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第57話 月下舞闘

 天音寺未来は、廃墟区へ向かいひた走る。

 シリバが家を出たのはかなり前の事だという。


「急ぐ必要が有るな」


 彼女は走りを速めるも、結局は人の足でしかない。

 馬より速く走れる訳もなく、出来る事は最短ルートを取る事くらい。


 しかし今の彼女は、誰よりも速く進める()()()()()をひた走っていた。

 故に他の者達よりも遥かに早く目的地に到着する事が可能となっていた。


 未来も今の街中の異常を既に理解していた。

 ひた走る最中に目にした、遠く方々に光る鋼の輝き。そしてそれを追う男たちの姿。


 それらが向かう方角が廃墟区であるという事もすぐに気づいていた。


 彼女は()()()と、僅かな寄り道をする。

 何もなければ良い。だが最悪の事態の場合にはそれが必要だろうと。




 暗い廃屋の中、数匹の害獣(フェルテ―ニュ)がそれに群がっていた。

 まるで餌を取り合うように、顔を突き合わせている()()の隙間から見え隠れするのは、小柄な少年の姿だった。

 浅黒い肌を持つ、獣人の少年。


 少年は微動だにすらしない。

 辛うじて僅かに上下する胸が生存を知らせていたが、彼の状態は酷いものであった。


 手足は鋭い爪で切り裂かれ、所々骨が露出している。

 しかし太い血管への損傷は免れているのか、出血はその傷から想像される程酷くはなかった。


 しかしその機能は完全に喪失し、おそらく彼の四肢は二度と使い物にならないのは誰の目からも明らかだった

 腹の辺りも食い破られた形跡があり、腸の一部がまろび出ていた。

 彼の呼吸は短く浅く、危険な状態である事がわかる。


 シリバの姿は、一目でわかる致命傷であった。

 その命の炎は徐々に燃え尽きようとしていた。




 その一方で、害獣(フェルテ―ニュ)は彼にそれ以上の損傷を与えようとはしていないようだった。

 ただ彼の上に覆いかぶさり、その体をまるで隠すような状況で微動だにせず佇んでいる。その両目に宿る赤い光は時折明滅し、まるで何が信号でも送るかのように瞬いていた。


 魔法陣は未だに浮き続けている。

 先程はすぐに消えた魔法陣がそのまま、まるで世界に自らを誇示するように浮かび続けていた。

 その輝きは淡い光から時折激しく輝きを増し、何かに呼応して脈打っているようにも見えた。


 それはまるで獣が魔法陣へ供物を捧げているかのような、恐ろしい光景だった。


 静寂の中の奇妙な時間

 それがどれだけの間続いているのか、誰も知る事は無い。

 そして何時終わるのかも。




 不意に、害獣(フェルテ―ニュ)が顔を上げる。

 一斉に、まるで同時に何か気付いたかのように。

 その顔は同じ一点、崩れかけた部屋の入口にあたる部分――かつてドアが据え付けられていたであろう、今は大きな穴へと向けられる。


 獣達が警戒態勢を取るよりも早く――その大穴から、何かが猛烈な勢いで吹っ飛んできた。


 僅かな光を反射しながら、まるでゴールに叩き込まれたサッカーボールのように。

 強烈な衝撃で部屋に叩き込まれたのは、(フェルテ―ニュ)自身であった。


 叩きつけられた害獣(フェルテ―ニュ)は最早ぴくりとも動かない。


 死ぬ直前まで敵に食らいつく彼らでも、最早生体として行動できぬ程に内部組織を破壊されれば動く事は叶わない。

 ぐったりと力なく、壁にもたれかかるようにして動きを止めていた。


 室内に居た害獣(フェルテ―ニュ)達はそれに一瞥もくれず、部屋の入口の方へと体勢を向き直し、体を低くする。

 まだ見ぬ存在への敵意と迎撃の意思表示であった。


 そんな獣の巣へと、女が一人入ってくる。


 足音すらさせず、ゆっくりと。


 か細い月明かりの下で。

