第59話 信仰
ダラマトナの祈祷所は、その名からは想像もできぬ勇壮な姿を誇りながら、街の中心部に異様な存在感を感じさせ建っていた。
白く磨き上げられた石の如き建材はこの神の家の荘厳さをさらに引き立て、見る者に畏敬の念を抱かせた。
その大きさは【祈祷所】などという、言葉から受ける細やかな印象を完全に覆す大きさであった。
街の如何なる場所からでも仰ぎ見ることができるほど巨大なそれは、現代の地球人が見れば、辺鄙な田舎に不釣り合いな巨大ビルディングが建立されているように感じるだろう。
日中であればまばゆい太陽の光を反射し、神々しいばかりに輝き。
夜間は月明かりを受け、神秘的な美しさを醸し出す。
それは完璧なまでの信仰のシンボルであった。
未来達がそこに辿り着いた時、祈祷所では地獄絵図が展開されていた。
祈祷所に入ってすぐ、広いホールのようになったそこにはざっと見て十人以上だろうか、幾人もの重症者が横たわっていた。
ぐったりする者、「うう」というような僅かな呻きを漏らす者、既に意識無く転がっている者。
惨憺たる有り様であった。
「これは、どういう事ですか」
なんでこんなに怪我人が?
トトの頭は予想もしない光景に混乱した。
「何処にでも馬鹿は居るという事だろう」
未来はその醜態を冷ややかな視線で見つめていた。
夜間外出の危険性を説くお触れは、街の隅々に至るまで公布されていたはずだ。
それにも関わらず外へと繰り出すのは、まさに子供のような愚かさであろう。
未来はざっと辺りを見回す。
一刻も早く、奇跡とやらでシリバの生命を繋いでもらわなければならない。
「私自身は神というものを一切、まったくと言って良い程アテにはしていないが」
ぽつりと、未来は呟く
「それでもシリバが救われるなら、今は頼るべきだ」
「多分大丈夫ですよ」
トトは、無理矢理な笑顔を浮かべながら笑う。
泣きそうになりながら、笑う。
「奇跡は凄いんです。だからきっとシリバも助かるはずです」
「ああ」
未来はそんなトトを安心させるよう、優しく頷いた。
「そうだな。そうに決まっている」
ホール内を忙しく動く巫女の一人に、未来は声をかけた。
「すみません、重症者が居るのです」
彼女は静かに、柔らかく彼女へとそう告げる。
「奇跡のお力で、助けてはいただけませんか」
「それは、さぞ不安だった事でしょう」
巫女は沈痛そうな表情を見せ、祈るような仕草を取る。
「神の御力に限りはありません。死という天への旅路に向かったもの以外であれば、如何様な状況でもたちどころに復活する事ができるでしょう」
「お願いです、弟が死にそうなんです!」
トトも縋るように、巫女へ訴えかける。
涙を流すこの少女の様子を見れば、万人が哀れみを覚えるであろう。
だが、巫女は訝しげな表情を作り、未来に問いかける。
「もしや、祈りが必要なのは獣人なのですか?」
その言葉に、黒髪の少女は嫌な予感を覚える。
「そうです。歳の頃はまだ10ほど。このままでは、幾許もなく体力も尽きる。一刻も早い治療が必要なんです」
「そうですか」
巫女は目を伏せ、一言告げる。
「獣人が祈りを受けられるのは、早くても明日の昼過ぎとなります」
残酷な、一言だった。
「それでは間に合いません」
未来が感じるシリバの様子は、既に限界近くだった。
既に己を保つ力すらなく、彼女の両腕にその重み全てを委ねていた。感じる脈は弱々しく、早い。すぐこの場で奇跡とやらを見せて欲しい状況だった。
「お願いします。今すぐこの子には助けが必要なんです」
「残念ながら、順番が有るのです」
「それを待っていては助からないと、私は言っている」
「なりません」
巫女はきっぱりと、はっきりと言った。
厳然と、侵すことの出来ない決定事項とでも言うように。
「亜人への祈りは人間に全ての祝福を注ぎ終わって後。それは幾年月も前、神が我らを作り給うた頃より変わらぬ戒律なのです」
巫女は手を大きく仰ぎ、ホールの中を見渡す事を促すように動かす。
その先には、寝転がる者達が居る。
そして良く見ればそれは全員人間であった。
獣人はただ一人も居ない。唯一、シリバのみだった。
「神はまず人間を作り給う」
謳うように巫女は告げる。
それは彼らの聖句であった。
「然る後、人間を助ける為亜人を作り給う。人間は亜人の主人にして、永遠の君主也」
彼女は、その言葉を平然と告げる。
生まれながらの差別を当然のように告げる。
それがどれだけ醜悪で滑稽な事かを理解できるのは、この世界の理から外れた未来のみであった。
「神は人間を愛し給う」
