第4章 地下の華
第4章です。
世界の槍が折れたあと、物語は防衛庁地下第七区画へ入ります。
今回は、華計画と連華班の三人を描きます。
白い飛翔体へ近づくために、人類が何を捨て、何を残したのか。
紙、鉛筆、手旗、油圧。
電子が沈黙する世界で、古い道具が少しずつ意味を持ち始めます。
地上で世界が折れた時、地下では花が眠っていた。
花、と呼ぶには、あまりにも鉄臭かった。
薄い花弁も、香りも、色もない。あるのは装甲、油圧、歯車、ワイヤー、特殊合金の鈍い光、そして人間を鉄の中へ閉じ込めるための狭い操縦殻だけだった。
だが、それでも計画者たちは花と名づけた。
連華。
月華。
烈火。
華計画。
電子が死ぬ戦場で、それでも人間が動くための手段。笑われ、時代遅れと嗤われ、まともな予算もつかなかった疑いの種が、白いものの出現によって、いきなり地上に引きずり出された。
ユニオンランス失敗から三時間後。
防衛庁地下司令部では、勝者のいない会議が閉じたばかりだった。
連華の正式投入が決まった。月華と烈火という、さらに二つの名前が議事録に載った。だが会議室の空気は重く、誰の顔にも勝算はなかった。
加藤修一一尉は、会議には出ていない。
彼は地下第七区画の格納庫にいた。
連華班の隊長として、自分の機体が解体されかけているのを見ていた。
格納庫は広く、天井が高い。だが圧迫感がある。地下であるということが、空気の重さに混じっている。
連華三機が並んでいた。
完全な分解ではない。帰投後の緊急整備だった。装甲板が外され、腕部の油圧シリンダーが露出し、脚部リンクの点検ハッチが開けられている。整備員たちは、寝ていない顔で動いていた。工具の音は荒く、声は短い。
「右膝、圧低下」
「シール交換」
「予備は」
「最後の一組」
「使え」
「二号機の弾倉レール、歪みあり」
「叩け」
「叩いて直る精度じゃありません」
「叩いて動く精度にしろ」
加藤はその声を聞きながら、一号機の脚部を見下ろした。
全高四メートル半。油圧と歯車とワイヤーで動く鉄の塊。衛星通信も自動照準も誘導弾もない。有線が切れれば手旗。手旗が見えなければ発光信号。それすら届かなければ、声を張るしかない。
設計者が正気だったのかどうか、加藤はいまだに分からなかった。
だが、狂気でなければ作れなかった機体だろうとも思っていた。電子が支配する戦場を前提にした世界で、電子を全部捨てろ、と決めた人間がいたのだ。その人間を笑う権利は、空で電子を失って墜ちたパイロットたちにはなかった。加藤にも、ない。
弱点なら、搭乗員が一番よく知っていた。脚が遅い。腕が重い。整備に時間を食い、操縦者の体力を削り、走れば揺れ、止まれば沈む。
それでも干渉圏で動いた。
加藤は一号機の装甲に手を置いた。掌に冷たい鉄と油の匂いが来る。整備員の怒鳴り声が、装甲越しにくぐもって響く。
この鉄の中で、何人が泣き、何人が吐き、何人が帰ってこなかったか。
加藤は知っている。
知っていて、また乗る。
奥山三尉は、自分の機体の足元で顔を青くしていた。
「叩いて動く精度って、何なんですか」
整備員の一人が振り向いた。
「お前さんが泣きながら撃てる精度だ」
「それは低すぎませんか」
「高いぞ。泣きながら撃って当てるのは難しい」
奥山は反論しかけて、口を閉じた。
整備員は笑わなかった。
冗談のように聞こえるが、冗談ではないのだ。
奥山は、連華二号機を見上げた。
自分の機体は、三機の中で一番不格好だと思う。背部弾倉は大きく、追加装甲は無骨で、腰には予備弾体がぶら下がり、左腕のレールはまるで工場の搬送機械のようだ。加藤機のような威圧感も、伊藤機のような鋭さもない。
鈍い。
重い。
逃げ足が遅い。
自分に似ている、と奥山は思った。
そして、そのことが嫌だった。
「奥山」
加藤の声がした。
奥山は肩を跳ねさせた。
「はい」
「寝たか」
「寝られると思います?」
「思わない」
「じゃあ訊かないでください」
加藤は、二号機の脚部を見ていた。
奥山は隊長の横顔を盗み見た。加藤は疲れている。目の下に影がある。だが、疲れを理由に判断を鈍らせる人間ではない。そういうところが、奥山には怖かった。
