表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
メタルブレーカーズ  作者: 源三郎


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
1/50

第1章 白いもの

新連載開始です。


巨大飛翔体と、それに立ち向かうアナログ二足歩行重機の物語です。

電子が死ぬ戦場で、最後に残るのは人間の目と、紙と、古い鉄の足だけ。


第1章では、房総半島沖に現れた白いものと、空に挑んだパイロットの死闘を描きます。

それは攻撃してきません。

けれど、攻撃ではないからこそ、人類は自分たちの弱さを知ることになります。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 第1部 世界が砕ける日(第1話〜第5話)

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


 電子が沈黙した空の下を、鉄の足が踏んだ。


 一歩。動く。もう一歩。まだ動ける。


 油圧の悲鳴と歯車の軋みだけが、世界に残った音だった。

 計器はとうに死んでいる。頼れるのは、己の目と、錆びた勘と、仲間の手旗だけ。


 干渉圏から戻った男が、格納庫の床に手をついて言った。


「地面があるのを確認してます」


 傍らの整備員が、その肩を叩く。


「あるぞ」


「よかった」


 涙が落ちた。声は出なかった。

 誰も笑わなかった。


 これは、そこに辿り着くまでの物語だ。


            *


 それは、攻撃ではなかった。


 後に生き残った者たちは、幾度もその事実を口にした。


 燃え落ちた街の瓦礫の前で。

 灯りの戻らない避難所の片隅で。

 あるいは、もう誰も聞く者のいない記録装置へ向かって。


 あれは、人類への攻撃ではなかった。


 都市は焼かれなかった。

 海も割られていない。

 空から火の雨が降ったわけでもなかった。


 ただ一つの巨大なものが、空に現れた。


 電子が死ぬ戦場で、最後に残るのは人間の目と、紙と、古い鉄の足だけだった。


 D.C.2000年、六月十九日、午前四時十二分。


 房総ぼうそう半島の沖合を航行していた海上保安庁かいじょうほあんちょう所属の巡視船「あきつしま」は、薄い霧の中にいた。


 夜明け前の海は黒く、空はまだ藍色で、水平線の位置は人間の目にはほとんど分からない。


 船体は低い波を切り、艦橋の窓には計器類の緑色の光が淡く映っていた。


 その時、見張りについていた二等海上保安正、野々村悟ののむら・さとるは、最初それを雲だと思った。


 雲にしては低い。そう思っただけだった。


 四十六歳。海の上では最後に信じられるのは自分の目だと、古い教官に叩き込まれた男だった。


 水平線の少し上、霧の向こう。夜が朝へ変わる直前の、世界が一番曖昧になる空に、それは浮かんでいた。


「……なんだ、あれ」


 野々村は双眼鏡を上げた。焦点が合わない。霧のせいではない。距離感そのものが壊れていた。


 白い、と言うしかなかった。朝の光を受けて白く見えているのではない。鳥でも航空機でも気球でもない。輪郭は滑らかで、ところどころ骨のような稜線が走っていた。


 野々村は双眼鏡を下ろした。


「艦橋、前方上空に未確認物体」


 声は自分でも驚くほど平静だった。


 艦橋の当直員が顔を上げる。


「方位は」


「真方位三一〇。高度……低い。かなり低い」


「航空機か」


「違う」


 言ってから、野々村は自分の言葉の乱暴さに気づいた。通常なら、断定などしない。未確認なら未確認、推定なら推定と言う。だがその時だけは、違う、としか言えなかった。


 艦橋のレーダー員が画面を覗き込む。


「こちらでは何も出ていません」


「見えている」


「鳥群では」


「双眼鏡を持ってこい」


 船長が短く命じた。


 次の数分で、艦橋の空気は変わった。眠気が消え、誰もが声を落とした。レーダーには映らない。航空管制からの予定航路にもない。海上保安庁の管制通信にも該当なし。だが肉眼では見える。双眼鏡でも見える。しかも、ゆっくりとこちらの上空へ向かっている。