 長い黒髪を靡かせ、スカートを翻し。


 月光に導かれたかのように、彼女はここに現れた。


 天音寺未来は、ようやくシリバの下へと辿り着いたのだ。


 その右手には、長い棒が握られている。

 道中で拾ったと思われる、なんの変哲もない木のそれは、モップか何かの柄であろうか。

 それは彼女の身の丈よりはやや長い。

 だが単なる木の棒はまるで戦乙女の持つ槍の如く、彼女の手に収まっていた。


 背後より月明かりに照らされた彼女は黒いシルエットに包まれ、威容を放っていた。

 それは美しき夜の巫女のようにも、死を告げに来た死神のようにも見えた。


 未来は中心のシリバを一瞥する。


 ただの一瞬の間も無く。


 害獣(フェルテ―ニュ)の一体が跳ね跳んだ。


 速さを表す時に、雷のような、あるいは神速の、という形容が良く用いられる。

 余りにも速く人間離れしている、というような表現だ。


 今の未来はまさにそれに相応しい動きを見せていた。


 まるで体自体が見えない手で()()()()()ように音もなく一足踏み込まれ。

 手に持った棒は弧を描いて、一番近い獣を下からかち上げるように振るわれる。


 小柄とは言え、数十キログラムは優にあるその体がまるで子供遊びで使うボールのように空中へと投げ出された。


 未来の振るった棒は勢いを止めず、そのままくるりと一回転した。

 そして手に収まった時は槍を構えるが如き体勢に移行し、空中の獣へと狙いが定められていた。


 僅かに、ほんの僅かに空を切る音をさせながら、棒による刺突が獣の腹を襲う。


 強かに柔らかな腹を捉えた一撃は、獣の内腑を爆散させ一瞬で命を奪った。


 足元では、別の一匹が絶命していた。


 彼女の足で、踏み殺されていたのだ。


 ゆっくりと、しかし確実に。

 表面にささくれ立つ剣山の如き体毛ごと、じわりじわりと締め付けるように。

 彼女の足が生み出す力はまるで万力が如き圧迫を害獣(フェルテ―ニュ)に与え、その命を奪っていた。


 この間僅か一秒足らず。


 残る獣達は、この脅威を排除せんと飛びかかる。


 頭を狙うものが一体。

 別方向より胴――腰近辺を狙うものが二体。


 ヒュッ、と。


 鋭利な風切り音が部屋の中に響く。

 未来の構える棒が回される音であった。

 それは風車――いや、回転する死の鎌となり害獣(フェルテ―ニュ)を捉える。


 木の棒から放たれたとは思えぬ恐ろしいまでの衝撃を伴ったその一撃は上の一体を叩き落し、下より来る一体へとぶつける。


 お互いの体をその棘で突き刺しあった二体はもつれるよう纏まった。


 残る一体は横。


 くるりと回ってきた棒に打ち付けられ、その衝撃でその一体は僅かに横へとふっとばされる。

 そこに居たのは先程の二体。

 三体の獣はまるで一塊の肉団子のよう固まりあい、床へと落ちた。


 そこへ強烈な突きが、上空より降ってくる。


 襲った衝撃は、纏めて三匹を貫いた。

 未来の大地を貫くかのような、威力と重力を伴う真下への突き。

 その一突きで三体の臓腑は弾け、絶命した。


 ほんの数秒で、警備隊を苦しめた害獣(フェルテ―ニュ)達はぴくりとも動かぬただの骸と化した。


 獣を打ち殺した未来の体は僅かほどにも動揺無く、まるで演舞のように美しい動きと姿勢を保っていた。

 打ち付けた衝撃など微塵も感じさせる、ただ舞うかのような優雅な動きだった。

 それは理想的でもあり、夢想の産物でもあり、現実離れした所業であった。


「シリバ」


 未来はシリバに声をかける。

 反応無し。

 意識消失しているものと推察される。


 未来が目視できるだけの情報でも、危険な状態であるのは明白だった。

 一刻も早く連れ出し、治療を受けさせなければならない。


 しかし、同時に即座に動かす事が難しいという事も看破していた。

