく、彼らは自分たちが疲労の海におぼれている事を自覚した。
もはや立つ気力も体力もなく、兵士たちはただそこに座り込んでいた。
「助かったのか、俺達は」
そこに勝利などという発想は無い。
ただただ今を生き延びた。
その実感だけが、兵士たちの胸の内を支配していた。
対照的に騎士達は、困惑した面持ちで通信を受け取っていた。
彼らは近くに居た者達と顔を見合わせ、互いに目配せをする。
そこには何故こうなった、という疑問符だけが浮いていた。
「司令の言う事ではあるが」
ぽつりと漏らした声も、複雑な感情が含まれていた。
驚き、疑問、安堵。
それらが綯い交ぜになり、間抜けな声色を作り出していた。
「魔将と遭遇し、そいつがまた攻めてくると宣言して撤退していったって」
「魔族の考える事だ、わからん」
魔族は人類にとって不倶戴天の敵であり、また理解不能な存在。
一般的にはそう思われていた。
「とりあえず、一区切りって事でいいんだろうな」
「そう願いたいね」
騎士達もゆっくりと、砦に戻っていく。
砦の遥か先、その彼方からは一際大きな騎士が歩いてくる姿が見えた。
総司令官、ゴドフロアその人であった。
彼は存在感を誇示するように、緩やかに力強く砦へと進んできていた。
――ひとまず、戦いは終わったんだ。
その姿に、砦の者達全ては同じ気持ちを共有していた。
だが何も終わってはいない。
重たい足を引きずるゴドフロアだけはそう理解していた。
魔将ゲーザ。
その来襲が決まっている以上、滅びが先延ばしにされただけだと。
歴戦の騎士は破滅の未来を確かに感じていた。
対魔王戦線・第113前線区。
その滅びが訪れる前の、静かな休息の時間だった。




