第102話 男たちの意地
一方、決死隊の面々は魔族の軍勢から離れるよう、大回りのルートへと進路を変えて、その奥に向かって突き進んでいた。
「ほんとうにこっちに全然来ねえ……」
遠目に見える銀の集団を見ながら、一人の男が呟く。
まるで透明人間にでもなったかのように、彼らは一切の存在を無視されていた。
一塊になって、土煙を上げながら堂々と騎馬の集団が疾走しているにも関わらず、魔族達はなんの興味も持っていないかのようだった。
魔族達の興味は完全にあの二人の少女に注がれていると誰が見ても理解できていた。
唯一こちらを捉えていそうなのは、上空を飛ぶ烏だった。
銀色に輝く烏はやはり魔族に相違無く、名は大鴉と呼ばれていた。
この烏は数羽が一塊となり飛んでおり、攻撃を加えるでもなくただ地上の様子を観察しているのが常だった。
その為この烏は魔族の斥候ではないかと思われていた。
その魔族の斥候が姿を捉えてなお、決死隊は脅威と見倣されていない。
そう考えるしか無かった。
こんな弱卒を相手にしている暇はない。
敵はあちらに居る。
まるでそう魔族達が考えているのが透けているようだった。
あまりにも屈辱的な扱い。
だがそれは、今の彼らにはむしろ好都合だった。
決死隊の面々は、そもそも自分たちを強者とは思っていない。
元より素人の寄せ集め。
強さになんの誇りも無く、ただ命だけ持つ殉教者の集まり。
ここまでの無視はむしろ彼らにとって心地よさと幸運にすら感じられていた。
「これなら、行けるかもしれん」
ソルゴもこの状況に希望を見出していた。
ほぼ無傷での指揮官型への到達。
素人が主とは言え数は揃っている。
数人だけだが本職も居る。
――勝ち目が出てきたな。
自然と口角が上がるのを、ソルゴも自覚していた。
成功率の殆ど無い無謀な突撃。
それが勝算の有る賭けにまで引き上げられた。
――まあそもそも俺達が頑張らずとも行けそうな気がしないでもないが。
ちらりと横目で戦場を見る。
激しい光と銀色の輝きがぶつかり合い、余人が立ち入る余地の無いような破壊がそこでは繰り広げられていた。
魔族達はどんどん数を減らし、物言わぬ銀のオブジェへと姿を変えていく。
全滅させられるかはともかく、その戦力が大幅に減少したのは間違いがなかった。
「あいつら、本当に全滅させてしまう勢いだな」
最早理解を越えた二人だ、とソルゴはそう思う。
一体何処の誰なのか。
あの二人が今ダラマトナに居た事に感謝を覚えた。
そして同時に、その強大な力に畏怖と恐怖を感じずにはいられなかった。
「なら俺等がやってる事は自己満足なんすかね?」
そんな声も集団から出てくる。
だがソルゴは、否定するように首を振った。
「今のダラマトナには戦力が一切残っていない。例え数体でも抜けて行けば被害は出る。俺達はその可能性を完全に断つ為に動いていると考えれば、無駄じゃないさ」
その言葉は気休めではない。
実際今のダラマトナの戦力は皆無と言って良い状況だった。
故に一体の魔族も通せない。
自分たちの作戦が成功すれば、敵が撤退する可能性は非常に高い。
だからこそ、このまま続ける意味が有る。
そう、ソルゴは考えていた。
「あとは司令官型の魔物がわかりやすい事を祈るだけだが……」
「どんな魔物か、分からんので?」
当然の質問に、ソルゴは難しい顔をする。
「魔族というのも千差万別だ。どんな奴が来るかは分からんが」
だが、と彼は付け加える。