 まずは応急処置が必要であろう。

 そうでなければ、彼は死ぬ。


 今すぐに処置に移るべきだろう。

 未来はそう判断するが、しかし、状況がそれを許さない。


 新たな害獣(フェルテ―ニュ)が、この場にやってきたのだ。

 その数、二体。


 その背後からも、何かが蠢く音がするのを未来の鋭敏な聴覚は捉えていた。

 害獣(フェルテ―ニュ)達が、ここへ殺到している。

 彼女はそう結論付けた。


 未来はシリバを庇うように、その前へと立ちはだかる。


「来い」


 短い一言。

 しかしそれは、戦意を感じさせる力強さを持っていた。


「付き合ってやる。持久戦だ」


 歯向かうものが居なくなるまで殲滅し、(いとま)を作る。

 シンプルにして凶悪な思考が、女の出した結論であった。


 獣は相手が何者かも理解せず、突っ込んでくる。

 知っていたなら、果たして同じ行動を取ったであろうか。


 その身に武器を帯びたこの女の前に立つという事の意味を知っている存在であれば、絶対にそうはしなかっただろう。

 彼女がそういう姿を晒しているの見るのは、核弾頭の発射ボタンに手が添えられているのを目撃してしまったかのような心地となんら変わらない。


 そこには絶望と恐怖しか存在しないのだ。


 彼女をよく識る人物であれば、即座に卒倒するであろう恐怖的光景。


 異界の獣は、いやこの世界の人間は、誰一人としてその意味を知らなかった。


 天音寺未来という女に戦いを選択させる事の愚かしさを、まだ誰も知らなかった。




 防衛隊たちが忙しく街中を駆け回る中――


「……なんだ?」


 防衛隊第三隊の隊長は、異変に気づく。


 ちらりと遠目に見た害獣(フェルテ―ニュ)の動きが、明らかに変わった。

 目的地を目指す動きではなく、散り散りに外へと向かう動き。

 逃げている。

 街の外へと、逃亡を始めている。


「終わったみたいっすね」


 その動きを隊員もほっとした目で見ていた。

 一連の騒動が始まってからそう時間は経っていない。

 しかし走り詰めな事と何時襲われるかわからない緊張感は、彼らをいつも以上に疲労させていた。


「そうだと良いがな」


 そうは言いつつも、これで終わりだろう、と隊長は考える。


 想像以上の損耗に逃げ帰った、という所だろうか。

 流石に騎士が出てくるのは魔族(てき)も想定外だったようだ。


 どんな思惑が有れど、騎士たちの活躍に救われたのは確かだ。

 もし自分たちだけでこの事態に当たらねばならなかったら、と考えたら寒気がする。

 防衛隊は良くて半壊、下手したら全壊。

 街の住人もさらに犠牲が増えていたはずだ。


 ――高い金払ってる甲斐が、珍しく有ったな。


 いつもは忌々しげにすら感じる騎士の背中を、今日は久しぶりに頼れるように感じた。




 獣の処理をしつつ、そこへ向かう任を受けたのは二人の騎士であった。


 ――廃墟区の調査。


 害獣(フェルテ―ニュ)が目指しているであろうその場所の状況を確認するのが、彼ら二人の仕事であった。


「大した強さでないとは言え、これだけの数が居ると鬱陶しいものだな」


「仕方ない、これも命令だ」


 二人はぼやきながらも、路地を進む。


 仕留めた害獣(フェルテ―ニュ)の数は合わせて五体。二人でこれなのだから、この街にはどれだけの数の魔族が侵入してきていたのだろうか。


「離れてるとは言え、この街も前線寄り。安全ではないか」


 ダラマトナ駐屯軍はこの先に有るダラマトナ戦線区の補充人員が主であった。

 今は小康状態で、前線の者達が交代で下がる時にしか入れ替えは無いが。

 もし戦端が開かれれば、即座に合流し前線を形成する。そういう部隊だった。


 騎士たちも即座に実戦は無いと思いつつも、何時実戦に向かっても良いような訓練と心構えを日頃からしている。