 白いものは、音を立てなかった。


 それが野々村には一番不気味だった。飛ぶものは、たいてい音を持っている。エンジンの唸り、羽音、風切り、空気を押す圧力。どれほど高い空でも、何かしらの気配を残す。


 だがそれは、海の上を無音で進んでいた。


「距離は」


「測距不能」


「不能?」


「レーザーが返ってきません。いや、返っているのかもしれませんが、値が飛びます」


 船長は舌打ちしなかった。ただ、眉間の皺だけが深くなった。


「写真」


「撮っています」


 若い隊員がデジタルカメラを構えた。だが背面液晶には、空の一部が擦られたような染みしか写っていない。


「故障か」


「いえ、さっきまで使えていました」


 野々村はもう一度双眼鏡を上げた。


 白いものは、さらに近づいていた。


 その大きさを理解した瞬間、彼の背中に冷たい汗が流れた。


 最初は、航空機ほどだと思っていた。


 違った。


 距離を誤っていた。あまりにも大きいために、脳が勝手に遠くへ置いていたのだ。白いものはすでに巡視船の進路の先にあり、その下端は低い雲よりさらに下を通っている。もしあれが本当に空を飛ぶ物体なら、船よりも、港の倉庫よりも、沿岸に並ぶビルよりも大きい。


 野々村は、自分の喉が鳴る音を聞いた。


 やがて、それは「あきつしま」の上空を通過した。


 誰も喋らなかった。


 見上げるしかなかった。


 白い外殻には継ぎ目らしきものがなく、窓も、翼も、推進器もなかった。真下から見上げると、その表面は滑らかというより、何かに磨耗した骨に近かった。光沢はない。だが暗くもない。朝日がまだ届かない空の中で、白いものだけが、世界とは別の明度を持っていた。


 影が船を覆った。


 その瞬間、艦橋の灯りが一度瞬いた。


「電圧低下」


 機関室からの報告が入る。


「レーダー再起動しました」


「通信に雑音」


「GPSロスト」


「予備系に切り替えろ」


 声が重なる。訓練通りだった。誰も叫ばなかった。だが全員が、何か普通ではないものが始まったことを理解していた。


 白いものは、何もしなかった。


 巡視船を撃たなかった。

 光を放つこともない。

 海を荒らさなかった。


 ただ、日本本土へ向かって進んでいった。


 午前四時二十八分。


 「あきつしま」は、未確認巨大飛翔体ひしょうたいの第一報を送った。


 だがその報告は、送信された時点で、すでに半分壊れている。音声にはひどい雑音が混じり、データ添付は失敗し、座標情報の一部は欠落していた。受け取った側は、最初それを機器故障か、悪天候による誤認と判断した。


 無理もなかった。


 世界はまだ、その白いものを見る準備ができていなかった。




 午前五時五分。


 防衛庁ぼうえいちょう地下司令部では、白いものにまだ正式な名前がなかった。


 未確認飛翔体。

 巨大飛行物体。

 対象A。

 不明目標。


 書類によって呼び名は違い、端末に打ち込まれる略称も統一されていなかった。統一できるほど、情報が整理されていなかった。


 大型表示盤には、房総沖から関東上空へ伸びる推定進路が赤く表示されている。だがその線は、数分おきに途切れた。レーダーでは追えない時間があった。衛星画像は白く焼け、航空管制のデータには穴が空き、民間から寄せられる通報だけが異様な速度で増えている。


 空に白いものがある。


 その一文だけが、どの報告にも共通していた。


「もう少しまともな映像はないのか」


 統合幕僚会議から派遣された将官が、低い声で言った。


 返答したのは、電子装備研究本部から呼び出された技術官だった。まだ三十代半ばで、髪は寝癖のまま、首には入館証が斜めにかかっている。名前は榊原洋介さかきばら・ようすけ。平時なら、会議室の後方で資料を投影する側の人間だった。


「映像機器が近距離で異常を起こしています。デジタル撮像素子にノイズが乗り、距離計も不安定です。肉眼と光学望遠鏡の方が情報としては信用できます」


「肉眼だと」


「はい」


 将官は榊原を睨んだ。


「二〇〇〇年だぞ」


「承知しています」


「衛星も、レーダーも、航空管制も、民間監視網もある。それで肉眼の方が信用できると言うのか」


「現時点では」


 榊原は、自分の声が震えないように注意した。恐怖より先に、技術者としての屈辱があった。計測できない。記録できない。補正できない。目の前に現象があるのに、電子の網がそれを掴めない。