「おそらく、ここで来るなら、鹿か猿だ。ルグンド周辺の戦線で小競り合いが有った時、司令官型として出てくる魔族は大抵そのどちらかだと聞いている。だから、そいつらを見つけたら全力で突っ込め」
「鹿か猿ね」
何人かがその言葉をぶつぶつと繰り返し、頭に叩き込む様子が見て取れた。
ソルゴ自身も、そのどちらかで有って欲しいと願っていた。
もし未知の魔物が指揮官であったら、おそらく分からない。
そして迷っている間に自分たちはすり潰されて終わるだろう。
どこまでも賭けの要素が抜けない突撃攻撃だった。
ぐるっと大回りをしてきた一行が、ようやく敵の軍団の最後尾を見つける。
「切れてる!」
誰かが叫んだ。
「後ろが切れてる! あそこが最後尾だ!」
ソルゴや他の兵士たちが、無言で多目的ゴーグルを起動した。そして視力強化を使用し、列の最後尾を観察する。
鎧装猪や壁牛が居並ぶ中、一体だけ毛色の違う魔族が混じっている事をすぐに気づく事ができた。
大きな角を持つ、鹿型の魔族。
「賭けには勝ったか」
ソルゴはほっと胸を撫で下ろした。
一先ず目標がわからないという最悪の事態は脱した。
「皆、聞いてくれ」
ソルゴの言葉に、男たちは一斉に静まった。
「これから俺達は予定通り攻撃を仕掛ける。狙いは最後尾に居る鹿型の魔族だ」
ごくりと、誰かが喉を鳴らす音が響いた。
いよいよだ。
その音は、皆の気持ちを代弁していた。
「一度魔族の後方に躍り出て、真後ろから突撃する。そうすれば、周りの連中が反転するだけの時間、隙を作る事ができるはずだ」
「その間に目的の奴をやっちまえば勝ちって事か?」
「上手く行けば、相手が気づく前に倒せる可能性も有る」
背後からの奇襲。
当初想定されていた正面からの突撃よりは圧倒的に勝率の高い状況が構築できた。
後は周りの敵の対応速度次第。
速攻で立て直しされればアウト。
もしもたついてくれれば、勝ち目が出てくる。
「とにかく俺達、兵士は真っ直ぐ奴に突っ込む」
これが有るからな、とソルゴは武器を掲げて見せる。
「他の連中は敵が来たらとにかくぶん殴ってくれ」
「今更だけどさ」
男が、手にした角材を見る。
武器とも言えぬ単なる木の棒
それがどれだけ役に立つのか、今更ながらに心配になってきた。
「とにかく殴れ」
慰めも、励ましもしない。
ここに至ってはもうこう言うしかないのだ。
「何も考えずに殴れ。魔族には殴るのが一番有効だ」
実際どれだけ有効打が与えられるかまったく分からない。
特に壁牛など、鋼鉄の外皮の下には分厚い脂肪まで有る。
斬撃も打撃も効き辛い最悪の敵だ。
伊達に「壁」などと言われて無い。
だが、既に賽は振られてしまった。
後はもうどうなろうが進むしかない。
敵を倒すか、こちらが全滅するか。
ただそれだけ。
そして、決死隊が魔族の集団の後ろを遂に完全に捉えた。
「行くぞ」
一団は緩やかに反転し、その最後尾に付くように、馬を走らせる。
敵の姿が全員の目に見えてきた。
最後尾に居る、銀色の鹿。
その巨大な角は鉱石ではない。
輝く輝石の塊が、頭から生えていた。
輝石は太陽に光を受け、銀の体表以上に美しく煌めいて存在感を誇示していた。
輝光鹿。
この魔族はそう呼ばれていた。
探すまでもない派手なその姿。
誰もが目標を見失う事も無いと確信できる。
最早言葉も無く、全員が駆けた。
隊列の後ろから真っ直ぐ、輝く鹿に向けて。
決死隊が全力の突撃を開始してから数秒。
ようやく、魔族達は自分たちの敵が背後に回り込んできた事を認識した。
後ろを走る壁牛や鎧装猪が、反転しようと足を遅めた。
しかし大群で有るが故に、それを為すのは至難な状況だった。
