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第58話 命の刻限

 三人の間には、気不味い沈黙が流れていた。


 喚き疲れ、ただ静かに涙にくれるローネ。

 げんなりとした表情で壁にもたれかかるポンス。

 そんな二人をおろおろと眺めるトト。


 時間の観念が薄くなり、もうどれだけ経ったのか、トトにはまったく分からなかった。

 ちょっとだけのような気もするし、物凄い長い時間こうしていたようにも感じる。

 わかるのは、なんとも居心地の悪い空気が場を支配し続けているという事だけだ。


 ――頼むから、早く帰って来るですよミク!


 なんとも微妙な表情をしながら、トトは後輩が帰って来るのを待ちわびていた。




 バタン!という、衝撃音。


 玄関から放たれたそれは、扉が開け放たれた音だった。

 勢いよく壁まで打ち付けるように開かれたそれが、驚く程に大きな音を生じさせた。


「ミク!」


 開いた扉の先、そこに居た少女の姿に、弾かれるようトトは声を上げた。


「良かった、シリバも――」


 彼女の腕の中に居る弟の姿に、トトも安堵する。


 思わず駆け寄ろうとした獣人の少女は、異変に気づいた。

 マントのような布に包まれた弟の顔は生気が無く、まるで蝋のように青白い。

 そしてそのマントからも隠しきれない血の臭いが漂っていた。

 虚ろな目は何も映してはおらず、口からは軽く空気が漏れる音しか聞こえなかった。


「重傷だ」


 簡潔に、未来は告げる。


 その言葉にポンスとローネも息を呑む音が聞こえた。

 言葉に詰まる、というのがまさに相応しく。

 二人は、シリバの様子に絶句していた。


「何処に連れていけば良い」


 未来は冷静に問い返す。

 端的に、必要な事だけを聞く。

 戯言は無用とばかりに。


「施療院に」


 トトも一言、結論のみを答えた。


「施療院に連れてくですよ。一緒に行くです」


「わかった」


 呆然とする大人二人を置いて、少女たちは家を出る。

 大人たちが年輪と共に失った行動力。

 しかしそれを持ち合わせている若い二人は即座に動き始めていた。


 未来は既に知っている。

 ゲームにある回復ポーションのような都合の良い治療手段はこの世界に存在しない事を。


 そしてニノン達が魔法でもそれはできないだろうと、大凡想像はついていた。


 もし可能ならニノンの言う伝統派魔法使いが落ちぶれるなどという事はあり得ない。

 傷病を癒せる手段を持っているのなら、重宝されないはずが無い。


 生命という一つしかないリソースを永らえさせる技術。

 それは古今東西あらゆる場所で粗略にされず、秘伝にすらされて大切にされてきた。

 世界が変わろうとその価値観までは変わるまいと未来は考えていた。


 治療技術に関してこの世界がどのような水準に有るのか、詳しい事情はまだ未来も知らなかった。

 トトやローネがすり潰した薬草を患部に塗りつける所や生薬を煎じて飲む所は見たことが有り、漢方やアーユルヴェーダに近い医学が民間には流布しているのだろうと推測するのみだ。


「施療院に行けば、シリバは助かるのか?」


 足早に歩きながら、未来は再び端的に問う。


「わからんです」


 対するトトの答えもまた簡潔にして、不明瞭だった。


「一応、怪我をした時は施療院行くですよ。包帯巻いてもらったり、薬出してくれたりはするです」


 そう言って、トトは不安そうに未来を見上げた。

 いつも明るい表情を浮かべていたその顔が、今は気弱そうに見える。


「……シリバは、悪いですか?」


「良いとは言えない」


 未来は若干言葉を濁した。

 瀕死の重傷である事をこの少女に叩きつけるのは、余りにも酷だと判断したからだ。


「今は一刻も早く治療する事が重要だ」


「ですか」


 未来の言葉に、トトは何も言わない。

 ただその顔が緊張したものに変わったのを、未来は見逃さなかった。


「施療院はあとどれくらいで?」


「すぐ着くです。そんな遠くないです」


 言葉通り、施療院はトトの家から然程遠くない場所に有った。

 レンガ作りのその建物は、一見すると治療施設には見えない家屋の一つでしかなかった。


「先生、開けてくださいですよ!」


 トトが扉を小さな拳でどんどんと叩く。


「弟が大変なんです! 早くです!」


 その叫びに呼応するように、ドアの奥からどたどたとした足音が聞こえる。数拍して開かれたドアの奥に居たのは、壮年の獣人の男であった。引き締まった体格の者が多い獣人には珍しく、やや太ましい体型のその男は、少し眠そうな目をこすりながら扉から顔を出した。


