第16章 防衛線
篠籠島に降りた連華班。相手は白い飛翔体ではなく、荻野博士の研究所が放った無人重機「ピンポン野郎」と、町の空に浮かぶ正体不明の飛行型です。
人の暮らしが残る町で、鉄の足は何を守り、何を壊すのか。加藤、奥山、伊藤、それぞれが限界に触れる章です。
篠籠島の町は、まだ生活の形を残していた。
だからこそ、戦場より恐ろしかった。
燃えた商店街の看板には、昨日までの特売日が貼られている。
割れた薬局のガラス棚には、湿布と風邪薬が並んだままだ。
港へ向かう坂道の途中には、ランドセルが一つ落ちていた。赤い。片方の肩紐が切れている。雨でも降ったのか、布地は黒く湿っていた。
連華一号機の足裏が、アスファルトへ深く食い込む。
加藤一尉は、そのランドセルを踏まないように機体の重心をずらした。
わずかな動きだった。
だが、四・八メートルの鉄塊にとっては、それだけで脚部の油圧が唸る。
操縦殻の中で、警告灯が一つ増えた。
右膝関節、過負荷。
加藤は見なかったことにした。
今、見なければならないものは他にある。
『前方、十四。左路地、七。屋上、三』
白瀬凛三尉の声が、ノイズの中から届いた。
統合作戦通信室の回線は、もう安定していない。篠籠島の上空に漂う謎の飛行型機体が、周期的に通信を濁らせていた。
音が割れるたび、白瀬の声は遠ざかる。
それでも彼女は数を数え続けた。
『追加反応あり。港湾倉庫側から、六。いや、八。ごめん、映像が跳ねる。第1特務機械化隊、町役場前交差点が第一防衛線。そこを抜かれたら、民間人退避区画へ入られる』
「民間人は確認できるか」
『熱源はある。でも飛翔体干渉で赤外は信用できない。目視映像では、町役場地下、漁協倉庫、診療所裏に人影らしきもの』
「らしきもの、か」
『言い切れなくてごめん』
「謝るな。言い切れない方が助かる」
加藤は、機体の肩を少し下げた。
敵を見下ろしすぎない角度。
人を踏み潰さない角度。
そして、自分がまだ人間の町にいると忘れない角度。
路地の奥から、丸い無人重機が出てくる。
球体に近い装甲殻。
二本の逆関節脚。
折り畳まれた短い作業腕。
ピンクとも赤ともつかない単眼センサー。
現場の誰かがふざけて呼んだ名は、もう正式な敵性識別名のように通信へ乗っていた。
ピンポン野郎。
そのふざけた響きが、かえって不気味だった。
小さくて、丸くて、軽いはずの言葉。
だが目の前のそれは、アスファルトを砕きながら歩いてくる。
先頭の一機が、単眼を加藤へ向けた。
装甲殻の側面が開く。
「撃つぞ」
加藤が言うより早く、機関砲が火を噴いた。
曳光弾が胸部装甲を叩く。
衝撃が、座席の背中を殴る。
加藤は奥歯を噛み、機体を半歩前に出す。
『奥山、左を塞げ。伊藤、上を見るな。まず地上だ』
『上を見なければ死ぬ空です』
伊藤二尉の声は冷静だった。
その冷静さの底に、苛立ちがある。
三号機は背部ブースターを低く唸らせ、商店街のアーケード跡を越えて右側面へ回った。連華に翼はない。だが伊藤は、空気の厚みを読むように鉄の機体を滑らせる。
ブースターの噴射が短く弾け、三号機は二階建ての雑居ビルの屋上へ片膝をついた。
その直後、屋上に潜んでいた三機のピンポン野郎が跳ねた。
跳ねる。
歩くのではない。
脚部の圧縮機構を使い、球形の胴体を弾丸のように飛ばす。
伊藤は舌打ちした。
『こいつら、可愛い名前で動きが悪い』
連華三号機の左腕が、跳んだ一機を空中で掴んだ。
握り潰す。
球殻が裂け、赤い単眼が一瞬だけ強く光って消えた。
二機目は三号機の肩へ取りついた。
短い作業腕が装甲の継ぎ目を探る。
『自律解体までやるのか』
伊藤は肩を建物の壁へ叩きつけた。
壁が崩れ、粉塵が吹き出す。
ピンポン野郎は潰れたが、建物の内側から悲鳴が上がった。