 彼は手元の紙束をめくった。


 紙だった。


 プリンターはすでに何度か停止していた。端末画面はまだ生きているが、誰もそれを完全には信用していない。情報はホワイトボードに手書きされ、古い地図にピンで留められ始めていた。


「対象を中心に、広域の電子障害が発生しています。範囲は変動していますが、半径百キロ以上。接近した航空機、船舶、地上設備の一部で、通信障害、測距不能、GPS喪失、映像記録の破損が確認されています」


「EMPか」


「似ています。ですが、通常の電磁パルスとは挙動が違います」


「違うとは」


「壊れるものと壊れないものの選別が、単純な耐性や遮蔽で説明できません。最新の高密度電子機器ほど不安定になりやすい一方で、古い光学機器や機械式装置は比較的影響が少ない」


 室内の誰かが笑った。


 乾いた、短い笑いだった。


「つまり、竹槍で見ろと」


 榊原は笑わなかった。


「少なくとも、現時点で最も確実な観測手段は人間の目と紙です」


「紙」


 別の士官が、信じられないものを見るように言った。


「紙と鉛筆です」


 榊原は答えた。


「消しゴムも要ります。間違えますから」


 笑う者はいなかった。


 だがその一言で、会議室の空気がわずかに人間のものへ戻った。


 沈黙が落ちた。


 その沈黙は、怒りではなかった。理解したくない事実を、全員が同時に理解し始めた音だった。


 近代兵器は、見ることから始まる。


 見つける。測る。追う。計算する。撃つ。


 その最初の段階が、白いものを前に崩れていた。


「迎撃機は」


百里ひゃくりから二機、浜松から二機、すでに上がっています。在日米軍にも照会中」


「接近させすぎるな」


「命令は出ています」


「命令が届けば、だろう」


 誰も返事をしなかった。


 榊原は表示盤を見た。


 赤い推定線は、東京湾をかすめるように伸びていた。高度は低い。あまりにも低い。航空機なら危険飛行どころではない。だが対象は、その常識すら借りていないように見えた。


 内線電話が鳴った。


 古い黒電話だった。司令部では冗談のように扱われていた予備回線の端末である。普段なら誰も使わない。だがその朝、最初に確実な音を立てたのはそれだった。


 当直士官が受話器を取る。


「はい。……はい。映像は? ……駄目か。肉眼では。……了解」


 受話器を置いた士官の顔が、わずかに白くなっていた。


「対象、東京湾上空へ進入」


 室内の視線が一斉に表示盤へ向いた。


 赤い線は、首都へ近づいていた。



 東京は、朝を始めようとしていた。


 新宿駅のホームには、すでに人がいた。六月の湿った空気。眠そうな会社員。制服姿の高校生。売店で缶コーヒーを買う男。イヤホンを耳に差したまま、足元だけを見て歩く女。誰もが、自分の一日に遅れないように動いていた。


 最初に空を見上げたのは、ホーム端で電車を待っていた老婦人だった。


 彼女は何も言わなかった。


 ただ、口を開けたまま止まった。


 その隣の学生が、つられて空を見た。


 次に、駅員が見た。


 それから、ホーム全体がゆっくりと上を向いた。


 高層ビルの間を、白い影が通っていた。


 遠いはずなのに近い。空にあるはずなのに、街の一部のようにも見えた。ビルの窓がその白を映し、朝の光を受ける前の都市が、巨大な影に一瞬だけ沈んだ。


 誰かが携帯電話を掲げた。


 それを合図に、いくつもの手が上がった。


 撮影しようとした。


 だが画面は乱れた。古い機種は固まり、新しい機種ほど奇妙な縞模様を吐いた。通話中だった者の声が途切れ、駅の電光掲示板が一瞬だけ文字化けし、発車メロディが途中で止まった。