「次も出る」
加藤は言った。
奥山の胃が縮んだ。
「ですよね」
「嫌か」
「嫌です」
即答だった。
加藤は頷いた。
「正常だ」
「正常なら、行かなくていいことになりませんか」
「ならない」
「ですよね」
奥山は笑おうとして失敗した。
喉が鳴っただけだった。
彼はふと、自分の手を見た。
震えている。
さっきからずっと震えている。
「隊長」
「何だ」
「僕、たぶん役に立ちません」
「今さらだな」
「ひどくないですか」
「お前は最初から、役に立つ人間として連華班に入れたわけじゃない」
奥山は顔を上げた。
その言葉は、刺さった。
思っていたより深く。
「じゃあ、何で」
加藤は奥山の手を見た。
「お前は怖いと言える」
「それ、褒めてます?」
「褒めている」
加藤は視線を二号機へ戻した。
「恐怖を口にできない部隊は、恐怖が溜まった時に壊れる。誰か一人が怖いと言えば、他の者は自分が人間だと思い出せる」
奥山は黙った。
格納庫の工具音が遠く聞こえた。
「それだけですか」
「それだけで十分だ」
「でも、僕、怖いって言いながら逃げるかもしれません」
「逃げるなら、俺が止める」
「止められなかったら」
「伊藤が蹴る」
奥山は思わず隣を見た。
伊藤二尉は、三号機のブースターユニット前で整備表を読んでいた。こちらを見ずに言った。
「蹴ります」
「聞いてたんですか」
「大声でした」
「僕の人生、もう少し優しく扱われてもいいと思うんですけど」
「優しく扱うには、あなたの機体は重すぎます」
奥山は、しばらく伊藤を見た。
そして小さく息を吐いた。
ほんの少しだけ、震えが弱くなった。
恐怖は消えない。
だが、誰かが横で同じ地獄へ行くことを知っていると、恐怖は形を変える。
逃げたい、という気持ちは残る。
それでも、置いていけないものができる。
伊藤は、ブースターの固定ボルトを見ていた。
大推力ソリッド・ブースター・ユニット。
航空自衛隊の試験装備として開発され、正式採用されず、倉庫の奥で眠っていたものを、連華三号機の背中へ無理やり載せた。陸戦用重機へ航空機の暴力を背負わせる。思想としては最悪だった。整備性は悪く、重心は狂い、噴射後の姿勢制御は搭乗員の感覚に依存する。
だが、伊藤はこの不格好な装備を嫌いではなかった。
飛ぼうとしているからだ。
正しく飛ぶための機械ではない。
落ちないための機械でもない。
それでも、地上にいることを拒んでいる。
伊藤は、その諦めの悪さに、自分と同じ傷を見た。
「伊藤二尉」
背後から榊原洋介の声がした。
伊藤は振り返った。
榊原は作業服の上に白衣を羽織っていた。白衣は皺だらけで、袖口には赤鉛筆の粉がついている。技官というより、徹夜明けの教師のように見えた。
「柏木三佐が意識を回復しました」
伊藤の表情は変わらなかった。
ただ、手元の整備表を閉じる動作がわずかに遅れた。
「状態は」
「負傷は重いですが、証言は可能です。空で何が起きたか、直接聞けます」
「今でなければなりませんか」
「今でなければ、あなたが次に同じ空へ行く」
伊藤は榊原を見た。
榊原の声には、疲労と罪悪感が混じっていた。技術者が現場の人間へ何かを頼む時の顔だった。頼むことが命に関わると分かっている顔。
「分かりました」
伊藤は手袋を外した。
柏木亮は、地下第七区画の医療室へ移されていた。
表向きには、基地病院での処置とされている。実際には、彼の証言が外へ出る前に、特防群と電子装備研究本部が聞き取る必要があった。
空で電子を失った者は、今の世界で最も貴重な観測機器だった。
それが人間であることを、誰も忘れないふりをしているだけだ。
伊藤が医療室に入ると、柏木はベッドの上で目を開けていた。
顔色は悪い。
頬には傷が残り、右腕は固定されている。だが目は生きていた。空を見た者の目だった。
「伊藤か」
柏木が言った。
「お久しぶりです」
「相変わらず、葬式みたいな顔をしている」
「三佐は葬式から戻ったような顔です」
柏木は少し笑い、すぐに痛みに顔をしかめた。
「笑わせるな」
「笑っていません」
「そういうところだ」
沈黙が落ちた。
二人はかつて同じ空にいた。