伊藤の手が止まった。
『中に人がいる』
その一言で、戦場の速度が変わった。
奥山凪三尉は、二号機の操縦殻で喉を鳴らした。
「やっぱりいるんじゃないですか……人、いるんじゃないですか……」
左路地から七機。
白瀬が言った数。
実際には、もっといた。
火災で崩れかけた民宿の陰から、丸い胴体が次々に現れる。単眼が奥山の二号機を捉え、足音が一つの塊になって近づいてくる。
二号機は重武装型だった。
肩部に無誘導ロケット。
腰部に予備弾倉。
右腕に携帯型滑腔砲。
左腕に盾代わりの増加装甲。
火力だけなら、三機の中で最も頼れる。
だがここは町だった。
撃てば、壁が抜ける。
壁の向こうに、人がいるかもしれない。
撃たなければ、ピンポン野郎は民間人退避区画へ入る。
どちらを選んでも、人を壊す可能性がある。
奥山は、操縦桿を握ったまま固まった。
「隊長、撃てません」
『撃つな。塞げ』
「塞ぐって、どうやって」
『お前の機体は重い』
「ひどい」
『褒めてる』
加藤の声は荒いが、芯は落ち着いていた。
『民宿の看板柱を折れ。路地へ倒せ。足止めだけでいい』
「はい、はい、やります、やりますけど、こういうの訓練でやりましたっけ!?」
『今やってる』
奥山は泣きそうな顔で、二号機の左腕を伸ばした。
民宿の前に立つ、古い鉄骨の看板。
ようこそ篠籠島へ。
文字の半分は煤で読めない。
奥山は、その根元へ機体の手をかけた。
力を入れる。
鉄骨が悲鳴を上げる。
嫌な音だった。
誰かの記憶を折る音だった。
「ごめんなさい、ごめんなさい、弁償します、絶対しますから」
鉄骨が折れた。
二号機は看板を抱え、路地へ横倒しにする。
押し寄せていたピンポン野郎の先頭三機が、看板に衝突する。丸い胴体が弾かれ、後続が詰まった。
奥山は息を吐いた。
その瞬間、左上から甲高い振動音が降ってきた。
空気が、震えた。
音ではない。
音になる前のもの。
頭蓋骨の内側を、細い針でなぞられるような振動だった。
『上空反応! 例の飛行型、接近!』
白瀬の声が鋭くなる。
加藤は空を見た。
赤紫色に染まった煙の上を、銀灰色の機体が滑っている。
ヘリではない。
固定翼でもない。
月華ほど美しくもない。
薄い胴体。
腹部から垂れる円盤状フィン。
尾部で揺れる、羽根とも推進器とも言えない構造。
飛ぶというより、町の上に吊られている。
それが加藤の真上で止まった。
次の瞬間、振動が落ちてきた。
連華一号機の操縦殻が、鐘の中のように鳴った。
金属の壁が震え、計器の針が一斉に跳ねる。
加藤の視界が白く滲む。
耳の奥で、誰かが叫んでいる。
いや、自分かもしれない。
身体が座席へ押しつけられた。
胃が持ち上がる。
息が吸えない。
『隊長!』
奥山の声が遠い。
加藤は操縦桿を握ろうとした。
指が動かない。
振動は機体を壊しているのではない。
人間だけを狙っている。
皮膚の内側。
骨の継ぎ目。
眼球の奥。
そこだけを選んで揺らしてくる。
加藤は歯を食いしばった。
歯が割れそうな音がする。
「……離れろ」
声にならない。
だが自分に言った。
命令ではなく、生き物としての反射。
一号機が、よろめきながら半歩下がる。
飛行型は追ってくる。
真上を維持したまま、振動を強める。
加藤の喉から、低い呻きが漏れた。
六年前のB-MAXの記憶が、振動でこじ開けられる。
潮。
燃料。
焦げたゴム。
止まれという声。
自分の巨大な手が、誰かの帰る場所を壊していく感触。
怖い、と思った。
それは助かった証拠だった。
怖い。
なら、まだ戻れる。
『加藤一尉、上空機から離脱して! 脳波、じゃない、そんなもの取れてないけど、とにかく機体応答が乱れてる!』
白瀬が叫ぶ。
伊藤が即座に動いた。
三号機の背部ブースターが火を噴き、屋上から跳んだ。