 電車がホームの手前で停止した。


 自動放送が途切れる。


 駅員が無線機を叩いた。


「こちら新宿、応答願います。こちら新宿」


 返事はなかった。


 それでも、空の白いものは速度も高度も変えなかった。


 通過していく。


 それだけで、十分だった。


 そのただそれだけのことが、都市の呼吸を止めた。



 午前五時四十七分。


 百里基地を発進したF-15J二機は、白いものの後方へ回り込むように高度を取っていた。コールサインはスピア1、スピア2。二機はまだ攻撃命令を受けていない。任務は接近識別と警告だった。


 だが、スピア1の操縦席で、三佐さんさ柏木亮かしわぎ・りょうはすでに理解していた。


 警告する相手ではない。


 彼の正面、雲の切れ間の下に、白い飛翔体が見えている。距離は十分にある。あるはずだった。それでも、それは視界の中で大きすぎた。計器は不安定で、レーダーはときおり対象を見失う。データリンクは途切れがちで、管制の声には雑音が混じっていた。


「スピア1、対象を視認」


 柏木は報告した。


『こちら管制、形状を報告せよ』


「航空機ではない。翼なし。推進器なし。機体表面に発光なし。高度は……」


 高度計の針が跳ねた。


「高度は目視推定に切り替える」


 隣を飛ぶスピア2から、短い息が通信に乗った。


『冗談みたいですね』


「冗談なら笑っている」


 柏木は操縦桿を握る手に力を入れた。


 航空自衛隊に入って以来、何度も領空侵犯対応に上がった。所属不明機の識別も、異常接近も経験している。空の上では、相手が何者か分からない時間が必ずある。だが今回の「分からない」は、種類が違った。


 国籍が分からないのではない。

 目的が分からないのとも違う。


 あれを、飛んでいるものとして理解できない。


『スピア1、これ以上の接近は禁ずる。距離を維持』


「了解」


 柏木は答えた。


 その時、白い飛翔体の外殻を、青白い光が走った。


 一瞬だった。


 雷光のように鋭くはない。爆発のように広がるのでもない。光というより、空間の薄皮がめくれ、その下から別の色が覗いたように見えた。


 計器が落ちた。


 最初にレーダー。

 次に通信。

 それから、多機能表示装置。


 警告音が一斉に鳴り、すぐに途切れた。鳴るための電気まで失われたのだ。


「スピア2」


 返事はない。


「スピア2、応答しろ」


 柏木の声は、自分のヘルメットの内側で虚しく響いた。


 機体が左へ傾く。


 操縦桿が重い。制御も鈍い。反射で姿勢を戻そうとする。まだ飛んでいる。完全に死んだわけではない。だが機体のあちこちから、自分の知っている航空機の感触が抜け落ちていた。


 白い飛翔体は、前方を進んでいる。


 何もしていないように見えた。


 それでも、柏木の世界は壊れていた。


 彼は一瞬だけ、地上にいる妻と娘のことを考えた。


 娘の美央は、昨夜、寝る前に庭の朝顔を見に行った。まだ咲かない、と少し不満そうに言い、それから柏木の袖を掴んで、明日の朝は見ておいて、と頼んだ。


 明日の朝は基地だ、と彼は言った。


 じゃあ帰ってきたら、と美央は言った。


 約束、と小さな指を差し出した。


 柏木は、その指に自分の指を絡めた。


 そんなことを、今、思い出している。


 こんな場合に何を考えている。柏木は自分に腹を立てた。怒らなければ、指が震えそうだった。


 まだ落ちていない。


 操縦桿を握り直す。


 視界の端で、スピア2が高度を失っていくのが見えた。パイロットが脱出したかどうかは分からない。通信は死んでいる。確認する手段もない。


 柏木は歯を食いしばった。


 操縦士としてできることは、まだあった。


 機首を海へ向ける。

 都市から離す。

 少しでも人の少ない方へ。


 高度が落ちる。


 雲の切れ間から、東京湾の鈍い光が見えた。海まで届けばいい。届かなくても、せめて住宅地だけは避ける。計器は信用できない。管制も呼べない。だが、目はまだ見えている。手はまだ操縦桿を握っている。


 柏木は息を吸った。


「美央」


 声に出したつもりはなかった。


 ヘルメットの内側で、自分の声だけが聞こえた。


 次に帰ったら、朝顔を見る。


 そう考えた瞬間、彼は死を覚悟したのではなく、生きて戻る理由を見つけたのだと分かった。


 柏木は機体を引き起こした。


 左翼が重い。機首がぶれる。失速警報は鳴らない。鳴る機能がもう残っていない。それでも彼は、機体の震えを膝と背中で読んだ。航空機が電子の塊になる前から、人間はこうして空を飛んできたはずだった。


