第53話 悲劇の連鎖
「ああ! ザバ! カロ!」
ザバとカロの失踪。
それを知ったローネの取り乱し様は、まさに狂乱と言っていいものだった。
「どうして! どうしてあの子達が! なんで!!!」
人目も憚らず泣き叫ぶローネは、半狂乱になって家から出ようとする。
「早く探しに行かないと! あの子達が待ってる!」
「駄目じゃ! 落ち着け!」
獣人に比べ小柄な小地人がローネに抱きつくようにしてその動きをがっしと止める。
子供が親に抱きつくように見えるそれは、しかし当人にとっては必死以外のなにものでも無かった。
「今は魔族も街を徘徊しとる! もう夜闇が迫る時分に出かけるのは自殺行為じゃ!」
「なら尚更でしょう!? お願い行かせて!」
親である以上、ローネに知らせないわけにはいかなかった。
しかし知らせたらこうなるだろう事もポンスには予想できていた。
どうにもならない、詰みの状況。
せめてもう少し早く教えてくれれば、と彼はシリバに恨めしい感情を抱いた。
居なくなったのは昼頃という。
すぐに知っていたのなら、鍛冶場の人間総出で二人を探せただろう。
防衛隊に協力を仰ぐ事もできたかもしれない。
しかし夕刻も終わり夜が始まりそうなこの時間、もう外に出る事は叶わない。
街中に魔族が出没するようになって以降、夜間は家に閉じこもる事が半ば公然の義務となっていた。
防衛隊も警邏に忙しく、人探しなどしている余裕は無いだろう。
どう足掻いても一日は無駄になる。
そしてその一日は致命的な時間の浪費になると、誰もが理解していた。
「なんで!」
母の怒りは、息子にも向いた。
「なんで早く言わなかったの! あれだけ子供だけで動くんじゃないって言ったのに!」
普段の大人しいローネの様子からは考えられない程に激しく、彼女は息子を詰問する。
涙でぐしゃぐしゃになった顔は歪み、怒りが浮き出ていた。
「どうしてそうあんたは落ち着きが無いの! 小さい時から勝手な事ばかりして!」
シリバはただ、俯いていた。
何も言わず、床を見つめて。
母の言葉に耐えていた。
「どうせあんたがザバを唆したんでしょう! あの子は賢いもの! 自分からこんな危ない事しようなんて言うはずないわ!」
ローネはシリバの両肩をその腕で掴み、激しく揺さぶっている。
最早溢れた感情の制御も効かず、彼女は我が子を攻め立てた。
「働くようになって、少しは大人になったと思ったのに!」
そこには、怒りだけではない。
失望が有った。
「どうして」
ローネが崩れ落ちる。
感情を吐ききって、気力すらも出し尽くしたように。
「どうして……」
嘆きの声が、小さな家に木霊する。
誰も、何も言えなかった。
「とにかく、明日だ」
ポンスは言い聞かせるように、静かに言う。
「明日になった皆で探そう。うちのモンも全員出す。近所の連中にも声をかけよう。だから、今は落ち着いてくれ」
その言葉にぴくりと、ローネの耳が動く。
「明日?」
再び彼女は立ち上がる。
鬼のような形相を浮かべて。
あまりの剣幕に、ポンスは怯んだ。
この線の細い女の気迫に、完全に圧されていた。
「明日じゃもう遅いでしょう! あの子達はまだ小さいのよ!」
ローネは叫ぶ。
心からの叫びだった。
「あの子達が死んでもいいって言うの!?」
金切り声にも似た、絶叫。
母の糾弾に、もう限界を感じていたシリバは、咄嗟に駆け出した。
ただ、衝動のままに。
「あッ!?」
ローネに気を取られていたポンスは、その行動に気づくのが一瞬遅れた。
その隙にシリバは家の扉から外へと飛び出していった。
「ほら、あの子も行ったわ! 私も行かないと!」
叫ぶローネをポンスは必死に押し留める。
くそっ、なんだこの地獄は。
小地人はこの惨状を呪わざるを得なかった。
片手でポケットから無骨な眼鏡を取り出し、なんとか掛ける。
同僚への接続紋を指で描きながら、頼むから飲んでないでくれよと祈った。
シリバは暗くなった街を一人走る。
――全部俺の所為だ。
彼の心の中には、後悔が渦巻いていた。
薬草を取りに行こうなんて言わなければ。
三人で固まって動いていれば。
そうすれば、こんな事にはならなかった。
シリバがあんな母の姿を見たのは初めてだった。
いつも柔らかく、優しい母だった。
叱る時だって声を張り上げたりはしなかった。
そんな母が、狂ったように泣き叫んで声を荒らげていた。
まるで何か違う生き物を見てしまったかのように感じられて、シリバは恐ろしかった。
自分の知らない母の一面を叩きつけられ混乱し、恐怖した。
怖かった。母が。
怖かった。母をそんなにしてしまった自分が。
そんな耐え難い恐怖と罪悪感から逃げるように彼は街へと飛び出した。