『奥山、一号機の足元を空けろ』
「無理です、左から来てます!」
『空けろ』
「言い方!」
奥山は泣きながら、二号機の肩部ロケットを捨てた。
撃てないなら重りだ。
弾薬ラックを手動解放。
重いロケットポッドがアスファルトへ落ちる。
奥山はそれを足で蹴り、路地の詰まりへ転がした。
ピンポン野郎の足元が乱れる。
その隙に、伊藤の三号機が一号機の肩を掴んだ。
『隊長、機体を殺さない程度に力を抜いてください』
「……言う、のが……遅い」
『まだ喋れるなら十分です』
三号機のブースターが再点火する。
連華一号機の巨体が、引きずられるように交差点から外れた。
飛行型機体の振動圏が、わずかにずれる。
加藤の視界に、色が戻った。
息を吸う。
痛い。
痛いなら生きている。
一号機は商店街の看板を砕きながら、歩道へ膝をついた。
飛行型機体は、追撃しなかった。
ただ、上空でゆっくりと旋回している。
観察しているのだ、と加藤は思った。
攻撃ではなく、試験。
どれだけ揺らせば、人間が離れるか。
どれだけ苦しめれば、連華が止まるか。
誰が作った。
荻野か。
研究所か。
月華の亡霊か。
考えるほど、疑いは増える。
だが今は、疑いを育てる時間ではなかった。
『隊長、応答』
伊藤の声。
「生きてる」
『機体は』
「怒ってる」
『搭乗者も同じに聞こえます』
加藤は喉の奥で笑った。
その笑いはすぐに咳になった。
血の味がした。
「奥山」
『はい!』
「防衛線を維持しろ。俺と伊藤は飛行型を引き剥がす」
『えっ』
「町役場地下に人がいる。ここを抜かせるな」
奥山は、返事をしなかった。
返事をする余裕がなかった。
左路地の看板バリケードを、ピンポン野郎が乗り越え始めている。
屋上からも新手が降ってきた。
港湾倉庫側から、さらに球形の影が増える。
白瀬の声が震えた。
『奥山三尉、周辺三十前後! いや、三十二、三十三……単機で抱える数じゃない! 一号機を戻して!』
「戻せませんよ」
奥山は、自分の声が妙に平らだと気づいた。
怖くないのではない。
怖さが、喉の奥で冷えて固まっている。
町役場の地下に人がいる。
診療所裏にも。
漁協倉庫にも。
そして今、隊長は膝をついた。
伊藤は空を見るしかない。
なら、ここには自分しかいない。
自分しかいない。
その考えが、奥山の中で何かを切った。
細い糸ではなかった。
錆びた鎖だった。
「僕、ずっと嫌だったんですよ」
奥山は呟いた。
誰に向けた言葉か、自分でも分からない。
ピンポン野郎が、二号機の盾へ取りつく。
機関砲が至近距離で装甲を削る。
火花が操縦殻のキャノピーに散った。
「怖いのも、撃てないのも、誰かがいるかもしれないって考えるのも、全部嫌だったんです」
左腕を振る。
盾に取りついた一機を、壁へ叩きつける。
球殻が割れる。
赤い単眼が潰れる。
「でも、お前ら」
奥山の声が変わった。
高く震えていた声が、低くなった。
「人がいる場所に、何の顔もせず入ってくるなよ」
右腕の滑腔砲を持ち上げる。
撃てば危ない。
だから撃たない。
奥山は、滑腔砲を棍棒として使った。
砲身を横薙ぎに振る。
三機のピンポン野郎がまとめて吹き飛び、停車していた軽ワゴンへ叩き込まれた。
爆発はない。
運がよかった。
奥山は運がよかったことに感謝しない。
次の一機を踏み潰す。
その次は蹴る。
作業腕で脚を狙ってきた一機を、膝で地面へ押さえ、砲身の根元で単眼を砕く。
『奥山三尉、下がって! 包囲される!』
白瀬が叫ぶ。
「下がったら、町役場です」
奥山は笑った。
自分の笑い声が、操縦殻の中で知らない人間のものに聞こえた。
「こっちは臆病なんです。後ろに人がいる時だけ、後ろへ下がれないんですよ」
二号機が前へ出た。