 落ちるな。


 まだだ。


 白いものは振り返らなかった。


 柏木は最後まで、それが自分たちを敵だと認識していたのかどうか分からなかった。



 午前六時十三分。


 防衛庁地下司令部の大型表示盤から、首都圏の情報が次々に欠落していった。


 航空管制、断続。

 民間通信網、混雑および障害。

 鉄道各線、停止。

 湾岸部、停電報告。

 自衛隊機二機、通信途絶。


 榊原は紙地図に赤鉛筆で線を引いた。指先が震えていた。技術官としての誇りなど、もうどこかへ消えていた。情報を集めるたびに、電子文明の端から端までが、白いものの影に触れただけで暗くなっていく。


 だが、奇妙なことが一つあった。


 死者の報告は、まだ少なかった。


 事故は起きている。航空機は落ちた。交通網は混乱し、医療機関も通信障害に苦しんでいる。だが白いものが直接何かを破壊した記録はない。爆撃も、熱線も、衝撃波もない。


 それはただ、進路を保っていた。


「敵意がない、ということか」


 誰かが呟いた。


 その言葉に、別の誰かが答えた。


「敵意がないまま、これなら」


 その先は言わなかった。


 言わなくても、全員が分かった。


 敵意がないまま、近づくだけでこちらの文明を止める存在。


 もし敵意を持ったら。


 もしこちらを見たら。


 もし何かを決めたら。


 司令部の空気が冷えた。


 その時、古い黒電話がまた鳴った。


 当直士官が受話器を取る。


「はい。……はい。地下第七区画だいななくかくから? 今は緊急回線を……」


 士官の声が止まった。


 榊原は顔を上げた。


 地下第七区画。


 その名称を知る者は、この司令部にも多くない。公式な図面には存在しない区画。予算書の上では別の施設に紛れ、研究項目の名称は何度も変えられ、現場の一部では冗談半分に「地下の花壇」と呼ばれている場所。


 士官は受話器を押さえ、将官を見た。


特防群とくぼうぐんより報告。第1特務機械化隊だいいちとくむきかいかたい連華れんか一号機、二号機、三号機、起動準備完了。連華班、加藤かとう一尉いちい以下、搭乗員待機完了」


 その言葉だけが、司令部の沈黙の中に落ちた。


 誰かが息を呑んだ。


 榊原は、まだ紙地図の上に置いたままだった赤鉛筆を握りしめた。


 白いものは、日本列島を横切りつつあった。


 世界はまだ、それが何であるかを知らない。


 だがその朝、人類は最初に理解した。


 自分たちの作った目では、あれを見ることができない。

 自分たちの作った耳では、あれを聞けない。

 自分たちの作った神経は、近づくだけで焼き切れる。


 それでも、地の底にはまだ、電子の神経を持たない鉄が眠っていた。


 旧く。

 重く。

 遅く。


 そして、動くためだけに造られた鉄が。


 地下第七区画の隔壁が、手動で開かれ始めた。


 白いものは、何も知らないように空を進んでいた。


 それは攻撃ではなかった。


 けれどその日、世界は初めて、自分がどれほど脆いものの上に立っていたのかを知った。


ここまで読んでくださり、ありがとうございます。


第1章「白いもの」でした。


今回は、白い飛翔体の出現と、電子機器に頼ってきた文明が最初に揺らぐ瞬間を描きました。

飛翔体は都市を焼かず、言葉も発しません。

それでも、空にただ存在するだけで、人間の作った目や耳を奪っていきます。


海上保安庁、自衛隊、技術官、そしてパイロット。

それぞれの日常が、同じ白いものによって少しずつ壊れ始めました。


次章では、その沈黙が都市と空へ広がり、ある少女の朝を壊していきます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

ここまでお読みいただきありがとうございます。
ブックマーク・評価・感想をいただけると、今後の執筆の大きな励みになります。

メタルブレーカーズ 目次へ戻る

― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