同じ部隊ではない。だが訓練空域で何度も顔を合わせた。柏木は堅実な操縦をする男だった。派手ではない。だが帰ってくる。どんな訓練でも、どんな悪天候でも、彼は機体を基地へ戻す。
伊藤は、そういうパイロットを尊敬していた。
口には出さなかったが。
「滝川は」
伊藤が訊いた。
柏木は天井を見た。
「まだ、見つからない」
「真壁二佐も未帰投です」
「そうか」
柏木は目を閉じた。
数秒だけ、呼吸が乱れた。
伊藤は何も言わなかった。
生き残った者に、言える言葉は少ない。
「聞きたいんだろ」
柏木が言った。
「空で何が起きたか」
「はい」
「計器は死ぬ。だが一度に全部じゃない。最初に、意味が死ぬ」
伊藤は眉を動かした。
「意味」
「数字は出る。針も動く。警告灯も点く。だが、どれが本当か分からなくなる。速度が生きているのか、死んだ速度を表示しているのか。高度が今なのか、数秒前なのか。右へ傾いているのか、機体がそう思わせているだけなのか」
柏木は、動く左手でシーツを掴んだ。
「機械が嘘をつくわけじゃない。機械は嘘をつけるほど生きていない。ただ、世界と機械の間の約束が壊れる」
伊藤は黙って聞いた。
「その後は、自分の体も信じられなくなる。加速で内耳が狂う。視界の端が白くなる。無線は雑音。僚機は見えない。目の前にある白いものだけが、やけにはっきりしている」
「対象から攻撃は」
「ない」
柏木は即答した。
「少なくとも、俺は攻撃されたとは思わない」
「では、何に落とされたのですか」
柏木は伊藤を見た。
「空だ」
伊藤の目が細くなった。
「空が、こちらの知っている空ではなくなった。飛行機は、空気と機械と人間の約束で飛ぶ。その約束のうち、機械との約束が破れた。残ったのは空気と手だけだった」
柏木は続けた。
「それでも、少しは飛べる」
「どのくらい」
「帰りたいと思っている間くらいだ」
伊藤は、初めて視線を落とした。
それは技術的な答えではない。
だが、たぶん最も正確な答えだった。
「伊藤」
柏木が言った。
「お前、また空へ行くのか」
「連華で地上任務です」
「嘘が下手になったな」
「昔から得意ではありません」
柏木は苦しそうに息をした。
「空を嫌いになったか」
伊藤は答えなかった。
その沈黙は長かった。
長すぎて、柏木は答えを得たような顔をした。
「嫌いになったなら、無理に戻るな」
「嫌いになったわけではありません」
「なら、怖くなったか」
伊藤の表情が、ほんの少しだけ硬くなった。
柏木はそれを見逃さなかった。
「怖いなら、覚えておけ」
柏木は言った。
「怖い空から帰る方法は、怖いと認めることだ。怖くないふりをした奴から、先に落ちる」
伊藤は目を上げた。
「三佐は、怖かったですか」
柏木は笑わなかった。
「死ぬほど怖かった」
その言葉は、伊藤の胸の奥へまっすぐ落ちた。
柏木は続けた。
「それでも、帰る理由があった」
医療室の隅に、小さな鉢が置かれていた。
朝顔。
美央が持ってきたものだろう。
つぼみはまだ閉じている。
伊藤はそれを見た。
空へ行く理由。
帰る理由。
彼には、どちらもあるのかどうか分からなかった。
格納庫へ戻る途中、加藤は第三隔壁の前で足を止めた。
止めるつもりはなかった。体が勝手に止まった。
重い鉄の扉。警告灯は消え、錆びた取っ手に封印テープが巻かれている。
月華の保管区画だった。
加藤はその扉を知っている。中に何があるかも知っている。空戦用の華。電子を捨てた代わりに人間の脳を制御系にした機体。同調試験の候補者が何人壊れたかも、なぜ封じられたかも、報告書の行間に書かれなかったことも。
いつか開く。
その予感だけが、扉の向こうから漏れてくるようだった。加藤は目を逸らし、歩いた。
壁際に、烈火の構造模型が置かれていた。
脚がない。
人間の形を途中で諦めたような上半身だけの異形が、埃を被って立っている。宇宙から落ちるための機体。帰る足を最初から持たない設計。実機は軌道施設で未完成のまま眠っている。
加藤は模型を見て、腹の底が冷えた。
連華は歩いて帰れる。月華には翼がある。烈火には、何もない。何もないまま、誰かが乗ることになる。