重武装型の連華は遅い。
だが重い。
重さは、恐怖に似ている。
持っている間は苦しい。
しかし、ぶつければ相手を止める。
奥山は二号機の全重量を使って、路地の入り口へ突っ込んだ。
ピンポン野郎が群がる。
一機が右膝へ取りつき、関節の隙間へ工具状の腕を差し込んだ。
奥山は膝を壁へ叩きつける。
壁の向こうで誰かが悲鳴を上げた。
奥山の動きが、一瞬止まる。
その隙に、別の一機が胸部装甲へ飛びついた。
単眼がキャノピーのすぐ前で光る。
奥山は、その光を見た。
怖くなかった。
怖くない自分が怖かった。
だから叫んだ。
「怖いんだよ、こっちは!」
左手で球殻を掴み、引き剥がす。
地面へ叩きつける。
もう一度。
もう一度。
赤い光が消えても、腕は止まりかけなかった。
『奥山』
加藤の声が入った。
短い。
それだけで、奥山は戻った。
完全ではない。
ほんの少し、戻っただけだ。
彼は、叩きつける腕を止めた。
潰れた球殻から手を離す。
息が荒い。
涙が出ていた。
なぜ泣いているのか分からない。
怖いからか。
怒っているからか。
自分が止まりきれなかったからか。
全部だ。
「隊長」
『聞こえてる』
「僕、今、かなりまずいです」
『知ってる』
「止めてくださいね」
『止める』
その返事で、奥山はもう一度前を見た。
三十機近くいたピンポン野郎は、半分以下になっていた。
しかし残りは逃げない。
怯えもしない。
仲間が潰れたことを学習して、今度は距離を取って包囲を広げている。
正面から来ない。
屋根。
側溝。
崩れた店舗の二階。
民間人を盾にするような位置ではない。
そもそも、彼らに盾という概念はない。
ただ最短経路を選ぶ。
それが人間にとって最悪の経路になる。
奥山は、二号機の残弾を見た。
撃てる。
撃てない。
その二つの間に、別の道を探す。
彼は肩から外したロケットポッドの固定ワイヤーを手動で引き抜いた。
長い。
太い。
切れにくい。
これなら使える。
「白瀬三尉、町役場地下の入口、どこですか」
『南側階段。あなたの背後二十メートル』
「そこから遠い順に、敵の位置を読み上げてください」
『何をするつもり』
「玉入れです」
『今それ言う!?』
奥山は笑った。
笑いながら、ワイヤーを二号機の左腕に巻きつける。
先端を潰れたピンポン野郎の脚部に引っ掛けた。
鉄球付きの鎖。
雑。
訓練教範のどこにもない。
だが、今の町には、教範より壊れた鉄の方が多い。
『右屋上、二!』
二号機がワイヤーを振った。
潰れた球殻が弧を描き、屋上へ叩き込まれる。
二機が弾き飛ぶ。
『正面、バス停裏、三!』
奥山は踏み込む。
滑腔砲の砲身で一機を払い、ワイヤーで二機目の脚を絡め取る。
三機目が跳ねた瞬間、二号機の肩をぶつけて空中で潰した。
『左、側溝から一! 速い!』
「見えてます!」
見えていた。
怖いほど、見えていた。
脳の奥が熱い。
視界の端が白い。
身体が、機体より先に動こうとする。
奥山はその熱を全部使い、二号機の足を側溝へ叩き込んだ。
地面が割れる。
隠れていた一機が押し潰された。
『残り七!』
「全部、来い」
奥山は言った。
その声を聞いて、加藤は一号機の中で唇を噛んだ。
あれは強さではない。
壊れ方だ。
だが今、誰かを守るために、その壊れ方へ手を伸ばしている。
加藤は、自分が六年前に戻りかけていることを知っていた。
奥山も今、別の形でそこへ近づいている。
だから止めなければならない。
しかし、止めるためには飛行型をどかさなければならない。
上空の機体が、再び加藤へ振動を落とす。
今度は伊藤が間に入った。
三号機がブースターで跳び、飛行型の真下を横切る。
振動波が乱れた。
伊藤の声が初めて苦しげに歪む。
『なるほど……これは、嫌な空だ』
「離れろ、伊藤」
