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第51話 出立予定と二人の秘密

 そうして平穏な日々は積み重なっていく。

 一日、一週間と時間が過ぎ。そして遂には一ヶ月にもなろう頃合い。


 未来はトトと人材斡旋所に来ていた。


「そろそろ私もどうするか、決めようと思う」


 掲示板を眺めながら、未来はトトにそう告げる。


「行くですか」


「うん」


 暫し、二人の間に無言の時間が流れる。

 職を求める者達の喧騒の中、そこだけが静寂に包まれていた。


「トトもそろそろ次の仕事を探さないと、と思っていた所ですよ」


 もう一ヶ月です、とトトは言う。


「シリバも仕事に出るようになったとは言っても、稼ぎはたかが知れてるです。まだ暫くはトトが頑張らなくちゃですよ」


 裕福でない家庭を支えるには、やはりトトの稼ぎは必須であった。

 それが必要でなくなるには、まだ数年の時間が必要と考えられた。


「とりあえずリジエールまでは出なきゃならんです。こっちでは実入りの良い仕事無いですから」


 トトはそう言って、未来の顔を見つめる。

 可愛らしい目が、どこか縋るような不安げな色を湛えていた。


「せめてリジエールまでは一緒に行かないですか?」


「別に構わないよ」


 しれっと、未来は言う。


「どうせあては無いんだ。付き合うさ」


 実際、この後どうするかの展望は未来には無い。

 知らない世界に勝手に呼び込まれて、身寄りもなくただ一人。

 この少女に暫く付き合うもいいだろう、と彼女は思う。


「何時頃にしますか」


「一週間後くらいか」


 準備期間を考えて、それくらいがいいか、と未来が言う。

 多少内職のペースを上げ、旅の道具を揃えつつ旅費も稼ぐとなれば、まあその程度が妥当だろうと。


「だったらトトも準備しとかないとですね」


 いよっし、と獣人の少女は気合を入れる。


「でも」


 トトは少し難しい顔をした。


「弟たちは、何て言うですかね」




「えー、姉ちゃんたち出てっちゃうの!?」


 案の定。

 一週間後の出立を伝えたその夕食は、喧騒に包まれた。


「そりゃ今回は金渡しに来ただけですからね」


 スープをすすりながら、なんでもないようにトトが言った。


「そろそろ稼ぎに行かないと干上がっちまうですよ。トトが大黒柱なんですよ」


「でもさあ」


 尚も納得がいっていないシリバ。

 折角返ってきた姉がまたすぐに居なくなるというのは、まだ年若い彼には辛い事だった。


「切り詰めればなんとかなるんじゃないか」


 ローネも、折角帰ってきたのに、とトトを引き留めようとする。


「安いかもしれないけどここにも仕事は有るんだよ。シリバで増えた分が有るんだから」


「これから三人とも、もっと大きくなるんですよ」


 シリバもザバもカロも、これから成長期だ。

 きっと大きく逞しくなっていくだろう。

 そうなれば食費はどれだけ嵩むだろうか。


 切り詰めるどころではない。

 これから増えていく事を想定して稼がなければならないのだ。


 トトはその事を冷静に理解していた。


「むしろもっともっと稼がにゃならんです。その為には、王国(エタ)に出てかなきゃならないですよ」


 その言葉に、ローネは何も言えない。

 自分の母親も、これが正論だと心の中では理解しているはず。

 そう、トトは察していた。

 特にシリバはここ数ヶ月でも目に見えて大きくなってきていた。

 肉体労働に従事しているのも有り、稼ぎ以上に食べるようになってきている。


 ローネの内職で得られる細々とした賃金では到底食費が間に合うわけもなく、シリバの駄賃程度の稼ぎが加わった程度では気休めでしかないと、帰郷してからの様子でトトは理解していた。