その場で反対に向くなどできない。
魔族達は左右に別れ、隊列を裂くようにして決死隊の横側へと回り込むような動きを取った。
「隊長、敵が来る!」
数十頭からなる、動物の突進。
そのとてつもない圧力に、中年男性が悲鳴を上げた。
「怯むな!」
ソルゴはただ真正面だけを見つめ、馬を走らせる。
「突っ込め、奴に突っ込むんだ!」
彼は槍を振り上げ、叫ぶ。
「うおおああああああああ!」
もう作戦も何も無い。
あの鹿までただ辿り着く事だけ考えて、叫んだ。
周囲の男たちも、それに呼応するように手に持つ獲物を掲げ、叫ぶ。
「うおおおお!!!」
「行けええええ!」
「畜生がああああ!」
全員が思い思い、叫ぶ。
男たちの思いに答えるように、潰れるのも厭わず、馬も全力で駆けた。
ぐんぐんと両者の距離が縮まる。
輝光鹿は、ゆっくりと決死隊の方へと向き直る。
緩慢だが優雅に、鹿は敵を見定めた。
宝石のような両目が、決死隊を射抜く。
その瞳は冷たく、思考を窺い知る事はできそうにもなかった。
対するソルゴ達の目には、意思が漲っていた。
ぎらぎらと輝き、まるで燃えるように強い光を放っていた。
命の輝きを全てそこに集約させたようにすら見えた。
左右からの魔族の壁も、徐々に迫ってきていた。
決死隊が鹿に辿り着くのが先か。
それとも、左右の魔族が決死隊をすり潰すのが先か。
そのどちらも有り得ると思わされる状況だった。
――ギリギリか?
ソルゴは叫びながらも、心の奥底では冷静に状況を俯瞰できていた。
このままであれば、おそらくギリギリだが間に合う。
全員であの魔族を串刺しにできれば、勝てるだろう。
その果てが己の死であろう事も、彼は理解していた。
だが例え死ぬとしてもそれが無駄死にでなくなるのであれば、本望だった。
「はっははは」
思わず口から笑いが漏れる。
勝利。
遠かったそれが今目の前に表れつつある事に、彼の心はざわついた。
あまりにも理想的な状況に、誰もが忘れていた。
魔族とは、人類が全力で抗ってなお勝つ事のできない存在だと。
このような稚拙な奇策で簡単に勝利をもぎ取れる相手ではないと。
願望が先行し、現実を見る事を男たちは忘れていた。
ぱきゃりと、馬を走らせていた一人の男の首が折れた。
線兎の鮮烈な跳躍蹴りが、その頭を捉えた。
いとも容易くへし折れた首は、最初からそうだったように頭をぷらぷらとさせている。
「へ?」
目の前の惨状に、後ろに乗っていた青年は呆けたように驚き固まった。
何が起こったのか、彼には理解できなかった。
後ろ向きに倒れこちらに目を向けてくれるそれが、人間だと認識できていなかった。
白目を剥き、よだれをたらし、ぷらぷらと揺れる視線。
凄惨で滑稽なその姿が人間の成れの果てだと、最後まで理解できなかった。
飛びかかってきた害獣が、その腹にぶつかって来る。
「ぶ」
珍妙な声と共に、腹と胸の空気が押し出される。
その体当たりによる痛みは少なかった。
だが普通の動物よりも遥かに質量が有る魔族の体は、青年を容易に馬から引きずり落とした。
ふわりと、青年の体が宙に浮く。
あ、飛んでる。
鉄火場には場違いな、そんな気の抜けた思考。
重力という軛から解放された青年は、束の間の自由を味わっていた。
長い長い一瞬の後。
ごん、という鈍い音と共に、青年の意識は途切れた。
強烈なタックルによる、地面への叩き落し。
それは容易に彼の意識を奪った。
幸運にも彼の命はまだ奪われていない。
だがそこへ、鎧装猪が猛烈な速度で突っ込んでくる。
