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第60話 化性の糧

 シリバの葬儀は、二日後に行われた。


 有り難い事に、祈祷所から葬儀の人員をすぐに手配するという話が来たが――当然の如く固辞するに至った。

 生きている間は人間(スプレム)優先と奇跡を出し惜しむのに、死んだ後に喜捨を求めに来る時だけは、種族を問わず最優先らしい。


 近所の人々の手を借りて、トト達は簡素な葬儀を執り行った。

 葬儀と言っても、棺に納め別れを告げ、火葬場に運ぶ。それだけの事だった。


 シリバの遺体は、最低限の体裁が整えられ、その凄惨さを僅かばかり減じていた。


「これくらいはやらせてくれ」


 施療院の先生が彼の身を整えてくれたのだ。

 先生はシリバの遺体を棺へと収めると、肩を落とし帰っていった。

 彼も辛いのだろう。

 助けられるなら助けたいと考えていたに違いない。


 参列者達は、次々とシリバの遺体へ、手に持った花をその体へと添えていった。

 それが最後の別れの挨拶だった。


 涙も枯れ果てた顔で、トトも棺の中に花を手向ける。


 棺の中のシリバは、静かに眠っているようだった。

 朝方の眠りのように、なんの煩悶も無く安らかに、静かに。

 永遠の眠りに身を浸していた。


 ねーちゃん、という無邪気な声を思い出す。

 その声が二度と聞けない事を実感し、枯れたはずの涙がまた溢れ出した。


「シリバ……」


 トトはその頬を優しく撫でる。

 温もりの抜けた冷たい感触は、しかしそれでもやはり弟のものだった。


 母であるローネの姿は、トトよりも更に痛ましいものだった。

 末弟妹は行方不明になり、長男は酷い傷を受け治療もしてもらえずに死に果てた。

 それはこの体の弱い婦人から気力を奪い去るのに十分な衝撃であった。


 最早自分の力で立つ事も出来ず、脇には付き添いで獣人の男性達が肩を貸していた。よたよたと息子の棺に進んでいく姿を見ていられず、何人かの参列者は思わず目を逸らした。


 表情からは完全に生気が抜け落ち、ただ深い絶望だけが張り付いていた。


 彼女の心の中には、後悔が渦巻いていた。


 どうしてあの時、あんな事を言ってしまったのだろう。

 ほんの少しでも自分が感情を抑えられていたら。

 そうすれば、シリバはこんな目に遭わずに済んだのではないか?