「なんだ、騒がしい。急患か?」


「先生、弟が怪我したです。見て欲しいです」


 先生と呼ばれた男はふむ、と一声唸ると、二人に中へ入るよう促した。


「とりあえず見てはみるが、あまり深手なら何もできんぞ」


「ありがとうです!」


 喜びながら施療院の中へと入っていくトトの背中を、未来は冷静に見つめながら後へと続く。


 深手。

 その深手とは、どこまでを指すのか。


 彼女の額に、じんわりとした汗が滲む。

 もしトトがそれを見れば驚きに目を見開いただろう。

 いつでも飄々として余裕を持った態度を見せている彼女が、明確な焦りを見せている事に。


 施療院の中は、未来が考えるよりも清潔であった。

 院内の壁は白く統一されており、清潔感を覚えるものとなっていた。

 作りもしっかりしており、成る程ここは病院だなと思わされる。

 この時点では、彼女の期待以上のものが出てきたと言っていい。


 腕の中のシリバは、呼吸が浅くなりつつあった。

 危険な兆候であった。

 この少年に残された猶予は少ない。


「とりあえずそこの診察台に置いてくれ」


 先生と呼ばれた男は、くいと指でそこを指し示す。

 そこには木製のベッドらしき台が存在していた。

 未来はシリバの体に負担がかからぬよう、慎重に、静かに彼を診察台へと寝かせた。


 そしてゆっくりと、包まれていたマントを外す。


「な…………」


「シリバ!」


 二人がシリバの姿を見た時、想像を遥かに超える惨状に言葉を失った。

 ずたずたになった四肢は、最早用を成さぬのが一目でわかる。

 腹に巻かれた布からは血が染み出しており、深手であるのが容易に見て取れた。

 その他、爪傷や噛み跡などは数え切れぬ程存在していた。



「うう……」


 ここまでとは思っていなかったのだろう。

 トトの目に、涙が浮かぶ。

 それはぽろぽろと彼女の柔らかい頬を伝い、床へと落ちていった。


「こんな夜にいきなり来るから、それなりとは覚悟してたが」


 先生が、思わず髪を掻きむしる。


「ここまで酷いなんて想像もしてねえよ! どうしようもねえよ、ここじゃ!」


 怒り半分、嘆き半分。

 無力な男の声が、室内に響き渡った。


「駄目、なんですか?」


 ただ一人、未来だけは冷静に言葉を続ける。

 まるで動揺を感じさせないように。


「少し切った程度なら縫えもするが、ここまでじゃ俺にはどうにもならん」


 きっぱりと、彼は断言する。

 それは無責任な治療の放棄ではない。

 自らが出来ぬ事を出来ないと言うのは、医師の義務である。

 見栄と保身の為に適当な治療をされる事が患者からすれば一番恐ろしいのだ。

 例え不出来なヤブ医者と罵られるリスクを負ってでも、出来ぬと言うのはむしろ信用できる証拠であった。

 少なくとも未来はこの男の言う事は信用してもいい、そう感じていた。


「もう手は無いんですか?」


 だから、重ねて聞く。

 どうするべきかと。


「うちでは無理だが」


 険しい顔で、先生は言う。


祈り(オラティオ)ならば、おそらく」


祈り(オラティオ)……光神教の、奇跡という奴ですか?」


「そうだ」


 その存在は、かつてトトより聞き及んでいた。

 魔法と対を成す、この世界もう一つの異能。

 今まで一切触れてこなかったそれが、今や縋るべき唯一の手段という。


「であれば、祈祷所に行けばいいんですね?」


「ああ」


 だが先生の表情は、依然として険しいままだった。


「巫女の祈りが奇跡として届けば、なんとかなるかもしれないが」


「わかった、ありがとうございます」


 未来は再びシリバを抱える。

 一刻の猶予も無いと、彼女は誰よりも理解していた。


「トト、行こう。祈祷所だ」


 トトはぐしぐしと乱暴に涙を拭うと、先生に一礼した。


「夜遅く、ごめんなさいですよ。ありがとうございました」


 そうして二人の少女は、焦るように施療院を後にする。

 そんな様子を先生は悲しげに見つめていた。


祈り(オラティオ)を受けられれば、助かるだろうさ」


 天井を仰ぎ見る。そこには仄明るく輝く灯りだけしか見えなかった。

 残念ながら、天の果てに居るという神の姿は捉えられそうにない。


「受けられるならな……」


 彼の呟きは、誰に届く事も無く治療室に響き渡るだけだった。

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