――ザバとカロさえ帰ってくれば、全部元に戻る。
シリバは頑なに、そう思い込んでいた。
そしてそれ以外の答えを、彼は持ち合わせていなかった。
シリバはひた走る。
目的地はあの街外れ。
二人が居なくなった場所へ。
そこに行けば必ず二人が居るとでも信じているかのように、彼はひたすら足を動かす。
防衛隊に見つからぬよう注意を払いながら、少年は夜の街を駆けた。
再び愚かな行動を取っているという自覚も無く、彼はその闇の中へと消えていった。
未来とトトの二人は、買い物に出かけていた最中であった。
一週間後の出立の日。
その日の為に色々と物入りであったからだ。
「流石にあのボロボロの旅道具は使えんですよねえ」
「まあ、廃品利用だしね」
二人がここに来るまで世話になった道具達は、あの襲撃を逃れなんとか残った遺品達である。十全に機能を果たし満足に使えるものはなく、完全に間に合わせという感じだった。
「この一ヶ月でそれなりにお金も溜まったし、揃える分には問題なくて良かったよ」
「トトは一ヶ月で借金全部返した上でそんだけ儲けてるのが不思議で仕方ねえんですよ」
この女、内職仕事でどう見ても普通の仕事よりも稼いでやがる。
眼の前の後輩が普通と違う事がトトにも段々理解できてきた。
二人の両手には、旅道具以外にも買い物鞄に入れられた野菜や肉の姿が見えた。最後の一週間、皆で豪勢な夕食にしようという彼女らの心遣いであった。
家に近づいた時。
未来の顔が、一瞬怪訝な顔つきへと変わる。
「どうしたです?」
不思議そうに聞き返すトトに、未来は少し足早になって答える。
「急いだ方が良いかも知れない」
焦る様子の未来に、理由も分からずトトも追従する。
こういう時の彼女の勘らしきものが外れたのをトトは見た事が無かった。
家に入った二人が見たのは、泣き伏せるローネとそれを宥めるポンスの姿であった。
「何が」
未来がさっと家を見回しながら、冷静に呟く。
「有ったんですか?」
「ザバとカロが居なくなった」
対するポンスも、簡潔に答える。
事実だけを最低限正確に。
その明瞭さが余計に深刻さを際立たせていた。
「ど、どうしてです!?」
弟達の失踪。
それを聞かされ、トトも動揺を隠せなかった。
「昼休み、子供たちだけで抜け出してたんだと」
やりやがった、と無念そうに首を振って、ポンスはそう漏らした。
「そんで二人が居なくなった。シリバはそいつを仕事終わりまで黙ってやがったのさ」
「なんて馬鹿な……」
トトは弟のやらかしに、言葉も無かった。
「で、その元凶はどこです?」
「走ってどっか行っちまった」
「はあ!?」
下の弟妹二人が居なくなり、上の弟は飛び出して行方不明。
あまりの惨状に、トトが素っ頓狂な叫び声を上げたのは無理もない事だった。
「ポンスさん、なんで止めなかったです!?」
「止められるなら止めてたっての!」
いい加減彼も限界だったのだろう。
ポンスも荒らげた声を上げた。
「だがこんな様子のローネを一人置いてもおけねえだろうが! 通信したがどいつもこいつもこっちの呼び出しには応じねえし! もう勘弁してくれって!」
手詰まりとも言える状況に、ポンスも耐えきれなくなってきていた。
あっちもこっちも問題が起きすぎて、その解決策は一切見えない。
泣きたいのはこっちだ、と彼も心の中で思っていた。
「シリバの捜索は私が行こう」
おそらくその場で、唯一冷静な人物。
未来がそう提案する。
「トトはお母さんを見てあげてくれ。いいね?」
「……わかったです」
しぶしぶという感じで、トトは了承した。
それが最善とは分かっているが、どことなく逃げ出したい空気が場に張り詰めていた。できれば自分も探しに出たいとすら思っていたが――そうもいかないという事は痛いほど理解していた。
「ポンスさんもありがとうございました。できればもう少し、二人の側に居てあげては貰えませんか。男手が有る方が心強いでしょう」
「お、おう」
未来の努めて冷静な様を見て、我に返ったのだろう。
ポンスは毒気が抜かれたような様子で返事を返す。
「シリバが何処へ向かうか、心当たりはありますか?」
「あいつらは昼、街外れの廃墟区の方に行ったらしい。多分そこじゃないか」
「廃墟区ですね」
ふむ、と何か納得したように一言零し。
「では、行ってきます」
未来は翻り、玄関から出ていった。
「あ、おい。明かりくらい持たんと!」
ポンスが慌てて後を追いかける。
しかし玄関から彼が顔を出した時には既に、彼女の姿は無かった。
一瞬前まで、確かにそこに居たのに。
ポンスはまるで化かされでもしたように、辺りを見回し、そして自分の目がきちんと開いている事を確認し――不思議そうに、首を傾げた。