 彼女が覚えている息子の最後の姿は、家の扉を開け放ち出ていく背中だけだった。

 その顔すら見ることができなかった。

 自分が最後に見た息子の顔はどんな表情だったか。


 きつい言葉に耐える、悲しみを堪えた顔ではなかったか。


「ああ……シリバ!」


 ローネは棺に縋りつき、号泣した。


 思い出せるのは、息子の悲しい姿ばかり。

 そのような姿しか、強く頭に焼き付いていない。


 どうして、どうして。


 そんな言葉ばかり、彼女の頭の中をぐるぐるとしている。


 どうして自分はあんな事を。

 どうしてこの子がこんな目に。


 無限に押し寄せるどうしてという感情が、彼女を押しつぶそうとしていた。


 棺にしがみつくようにして離れないローネの姿を、誰もが無言で見つめていた。

 いったい彼女にどのような声をかけられるというのか。


 ザバとカロの二人も未だに消息は掴めない。

 防衛隊に行方不明の報は届けられたものの、これまで誘拐事件の犠牲者が見つかった例は皆無であった。

 誰もが口に出さないが、二人は亡くなったものと、そう思っていた。


 どれだけ泣き続けただろう。

 力なく倒れ伏すローネを、周りの者たちが引き起こす。


「シリバ、シリバ……」


 うわ言のように息子の名前を繰り返す彼女を下がらせ、椅子に座らせた。

 椅子の背にもたれかかるローネは最早自らで体を起こす事すらできない。

 できの悪い人形のように、そこに乗せられているように見えた。


「旦那さんが亡くなって、子供まで」


「神はローネから一体どれだけのものを奪うおつもりなのか」


 参列者達は口々に、彼女の不幸を嘆いていた。

 ローネの夫は前回の大戦(おおいくさ)で徴兵され、帰って来なかった。

 それから女手一つで、貧しい中子供達を育て上げた。慎ましくも、懸命に。

 その結果がこれでは、あまりにも報われないだろうと、皆が思った。


 未来が棺へと近づく。

 その手に持っていたのは、ローネが彼の為に作った作業帽であった。


「少し、早いかもしれないが」


 丁寧に、シリバの頭に作業帽を被せる。

 少し大きなその帽子が、ぴったりと収まる時はもうやってこない。

 本来であれば窮屈そうに帽子を被り、汗水を流しながら鍛冶場で剣を鍛える未来も有ったはずだった。

 帽子の横に刺繍された名が、誇らしげに彼が誰であるか語ってくれるはずだった。

 しかしそのようなあり得たはずの未来は、無惨にも奪い去られてしまった。


 未来は静かに空を仰ぐ。

 そこには抜けるような青空と、気ままに流れる雲。そして燦々と輝く太陽があった。

 何一つ変わらない、いつも通りの光景。

 しかし今この家族にとっては、きっと特別な空だった。

 この果ての天の国にシリバがきっと居るのだと、トトとローネは願うのだろう。

 そこは苦痛のない幸せな場所だと。


「私は」


 未来はぽつりと呟く。


「いつも間に合わないな」


 ポンスはその様子を痛ましい表情で見つめていた。

 この人間(スプレム)の少女は、この一家と懇意にしているのを彼もよく知っていた。自分たちを亜人(ミノール)と蔑まず、ただ同じ友として接してくれた。そんな彼女はこの家族の次に心を痛めているはずだと、容易に想像ができた。


 見ちゃおれん。


 顔を背けようと身を翻したポンスは、視界の端の少女の顔に異様なものを見た気がした。


 それは、悲しみに暮れる目ではない。


 無機質で全てを貫いていくような透き通った目。


 ただ冷徹に、為すべき事を如何に達成するかを計算する、機械のような視線。


 そして、世界を壊す程の溢れんばかりの意思。


 ぎょっとして、思わず振り返る。

 そこに居たのは変わらず悲しみに耽る少女の姿だった。


 ――気の所為か。


 ポンスはそう思おうとした。

 しかしどうしても、先程の表情が脳裏に焼き付いて忘れられないのだ。


 人はあれほどまでに恐ろしい顔を形作れると知ったのは、今日が初めてであった。




 火葬場で、槌の音が響く。

 釜で焼かれたシリバの骨を、砕いているのだ。


 かつて伝説に謳われる、魔族との戦争の黎明期。

 まだこの頃人は遺体をそのまま埋葬していたという。


 しかしある時、魔族がその死体を操り、大軍勢と成して人類に仇なした。

 俗に言う、【死者の都】のおとぎ話である。

 それから光の民はその遺体を可能な限り焼き、骨を砕き魔族に利用されぬようになったという。


 実際戦場で放置された遺体が死者兵(グラス・モール)として魔族に利用される事例は現代でも多発していた。

 これは単なるおとぎ話ではない。後世へ向けた警句なのだ。


 人としての尊厳を守るために、その手で遺体を砕く。

 あまりにも皮肉で悲しい行為だった。


「こんなにちっちゃくなっちゃったです」


 箱に収められたシリバの遺骨――最早骨の名残すら見えない程に砕かれているが――を手に持ったトトが、寂しそうに言う。


「こんなに軽くなっちゃったら、笑われるですよ……」


 ぎゅうっと胸元で箱を抱えるトトを、未来は抱きしめる。


 少女の体は大柄ではない未来でも抱えられる程に小さいと、改めて実感した。

 震える少女の体を感じながら、未来は呟く。


「足りないのは、決断と早さか」


 未だ至らぬ少女は、学んでいく。

 学んでしまう。


 召喚されねば、未来永劫【人類史上素手で最も多くの人間を殺した最強最悪の怪物(ヴィラン)】と呼ばれ恐れられ、また一部では崇拝されたであろう彼女は。


 その歴史をここでも再現するかのように、糧を得る。

 怪物の餌は善意以外のそれであると誰もが知らなかった。

 彼女の前にそれを並べてはいけなかったのだ。


 天音寺未来は自らの未熟を恥じ、殺意と暴力の向ける先を、ゆっくりと見定めつつあった。


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