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第63話 祈祷所の惨劇

 その日、フィリップ・ルノーは人生最悪な日だと頭を抱えた。


 フィリップはダラマトナの衛兵、その分隊長であった。

 十五の頃に衛兵の一員として加わってから、真面目に勤め上げて早二十年。

 壮年となった体が徐々に衰えを感じ始め、後進をどうするかという悩みが頭をもたげる歳頃。

 これ以上も望むべくもなく、日々街の平和を守る為、彼は仕事に邁進していた。


 防衛隊が外からの脅威に対抗する民兵集団ならば、衛兵は内の犯罪に対する参事会が抱える公的な組織であった。

 彼らが対応するのは魔物ではない。

 人の犯罪者であった。

 喧嘩の仲裁や酔っ払いの対応、そして稀に起きる殺人事件の捜査。それが彼の日常的な仕事であった。


 しかし、今日舞い込んできたのは、その稀に起きる事件の中でも、とびきり異常な代物だった。


「なんなんだよこりゃ……」


 殺人事件の通報。

 その現場の異常さに、フィリップは絶句した。




 通報が有ったのは朝方。

 皆が起き始め、動き始めるような頃合いだった。


 祈祷所へ奉公に出ている一人の人間(スプレム)の少女が、その門扉を叩いた。

 しかし、返事が無い。

 いつもであれば頼もしくそこを守る神殿騎士がにこやかに応対してくれるはずだった。

 だが何度叩いても、帰って来るのは静寂だけ。

 彼女は不思議がって家へと戻る事にした。


 少女が戻った後、不審がる両親が彼女と共に再び祈祷所を訪れる。

 そこには、やはり同じように不審なものを感じたのだろうか、何組かの親子がそこを訪れている様が見て取れた。


 彼らも応対を求めるが、やはり返事が無い。

 いよいよもってこれはおかしいと大人たちは感じ、詰め所へと通報が為されたという訳だった。


 本来神殿や祈祷所内での犯罪の場合、その捜査は光神教の審問官が行うのが通例であった。

 しかし今回の場合、その大本である祈祷所と連絡が取れない。

 そうなると市の捜査機関である衛兵にお鉢が回ってくるのが当然の流れだった。


 いつもなら、うちが逆にあっちに頼み込む側なのにな、と、フィリップは訝しんだ。 神殿絡みの事件の場合、衛兵側に通報があっても即座に審問官へ引き継がなければ、越権行為として色々と問題が起きるのだ。