三つ揃って華計画。だが今、咲いているのは連華だけだ。
残りの二つが咲く時、何が散るのか。加藤は考えたくなかった。
休憩室で、加藤は古い写真を一枚だけ見た。
訓練場。泥。連華の試作一号機。その前で笑う若い隊員たち。
そのうち何人かは、もういない。
加藤は写真を伏せた。
理由は胸の奥にある。報告書に書かれた事実とは別の、自分だけが知っている重さがある。
今は、それに触れない。
「入るぞ」
黒崎仁陸将補の声がした。特別防衛特務群司令。白髪交じりの短い髪、節くれ立った指、爪の間に残る油の跡。軍人というより、古い町工場の親方のような手をしている。
黒崎は向かいの椅子に座り、伏せた写真をちらりと見た。
「次の任務が出る。連華班を出す」
「了解」
「返事が早い」
「遅くしても命令は変わりません」
黒崎は一拍置いた。
「部下を生かすためだけに動け」
加藤は黒崎を見た。
黒崎の声は、命令ではなく、ほとんど願いだった。
「対象に触れられなくてもいい。撃てなくてもいい。帰ってこい。三機で」
加藤は、すぐには答えなかった。
「努力します」
「足りん」
「では、全力で」
「それも足りん」
加藤は、ほんの少しだけ口元を動かした。
「必ず、と言う指揮官は信用するなと、部下に言いました」
黒崎は鼻で笑った。
「嫌なことを教える」
「教わったので」
黒崎は立ち上がり、ドアの前で足を止めた。
「お前の狂犬は、まだいるか」
加藤の目が、一瞬だけ冷えた。
若い頃の彼を知る者だけが使う言葉だった。
「いません」
「なら、必要な時まで埋めておけ」
扉が閉じた。
加藤は、伏せた写真へ手を置いた。
埋めておけ。殺せ、ではない。
いつか必要になると、黒崎は言っている。
加藤は目を閉じた。
今はまだ、使わない。
今はまだ、部下を生かすために冷たくいなければならない。
翌未明。
地下第七区画の作戦室に、連華班の三人が集められた。
加藤、奥山、伊藤。
三人とも、ほとんど眠っていない。だが顔つきは違っていた。
加藤は静かだった。
奥山は青かった。
伊藤は冷たかった。
「任務を伝える」
黒崎が言った。
壁の紙地図には、房総半島から太平洋沿岸へ広がる複数の赤い線が描かれていた。白い飛翔体の予測航路。干渉圏推定。避難区域。連華展開可能地点。手書きの地図は、すでに何度も消され、書き直され、紙の表面が毛羽立っている。
「対象は太平洋上で進路を変えつつある。第1特務機械化隊は、旧湾岸防衛施設跡へ展開。干渉圏内での近接観測を行う」
奥山が手を上げた。
「撃つんですか」
「撃つ許可は出す」
黒崎は答えた。
「撃破は期待しない」
奥山が小さく呟いた。
「期待されても困りますけど」
加藤がちらりと見た。
奥山は口を閉じた。
「接触は」
加藤が訊いた。
「可能であれば」
その言葉が、作戦室に落ちた。
奥山の顔がさらに青くなる。
伊藤は表情を変えない。
加藤だけが、ほんのわずかに頷いた。
「了解」
「なお」
黒崎は三人を見た。
「華計画には連華以外の系統がある。空と、宇宙だ。だが今は連華だけが動ける。お前たちが生きて戻れば、次の誰かが死なずに済む可能性が上がる。倒すことではない。生きて戻って、次の戦いを少しだけましにすることが任務だ」
奥山の唇が動いた。
「僕たちが死んでも、計画は続くんですか」
作戦室が静かになった。
「その通りだ」
黒崎の声は冷たかった。
だが、奥山を突き放してはいなかった。
「だが、俺はお前たちを消耗品として出すつもりはない」
奥山は、唇を噛んだ。
出撃準備は、夜明け前に始まった。
格納庫の機械式鐘が鳴る。
太いワイヤーが天井裏を走り、古い金属音が地中へ響く。電気ではない。信号でもない。ただ、物理的に打たれた音。電子が死んでも届く音。
整備員たちが、最後の確認を行う。
「一号機、胸部装甲閉鎖」
「二号機、弾倉固定」
「三号機、ブースター信管、安全」
「光学照準、清掃完了」
「手旗、積載」
「発光信号器、予備電池は」
「電池を信用するな。手旗を信用しろ」
「了解」
奥山は操縦殻へ入る前に、二号機の脚部へ手を当てた。
冷たい。
鉄はいつも冷たい。
人間が中に入って初めて、少しだけ温度を持つ。