 この家がやっていくには、結局自分の稼ぎに縋るしか無いのだと。


「寂しくなりますね」


 ザバがぽつんと、呟いた。


「今生の別れじゃないさ」


 未来はそんなザバを慰めるように、優しく言葉を放つ。


「トトもまた帰って来るし、私もまたここには遊びに来させて貰うよ」


「そう、ですね」


 言葉としては、未来の言う事は正しい。

 まだ年齢一桁の子供にとって、それは人生の何分の一かに相当する、あまりにも長い時間。

 幼子が待つには、耐え難い感覚を覚える期間だった。


 次に会うまで、また一年として。

 それは未来にとっての数年分を超える時間とザバには感じられるだろう。


 カロも声こそ上げないが、寂しげにトトと未来を見ている。

 彼女も感じているのだ。

 別れが辛いと。


「とにかく一週間後です。一週間後には出るですからね、絶対!」


 トトは場の空気を断ち切るように、そう宣言した。




「本当に寂しくなるわね」


 食後、ローネと未来が並んで洗い物をしていた。

 こうして一緒に台所に立つのもあと少しの事だろう。


「未来さんには大変お世話になってしまったわ」


「こちらこそ、一ヶ月も置いていただいて本当に感謝しています」


 一人で過ごす一ヶ月よりも、格段に幸せで楽しい時間を与えて貰った。

 その事に、未来は何より感謝をしていた。


「こんな事を頼むのも厚かましいのかもしれないけど」


 皿を水で濯ぎながら、視線を動かさずにローネはそう言う。


「どうかトトをお願いします。あの子、ちょっと危なっかしいから」


「確かに、先輩はちょっと元気過ぎるからね」


 ふふ、と未来も笑う。


「きちんと目を離さないでおきますよ」


 頼りになる先輩にして、手のかかる妹。

 未来にとってトトとは、きっとそんな存在だった。


「それと」


 一度手を止め、ローネが言う。


「実は未来さんに頼みが有るのだけど」




 子供たちが寝静まった後。

 未来とローネの姿は、階下の土間に有った。


 土間の作業机に置かれていたのは、布製の作業帽(ワークキャップ)であった。


「もうすぐシリバの誕生日なのだけど」


 ちょうど未来さん達が出ていく頃ね、とローネは言う。


「今年はあの子にこの帽子をプレゼントしようと思うの。そろそろ必要になるでしょうから」


 獣人用に耳のところに穴が空いた作業帽は、今のシリバにはちょっと大きめかもしれない。

 しかしすぐにぴったりと似合うようになるだろう。


「良かったら、この帽子に刺繍を入れてあげて欲しいの」


 そう言って、彼女は帽子を差し出す。


「私は不器用で、頑張って帽子は作れたのだけど」


 恥ずかしそうに、ローネは言う。


「細かい刺繍なんかはできそうになくて。未来さんは器用だから、上手に出来るんじゃないかとおもったのだけど……お願いしていいかしら」


「勿論ですよ」


 未来は帽子を受け取り、その作りを調べるように様々な角度から帽子を眺め、手触りを確かめる。


「ではこの刺繍が、私からシリバへのプレゼントと言う事で」


 いつの間にだろう。

 未来は針と糸を取り出し、既にそれを手にしていた。


 つう、と針が帽子に通される。

 まるで儀式のように厳かに、静かに、それでいて手早く。

 縫い上げるというよりも焼き付くかのように、文字が帽子に浮かんでくる。


 その手際にローネは舌を巻いた。

 最早未来の腕前は一人前の職人と言って良い程に素晴らしいものだった。

 たった一ヶ月前までは裁縫などしたことの無かった少女が、今では名の有る縫製師かと思えるような腕前を披露している。


 作業はあっという間に終わった。

 帽子には、「シリバ」という名前が、綺麗に刺繍されている。

 格調高い字体は無骨な作業帽(ワークキャップ)には少々浮いているようにも見えるが、それが程よい自己主張にもなっていた。


「こんなものでいいですかね」


 うん、と出来栄えを確かめ、未来も満足げな表情を浮かべていた。


「彼のイメージに合わせて力強い感じにしたんですが、気に入って貰えそうかな」


「きっと気に入るわ」


 想像以上の出来に、ローネも喜んだ。

 これを渡した時、息子はどんな顔をするだろうか。

 楽しみで仕方がなかった。


「あとは見つからないように隠しておかなくちゃね」


 秘密のプレゼントだもの、とローネは呟く。


「良かったら、私が預かりますか?」


 未来がそう提案した。


「あの子達は行儀が良い。客人の荷物を勝手に漁ったりはしない」


 全員とても良い子なのは、未来も良く知る所だ。

 それを逆手に取ろうという事だ。


「多分()()で一番丈夫な金庫ですよ? 私の鞄は」


「じゃあお願いしちゃおうかしら」


 二人は顔を見合わせて、朗らかに笑った。

 女たちは小さな秘密を抱えて、ただ笑った。

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