『命令としては正しいですが、実行するとあなたがまた倒れます』
「なら、一瞬でいい」
『一瞬なら』
三号機は背部ブースターの残圧を解放した。
機体が斜めに跳ね上がる。
空へ飛ぶというには低い。
だが、地上機としては異常な高度。
伊藤は、飛行型の腹部フィンへ連華の左腕を伸ばした。
届かない。
飛行型がふわりと上がる。
まるで、人間の手を嘲笑うように。
伊藤は笑った。
『届かないなら、届くものを投げます』
三号機は腰部に残っていた予備固定具を外し、空中で投げた。
ただの鉄の塊。
誘導もない。
爆薬もない。
だが飛行型は、それを避けた。
避けた。
加藤はそれを見た。
あれは反応している。
神のような存在ではなく、回避する機械だ。
なら、倒せる可能性がある。
加藤は操縦桿を握り直した。
頭の奥にはまだ痛みがある。
だが、痛みは道しるべになる。
「伊藤、もう一度飛べるか」
『飛ぶという言葉を使うなら、不本意ですが』
「上へ追え。俺が下から撃つ」
『町があります』
「撃つのは町じゃない」
加藤は一号機の右腕を上げた。
携帯型滑腔砲。
照準器は電子ではない。
ただのレンズ。
刻まれた線。
人間の目。
震える手。
それだけで、空に浮く機械を狙う。
飛行型が再び振動を落とす前に、伊藤の三号機が横から跳んだ。
ブースター炎が短く伸びる。
飛行型は上昇する。
その瞬間、腹部フィンがわずかに開いた。
加藤は撃った。
砲声が町を殴る。
反動で一号機の脚部杭がアスファルトへめり込む。
砲弾は、飛行型の腹を掠めた。
直撃ではない。
だが円盤状フィンの一枚が砕け、銀灰色の機体が大きく傾いた。
振動が止まった。
飛行型は高度を上げ、研究所のある山腹へ逃げるように離れていく。
伊藤が息を吐いた。
『追撃しますか』
「しない。奥山を止める」
加藤は即答した。
交差点へ向き直る。
そこには、戦闘の跡があった。
三十機近いピンポン野郎は、ほとんどが動かなくなっていた。
丸い胴体は割れ、脚は折れ、単眼の赤は消えている。
最後の一機が、町役場の階段へ向かって跳ねた。
奥山の二号機が、その前に立つ。
滑腔砲は曲がっていた。
左腕の装甲は剥がれ、膝から油が流れている。
それでも二号機は立っていた。
奥山は、最後の一機を掴んだ。
握り潰せる。
簡単に。
だが、手が止まる。
ピンポン野郎の単眼が、赤く揺れている。
そこに人間はいない。
だが作った人間はいる。
命令した人間もいる。
これをここへ置いた人間もいる。
急に吐き気が込み上げた。
「もう、嫌だ」
彼は言った。
「僕、こういうの嫌です」
加藤の一号機が近づく。
『奥山、殺すな。止めろ』
「無人です」
『それでもだ』
「敵です」
『それでもだ』
奥山は泣いた。
泣きながら、掴んだピンポン野郎の脚部だけを砕いた。
球形の胴体が地面へ落ちる。
単眼はまだ光っていたが、もう動けない。
奥山は操縦桿から手を離した。
二号機が、ゆっくりと膝をつく。
周囲に、足音はもうなかった。
白瀬の声が、小さく入る。
『町役場地下、扉が開く』
瓦礫の向こうで、鉄の扉が内側から開いた。
最初に出てきたのは、年配の男だった。
顔は煤で汚れ、手には白い布を持っている。
その後ろに、子ども。
老人。
包帯を巻いた女性。
数十人。
皆、連華を見上げていた。
恐怖の目だ。
助かった人間の目でもある。
奥山は、その両方を見た。
自分たちは救いに来た。
だが、彼らから見れば、町を壊しながら現れた鉄の巨人でもある。
年配の男が、震える声で言った。
「政府の人か」
加藤は外部スピーカーを開いた。
『防衛庁、第1特務機械化隊です。避難誘導を行います。負傷者は』
「博士を殺しに来たのか」
その言葉が、交差点に落ちた。
加藤は返答を失った。