 故に、今回の襲撃への迎撃任務に対してもさして動揺無く向かう事ができた。


 むしろ弱卒を相手に良い訓練になった、とすら思える。


 実戦による魔導式の運用法やその呼吸。

 剣の振るい方と心構え。

 実戦でしか学べないそれを安全な状況で行えたのは、彼らにとって僥倖であった。


 二人の騎士が廃墟に差し掛かる。

 かつての戦から放置されていたそこは、見るに耐えない荒れ方をしており、王国(エタ)出身の二人は思わず顔を顰めてしまった。


「所詮衛星国(セクタ)か」


 彼は津々浦々美しい、我らが故郷の王国(エタ)の光景を思い浮かべる。

 豊かな自然と整然とした街並み。文明的な魔導式の恩恵。

 そこには全てが有った。


 それをこのような姿にしてはならない、と二人は改めて愛国心を燃やした。


 害獣(フェルテ―ニュ)達が廃墟区の一角を目指している事は、早々に判明していた。おそらくそこに魔族の求める何かが有るのだろう、と。

 尤も、彼にそんな事は関係ない。

 命令のまま調査し、異常が有れば報告する。

 それを忠実にこなすのみである。


 とある一角に差し掛かった時、二人は異常に気づいた。


 ――あまりにも濃い、血の匂い。


 多目的ゴーグル(ウィッチグラス)に手をかけ、調査系の魔導式を励起する。


 特に異常は無い。


 少なくとも場に毒が満ちているとか罠が有るとか、そういう事は無さそうだった。

 二人は剣に手をかけ、いつでも抜剣可能なよう警戒しながら進む。


 やがて現れた光景に、二人は言葉を失った。


「なんだ、こりゃ……」


 思わず絶句する。

 想像すらしなかった状況が、そこには有った。


 堆く積まれた害獣(フェルテ―ニュ)の死骸。

 その数は一体幾らだろうか。

 三十か、四十か。もしかしたら五十を超えるかもしれない。

 とにかく数え切れないだけの魔族の死体が、そこには有った。


 そして積まれ方の様子から、一人の人間がそれを行ったと推察された。

 囲む相手を只管に倒し続けた。

 そういう臭いがあった。


 そして恐ろしい事に、外傷は一見見当たらないように見えた。

 口から血を吐き出してはいるものの、外側には武器による傷跡は見当たらない。

 それが一層不気味さを際立たせていた。


「誰かが戦ったのか?」


「誰だよ」


 二人は僅かに動揺しながら、それを見つめる。

 このような所業が可能とするには、どう考えても騎士団長クラスでもないと不可能だった。


 確かに害獣(フェルテ―ニュ)は強くない。

 しかしそれは魔力というリソースを適切に使用した上で、という但し書きが付く。


 そして、魔力というリソースには限界がある。無尽蔵に便利に使えるものではない。

 普通の騎士であれば十体も倒す頃には息切れを起こすであろう。


 一切の強化無しでこの獣にあたるのは、流石の騎士でも厳しい。

 手間取る間に囲まれ、押され、敗北するのが必定である。


 つまりこの数を捌けるだけの魔力量と技量を保有するような強者――騎士団長のような図抜けた武威の持ち主がこれを行ったという事になる。


 ――一体誰が?


 この街でそのような事が出来るのは、駐屯軍にしか居ないだろう。

 しかしそのような強力な戦力がここに派遣されたという話は聞いていないし、そうであれば自分たちが調査に来る必要すら無いだろう。


 戸惑いながらも、本部への通信を繋げる。

 これは明らかな異常だろう。

 しかも特級の。


 月明かりに照らされた骸は何も語らない。

 ただ無機質な目で空を見つめていた。

 その瞳には、既に赤い光は無い。

 星と月が虚しく映り込むだけだった。

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