「頼むから、今日は転ばないでください」
彼は機体へ小さく言った。
整備員が聞いていた。
「機体に敬語か」
「怖いので」
「正しい」
奥山は、意外そうに整備員を見た。
整備員は二号機の装甲を叩いた。
「怖がってる奴の方が、機械を雑に扱わない」
奥山は少しだけ頷いた。
「戻ったら、全部文句言います」
「戻ったら聞いてやる」
「長いですよ」
「整備の方が長い」
奥山は、今度は少しだけ笑えた。
伊藤は三号機の前で、ブースターのノズルを見ていた。
榊原が近づく。
「三号機の噴射系は、干渉圏内での点火信頼性が不明です。使わないでください」
「命令ですか」
「技術者からの懇願です」
伊藤は、しばらく黙っていた。
「状況次第です」
榊原は苦い顔をした。
「柏木三佐は、帰る理由があったと言いました」
榊原は黙って聞いた。
「僕には、それが何か分かりません」
それは独白に近かった。
伊藤が、自分の内側を言葉にするのは珍しい。
「帰る理由は、先に持っているとは限りません」
榊原は言った。
「帰ってから見つかることもある」
伊藤は彼を見た。
「技術的ではありませんね」
「今日は、技術的なものがずいぶん負けました」
榊原は自嘲気味に笑った。
伊藤は笑わなかった。
だが、拒まなかった。
加藤は一号機の操縦殻へ向かう前に、三人を見た。
「連華班」
奥山が背筋を伸ばす。
伊藤が振り返る。
「今回の任務は観測だ。撃破ではない。英雄になる必要もない。死んで証明することもない」
加藤は一拍置いた。
「生きて戻る。戻って、見たものを話す。それができなければ、次の誰かが同じ場所で死ぬ」
奥山が小さく頷いた。
伊藤も頷いた。
「奥山」
「はい」
「怖いか」
「怖いです」
「よし」
加藤は伊藤を見た。
「伊藤」
「はい」
「怖いか」
伊藤は、すぐには答えなかった。
格納庫の音が、その沈黙を埋めた。
やがて、伊藤は言った。
「怖いです」
奥山が目を丸くした。
加藤は頷いた。
「よし」
それだけだった。
だが、その一言で、伊藤の中の何かがわずかに変わった。
恐怖を認めても、空は消えない。
むしろ、恐怖を認めた時だけ、空は正しい高さを取り戻す。
「搭乗」
加藤が言った。
三人は、それぞれの鉄へ入った。
胸部装甲が閉じる。
ハーネスが締まる。
機械式リンクが腕へ、脚へ、背中へ接続される。
外の音が鈍くなる。
世界が狭い光学照準器の中へ収まる。
『一号機、圧正常』
『二号機、圧正常。たぶん正常』
『三号機、圧正常』
整備員が奥山へ怒鳴った。
『たぶんをつけるな』
「すみません、でも針が揺れてます」
『揺れる針だ』
「そういう設計なんですか」
『そういう世界になった』
奥山は黙った。
その答えは、妙に腑に落ちた。
そういう世界になった。
昨日までの世界ではない。
なら、昨日までの勇気も、昨日までの兵器も、昨日までの言葉も、そのままでは使えない。
隔壁が開き始めた。
地下輸送路の闇が、三機の前に口を開ける。
赤い非常灯が、連華の装甲を血の色に染めた。
黒崎司令の声が有線に入る。
『第1特務機械化隊。出撃を許可する』
加藤は操縦桿を握った。
「連華班、出る」
一号機が歩き出した。
二号機が続く。
三号機が最後に、ブースターの重みを背負って前へ出る。
油圧が唸り、歯車が噛み、ワイヤーが張った。
地上では、白い飛翔体が沈黙したまま空を進んでいる。
世界の槍は折れた。
地下の華は、まだ咲いていない。
それでも、根は動き始めていた。
鉄の根が、地上へ向かって伸びていく。
誰かがもう一度近づかなければならない。
その誰かとして、三機の連華は暗い輸送路を進んだ。
ここまでお読みくださり、ありがとうございます。
第4章「地下の華」でした。
連華班と華計画を中心に描きました。
電子が死ぬ戦場で動くために作られた、古く、重く、遅い鉄の足。
加藤、奥山、伊藤が本格的に物語の中心へ入ってきました。
彼らは英雄として完璧な人間ではなく、それぞれに恐怖や傷や癖を抱えたまま、連華へ乗ります。
次章では、三機の連華が白い飛翔体の干渉圏へ向かいます。
第1部の決着となる初陣です。