 権力構造的には光神教が圧倒的に上であり、彼らが侵して良い領分ではない。

 立ち入り無用とばかりに出しゃばるな口を挟むなと言われるのが常であった。


 通報を受けた衛兵隊は、即座に捜査を開始する。

 勿論その責任者はフィリップであった。


 詰め所を出る段階では、まだ彼は楽観視していた。

 何か異常が有ったんだろうが、自分たちに手が負える範囲ならいいなと呑気に考えているくらいだった。


 しかし祈祷所内に踏み込んで、その異様な雰囲気を感じた時。

 フィリップはこれが只事ではないと理解した。


 人の気配が、あまりにも無い。


 まるで無人の廃墟のように静まり返り、生活の臭い――ばたばたと歩く音や微かな香の臭い等がまったく感じられない。

 人々の憩いの場である祈祷所とは思えぬ、ひんやりとした空気感。


「慎重に行くぞ」


 引き連れた数名の部下達にそう告げる。

 皆一様に槍を構え、敵に備えじりじりと進む。

 一体どんな危険が潜んでいるか分からないのだから。


 結果から言うと、その心配は杞憂に終わった。

 しかしその代わり、理解に苦しむ異様な状況に出くわす事となった。


 彼らが見たのは、廊下や部屋、祈祷所でばらばらになるように死んでいる巫女たちの姿であった。


 そのどれもが酷い有り様であった。

 両足は潰され、腹は中が破裂したのか大きく膨らんでいる。

 顔面も目は潰され顎は砕かれ、若い者達は思わず目を逸らすような惨状だった。中には堪えきれず戻してしまった者すら居る。

 しかしその中で唯一、手だけが無傷なのが逆に恐ろしく、この事態の異常さを表していた。


「一体」


 掠れた声で、フィリップは一言絞り出す。


「何が起こったと思う?」


「わかりませんよ、こんなの」


 部下の声も震えていた。


「人間業じゃない。魔族でしょう、ここまで酷い事ができるのは」


「とりあえず防犯記録を調べるしかないな」


 既にそれは部下に指示してある。

 本来なら神殿騎士達が詰めて立ち入れぬ祈祷所の警備室も、今は彼らが入る事ができた。

 というより入らざるを得ない。

 当の神殿騎士達も全員殺されているからだ。


 抜刀すらせず、外傷も無く、眠るように全員死んでいた。

 ある者は椅子に座ったまま、ある者はその場で崩れるように、死んでいた。

 一体どうすればこのような事ができるのか、皆目見当すらつかなかった。


 呪いでも受けたのか、とフィリップは真剣に考えた程だった。

 忌々しい事にその呪いの専門家達が今ここで全員死んでいる。

 今すぐに原因を究明する事はできそうにもなかった。


「隊長」


 防犯記録を調べるよう指示した部下が、フィリップの下へ戻って来る。

 彼の顔はどこか困惑したような表情を浮かべており、その様子に何か不吉なものを感じずにはいられなかった。


「どうだった」


 嫌な予感を押し殺しながら、報告を聞く。


「何も有りませんでした」


「何?」


 そのような部下の報告に、フィリップは思わず聞き返す。

 そんな事があり得るはずが無い。


「きちんと記録(ログ)を調べたのか?」


「調べましたよ、勿論」


 青白い顔で、彼はそう言う。


「でもそもそも無いんですよ、記録が」


「どういう事だよ」


「来てみてくださいよ。一発で分かりますから」




 警備室で情報閲覧端末(アルカナ・ロール)を必死に捲るフィリップは、己の目がおかしくなったのかと思わず自問自答した。


「無い、無い、無い」


 次々とスワイプし、情報を流す。

 しかし、何処にも無い。




 ()()()()()()()()()()()()()()()()




「こんな……こんな馬鹿な事有るのか!?」


「だから、信じられないでしょう?」


 もし何かが侵入してきて、この惨状を引き起こしたとして。

 それならば、必ず探知に引っかかるはずなのだ。


「ここに設置されてるのは、最新型だよな?」


「そりゃ光神教の建物ですから、そうですね」


 部下は頭の中の記憶を必死に引っ張り出し、そう答える。


「深層魔力探知式を採用した最新鋭の防犯システムが使われてるはずですよ」


「なら幽霊(ゴースト)みたいな精神体(アストラルボディ)だったとしても逃れる事は不可能なはずだ」


 魔力探知式の防犯システムは、この世界に遍く全ての物体に魔力が宿る事を利用したものであった。登録外の魔力反応を検知した場合即座に発報し、対象の魔力波長を記録して詳細な分析を行う、まさに鉄壁の防犯システムとなっていた。


 このシステムから逃れられるものは、理論上この世界には存在しない。


 だというのに、なんの反応も無かったという。

 つまりこれは昨夜ここには何者も侵入してこなかったという話になる。


 だったら、巫女たちは何故あんな酷い目に?

 どうやってやった?


 巫女の様子は明らかに暴行を受けた後であった。

 直接的な暴力。

 それを何度も目にしてきたフィリップには、一発で解った。


 だから何者かが侵入してきて彼女らを襲ったのだと、最初は思った。


 しかし騎士は動かず、呪い殺されたように死んでいる。

 故に外部からの呪殺かと考える。


 そうなると何故巫女だけ直接的に殺害したのかが理解できない。

 二つの死体群が示す殺しの手法の差に、一体何の意味があるのか。

 フィリップの常識的な頭では、到底理解が及ばなかった。


「屋内を調査したところ」


 別の部下が、さらなる報告を齎す。


「警備用探査機器の大半が破壊されているのが見つかりました」


「そいつの所為か?」


 予め防犯システムが破壊されていたのであれば、記録が無いのも頷ける。

 フィリップもそうか、と納得しかけたが。


「いえ、極一部、見つかり辛い部分のものは無事でした」


 報告する本人自身も、その結果に困惑気味の様子であった。


「全部が壊れていたなら納得できるのですが、生き残った探知機を避けて動いたのでしょうか」


「わかるかこんなもん!」


 フィリップは頭を抱えて叫ぶ。

 何もかもが奇妙で、異様で、異常だった。

 こんな事件を目の当たりにするのは生きてきて初めてであった。


「一体何が起きたのか教えてくれよ……」


 その呟きは、フィリップの心からの言葉だった。

 彼の手には完全に余る。


 途中で出張って来て邪魔しそうだな、と思ってた駐屯地の王国(エタ)の連中も何故か梨の礫でなんの動きも無い。

 出てきたら体よく押し付けようと思っていたのに、こういう時に限ってやってこない。

 それが逆に不気味だった。


 とりあえず調べるだけ調べて、後は首都から来る審問官にでも丸投げしよう。それがいい。


 そう割り切ってとにかく現場の情報を集めようとフィリップは考える。

 それを纏めてから参事会に報告し、応援を要請しようと。



 結果的に、応援が来る事は無かった。

 というよりも、要請する事ができなかった。

 このダラマトナ最悪の虐殺事件は、記録にすら残らなかったのだ。


 ダラマトナ最悪の日はこうして明けた。

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