速度と質量と伴った踏み込み。
それが何度も、青年の体を痛めつけた。
だがそれでも、青年は生きていた。
胸骨や肋骨は砕かれ臓器に傷も付いていたが、まだ生きていた。
その瞬間までは。
壁牛の恐るべき重量が、青年の体にのしかかる。
牛の体重に岩と鋼鉄のそれが合わさったこの魔族は、単純に上から踏みつけるだけでも容易に人を絶命せしめる。
ましてや全力の突撃による踏み締めが、人に耐えられる道理は無かった。
牛の前足が、青年の頭を柘榴のように砕く。
ぱきゃりという軽い音と共に、赤と灰色の内容物が地面に撒き散らされた。
青年は幸運だった。
この複数の凄惨な殴打を味わう前に、意識を失えた。
痛みの尽くを無視して、彼は天に帰れたのだ。
だが、他の男たちは違う。
「うわあ!」
運良く線兎の奇襲を躱した中年の男は、よろめいて馬から落ちてしまった。
どん、という強い衝撃に一瞬だけ意識が飛かけるも、彼は朦朧としたまま立ち上がろうとして――
鎧装猪の猛突撃で腹を貫かれ、口から血を吐き出した。
長い牙に刺さった彼の体を鬱陶しそうに首を振り、猪はその場に投げ捨てた。
激痛に続く激痛で、中年の男の目には涙が滲んだ。
今感じている腹の熱が痛みなのかも、もう分からなかった。
体が混乱し、何がおかしいのかも理解できない。
それでも生存本能が両手を動かし、なんとか立ち上がろうとする所を――壁牛の体当たりが襲い、その体が天高くふっ飛ばされた。
彼は激痛と衝撃を味わいながら、意識を永遠に失った。
線兎という銀の弾丸による奇襲。
その一撃は、決死隊の足を容易に鈍らせ、また彼らの命を奪っていった。
そしてその遅れた所に殺到してくる鎧装猪と壁牛という鋼鉄の壁。
「くそっ!」
線兎の奇襲を間一髪で躱したソルゴは、悪態をつかざるを得なかった。
少し前まで勝利が目前に迫っていたのに、一瞬で全滅の危機に陥っていた。
「あと少し」
ソルゴは歯噛みする。
「あと少しなのに!」
あと五秒。
いや、三秒。
その時間さえ有れば指揮官である鹿まで届くのに、その僅かな時間が足りない。
「うああああああ!」
馬の首にしがみつき、ソルゴは祈る。
天に御わす至天神よ。
どうかあと少しだけ、私に時間を与え給え!
その祈りが届いたのか。
彼に僅かな奇跡が起きた。
横から突っ込んでくる壁牛。
その猛烈な突撃が、まるでソルゴとその馬を掬い上げるように、柔らかくぶつかった。
本来ならぶつかった直後に潰されてもおかしくない、超重量の突撃。
だがその動きは隣で死にゆく誰かに掣肘され、速度を減じていた。
その遅まった動きが、辛うじてソルゴ達を潰さずに済む攻撃へと転じさせていたのだ。
抵抗する事もできずに死んでいく命が、確かにソルゴの運命を繋いでいた。
僅かに浮き上がったソルゴ達の体。
馬の苦しそうな嘶きが彼の耳にも届く。
そして自身の足も悲鳴を上げていた。
おそらく強烈な体当たりで骨が折れたのだろうとソルゴは予想する。
だがそんな足を無理やり動かして、ソルゴは馬上へと登った。
浮かんだ馬、その体の背。
そこに立ったソルゴの眼下には、あの輝光鹿の姿が有った。
上空より飛びかかるのに、最適な位置に今彼は存在していた。
なけなしの力を振り絞り槍を構える。
狙うは鹿のその首。
この一撃に、全てを賭ける。
「これで」
ソルゴは馬の背より跳躍した。
「終わりだ!」
小さく跳んだソルゴは、まるで落ちるように輝く鹿の体へと突き進んでいく。
ただ一本の槍と化したソルゴの一撃は――
確かに、鹿の眉間を貫いていた。