巫女の手が胸に添えられ、その手が天に翳されるように上へ、掌を天に向けて突き上げられる。自らの信仰が、神に届くようにと。
「亜人に届きし愛は、そこから溢れた人間の慈悲のみ」
故に、と。
「その少年の祈りは、全ての人間の後でなければならないのです。神の御心のままに」
馬鹿な、と未来は辺りを見回す。
寝転がっている人間は確かに深手のものも居る。
しかしどう見ても、シリバほど切羽詰まっている人間は存在しない。
ぱっと見た限り一番重傷そうなのは骨盤骨折を起こしている中年の男性か。内臓までの損傷の可能性も有るが、今すぐに死ぬ程でもない。
少なくとも、順番を一人繰り下げて生命を失う事は無いだろう。
だと言うのに。
「お前は、何を言っているんだ?」
未来は信じられないものを見たとでも言うように、目を見開いていた。
それはトトが初めて見るかもしれない、彼女の驚愕した姿だった。
「この子はすぐに処置しなければ死ぬ。理性による状況判断と、感情的な良心の帰結。その二つがお前には備わっていないのか?」
「それが神の定められた理故」
巫女は僅かばかりも動揺せず、そう返した。
「お前は……お前達は」
目眩のように体がぐらつく錯覚をその身に感じながら、未来は絞り出すように口にする。
「自ら判断する事すら放棄するというのか?」
「信仰とはそのようなもの」
彼女は両手を組み、目を瞑る。
その瞼の裏に映っているのは現世ではない。
彼女が想う、神の国の姿であった。
「疑わず、全てを捧げる。それこそが、私達の人生なのです」
「いやです、助けてくださいです!」
トトは泣き叫んで、巫女に縋った。
今の彼女は、いつものしっかりとした社会に揉まれた一人の大人ではなく。
ただ弟の身を案じ、失う事を恐れる普通の少女になっていた。
「シリバが死んじゃうです! お願いです!」
うわあああ、という泣き叫ぶ声が、ホールに響き渡った。
「身の程を知りなさい、亜人」
巫女は冷たい口調で、トトを引き離す。
強い力ではなかった。
しかし決別を表すように、はっきりとした動きだった。
「神がそう定められたのです。弟が亡くなるのであれば、それは運命というものでしょう」
踵を返し、巫女は奥に戻っていく。
その後姿に、未来は問いかけた。
「最後に一つだけ聞く」
――それがお前達の総意という事で、いいんだな?
先程となんら変わらぬ、少女の声。
そのはずなのに。
それが恐ろしい圧を伴っているように、巫女には聞こえた。
「……なんと言われようと、変わりません」
巫女は去る。
ただ、足早に。
「明日の昼までその生命が持つ事を祈りなさい。そうすれば、助かるでしょう」
そんな言葉を残し、去っていった。
後に残されたのは、泣きじゃくるトトとただ立ち尽くす未来、そして生命の炎が消えようとしているシリバだけだった。
「……戻ろう」
一言、未来が告げた。
「家に、シリバを連れて帰ろう」
トトは無言で頷く。
未来の制服の端をぎゅっと掴んで、後に続いた。
絶望的な家路を、二人は歩く。
その歩みは重く、遅い。
まるで鉛でも背負っているかのように、足が進んでいなかった。
「シリバ、シリバ」
トトは弟の――既に形を留めていない――手を握りしめる。
彼女も理解していた。
最早別れは近いと。
その姉の思いが届いたのだろうか。
シリバが、うっすらと目を開けた。
「ねえちゃん……」
弱々しく一言。
彼はトトを呼ぶ。
「シリバ!」
ああ、これが最後だ。
トトは漠然とそう悟った。
「なんでこんな無茶したですか! どうして、どうして!」
そんな嘆きも、シリバには届いていなかったのか。
彼は続ける。
「ねーちゃんに薬草……みんなで取って……」
ハッハッと呼吸がどんどん短くなっていく。
彼が見ていたのは、きっと天に瞬く星ではなかった。
温かい家族の団欒。
母が居て、弟たちが居て、そして姉が居る。
そんな当たり前に有った光景だった。
その時、確かに彼はそこに居たのだ。
あの温かい家に。
未来はただシリバを優しく抱きしめた。
慈しむように、しっかりと。
「頑張ったんだな、偉いね」
最後の労いの言葉。
例え愚かな行為であったとしても、その心は尊いものだったと。
未来から末期の少年に送る勲章であった。
「皆喜んでいる。だから」
少年の体から力が抜けていく。
「がん、ばって、ね、ねーちゃん……」
最後の息を吐き出すように、シリバはそう告げて。
幼い生命を散らした。
暗い路地裏に、姉の張り裂けるような慟哭だけが響き渡る。
シリバの骸を抱きしめ、トトの頭を撫でる未来の瞳は――
恐怖を感じる程に、爛々と輝いていた。
天の星がそこに宿ったように、輝いていた。