男の後ろで、若い母親が子どもを抱きしめている。
誰かが泣いている。
誰かが加藤たちを睨んでいる。
誰かは、ただ立っているだけで精一杯だった。
島の人間にとって、荻野誠一博士は反乱者ではない。
おそらく、守ってくれた人間だ。
政府が見捨てたと思った島で、研究所を閉じ、無人重機を置き、空に謎の機体を飛ばした人物。
その行為が正しかったかは分からない。
だが、ここにいる人たちは、正しさより先に生き延びている。
加藤は外部スピーカーの音量を少し落とした。
『殺しには来ていません』
「なら、何をしに来た」
『連れて帰りに来ました』
男は笑わなかった。
信じてもいない。
それでいい、と加藤は思った。
この島で、信じろという方が無理だ。
疑心は、すでに水道水のように町へ回っている。
加藤たちは、その中でまだ言葉を使わなければならない。
白瀬の通信が割り込んだ。
『作戦開始から八分四十秒経過。研究所方面、防衛線再構築の兆候。山道ゲートに大型反応。ピンポン野郎より大きい』
伊藤が山を見た。
研究所へ続く道の上で、赤い単眼がいくつも灯り始めている。
まるで山そのものが目を開けたようだった。
奥山は、まだ泣いていた。
加藤はそれを見て、少しだけ安心した。
泣けるなら、まだ戻れる。
「奥山、立てるか」
『立ちたくないです』
「分かる」
『でも、立てます』
二号機がゆっくりと立ち上がる。
膝から油が落ちる。
曲がった滑腔砲を、杖のように地面へ突いた。
伊藤の三号機が、空を見ながら低く言った。
『飛行型は研究所方面へ後退。損傷は軽微。次は、学習してくるでしょう』
「こっちも学習した」
加藤は答えた。
まだ頭痛は残っている。
振動の余韻が、骨の奥で鳴っている。
だが彼は、機体を山道へ向けた。
町役場の前には、助かった人間たちがいる。
壊れたピンポン野郎が転がっている。
赤いランドセルは、まだ路肩に落ちている。
加藤は一号機の手を伸ばし、それを拾った。
巨大な鉄の指で、できるだけ慎重に。
ランドセルは小さかった。
あまりにも小さかった。
加藤はそれを町役場の入口へ置いた。
誰のものかは分からない。
持ち主が生きているかも分からない。
それでも、踏まないで済んだものが一つある。
それだけで、まだ人間の側にいる気がした。
『第1特務機械化隊』
白瀬の声が、今度は少しだけ柔らかく聞こえた。
『山道第一ゲートまで、最短で四分。核攻撃検討ラインまで残り十一分』
奥山が乾いた笑いを漏らした。
『最悪の時報ですね』
『私もそう思う』
白瀬が答えた。
加藤は、山腹の研究所を見上げた。
そこに荻野がいる。
月華の影がある。
飛行型の謎がある。
人を帰すための足を、人から奪った理由がある。
加藤は操縦桿を握る。
「連華班、前進」
三機の鉄の足が、篠籠島の山道へ向かって動き出した。
背後では、住民たちがこちらを見ている。
感謝ではない。
憎しみだけでもない。
恐怖と期待と疑いが混ざった、人間の目。
加藤は、その目を背中に受けたまま進んだ。
防衛線は突破した。
だが、人間の中に引かれた線は、まだ一つも越えられていない。
それでも行く。
戻るために。
戻すために。
戻ってきた時、自分たちがまだ人間であるために。
お読みいただきありがとうございます。
第16章「防衛線」でした。
人間が作った防衛網と、人間が暮らす町の中で、連華班は飛翔体とは別種の地獄に叩き込まれます。
飛行型機体の振動に倒されかけた加藤。三十機のピンポン野郎に単機で向かい、限界の向こう側に足をかけた奥山。飛べない連華で空を追い続ける伊藤。
派手な交戦の裏で「守るために壊す」ことの痛みを刻んだ章です。
次章は研究所への山道。荻野博士が何を守ろうとしているのかに、ようやく手が届きます。




