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第3部 : 存在するはずのないロマンチックなルート

皆さん、お久しぶりです!


試験期間が終わり、ようやく執筆に戻ることができました!


まずは更新が遅くなってしまったこと、本当に申し訳ありませんでした。


今回の章は、キャラクター同士の会話や心の描写が多く、いつもより少し長めのパートになっています。


そして、更新を待ってくださった皆さん、今まで変わらず読んでくださっている皆さん、本当にありがとうございます!


皆さんの応援のおかげで、こうして続きを書くことができています。


それでは、今回の章をぜひ楽しんで読んでください!

「……」


「……」


「……」


温かい。


柔らかい。


「……」


「……え……?」


私の頭の中……


止まった。


いや。


止まったわけじゃない。


完全に粉々になった。


鼓動が耳の中で爆発した。


バドン!!


バドン!!


バドン!!


「……」


「……」


「……何……?」


視界が揺れた。


黄金色のヘーゼル色の瞳が、私を見つめ返していた。


とても近い。


近すぎる。


彼の息遣い……


感じられた。


「……」


「……」


「……」


そして――


私の脳がようやく理解した。


「……」


「……私たちの……」


「……私たちの唇が……」


「……」


「……」


「……えっ?!」


頭の中のあらゆる思考が一斉に爆発した。


えっ?!


待って!!


いや!!


こんなの……!!


なんで?!


どうしてこんなことになっちゃったの?!


これが私の初キスなんてありえない!!


いや、いや、いや、いや、いや!!


全身に熱が駆け巡った。


顔が火照っているようだった。


息ができなかった。


考えがまとまらなかった。


まばたきさえできなかった。


私の唇……


まだ彼の唇に触れたままだった。


キスしてる!!


私、中村くんとキスしてる!!


ああああああああああああああああああああああああ!


「……!!」


ようやく体が反応した。


「な、な、な、何してるんだ?!!」


バシッ!!


その音が部屋中に響き渡った。


手のひらがヒリヒリと痛んだ。


彼の顔が横へ跳ねた。


「……」


「……」


「……」


その後の沈黙は、なぜかさらに重く感じられた。


私は自分の震える手を見つめた。


「……」


「……」


私……


私……


私、彼を叩いたの?!


違う!


それなんてどうでもいいこと!


私たち、キスしたの!!


本当にキスしたの!!


私の初キス!!


もう終わっちゃった!!


あんなふうに?!


あの人と?!


顔がさらに熱くなった。


「な、な、中村くん、あんた…!!」


「あんた…」


「このバカ!!!」


「そ、そ、それは…」


「そ、そ、それは…」


「どういうわけか、あんたのせいなんだ!!!」


その言葉が口をついて出た瞬間……


脳裏の片隅で、小さな声が叫び返した。


滑ったのはあなたの方じゃないの!!


「そ、それ、分かってるわ!!」


自分の考えに答えてしまったことにも気づかぬまま、私は叫んでしまった。


「……」


「……」


「……」


待って。


私、今……


声に出しちゃった……?


頭が完全にパンクした。


声がひっくり返った。


「そ…


「そ…


「どういうわけか、あなたのせいだったのよ!!!」


止める間もなく、言葉が飛び出していた。


自分でも、それが支離滅裂だと分かっていた。


床に横たわったままの中村くんが、ゆっくりと私の方を振り返った。


彼は完全に呆気にとられた様子だった。


「…え?」


「え、えっ?!」


「それだけしか言えないの?!」


「私……」


彼は何度かまばたきをした。


「僕は……そんなこと……」


「あなた……」


「あなたが私の上に倒れてきたんだ……」


「そ、それくらい分かってるよ!」


「じゃあ、なんで私を殴ったの?!」


「私、その……」


私は口を開いた。


声は出なかった。


だって……


彼の言う通りだった。


私は足を滑らせた。


転んでしまった。


わざとじゃなかった。


彼のせいじゃなかった。


でも……


「……」


「……」


「……」


そんなことはどうでもよかった。


だって……


私たち……


キスしてしまった。


「私の初キスを盗んだのよ!!」私は泣きそうになりながら彼に叫んだ。


もう一秒たりとも彼を見るのが耐えられず、私はくるりと背を向け、ドアに向かって駆け出した。


「タ、橘さん――」


「話しかけないで!!」


私は両手で火照った顔を覆いながら、文字通り階段を駆け下りた。


こんなこと、ありえない。


こんなこと、ありえない。


こんなこと、ありえない!


私の……


私の初キス……


消えちゃった……


あんなふうに?!


しかも……


「中村くん、このバカ……!」


私は振り返ることなく、階段を駆け下りていった。




リクの視点:


「……」

部屋は静まり返っていた。


あまりにも静かすぎて……


……平手打ちの音がまだ反響しているのが聞こえるほどだった。


頬がヒリヒリした。


でも、なぜか……


ほとんど痛みを感じなかった。


ただ床に横たわったまま、虚ろな目で天井を見つめていた。


「……」


僕の唇……


まだ温かかった。


「……」


まさか……


本当に、今のは……?


「立花さん……」


気づく前に、その名前が唇から漏れていた。


返事はない。


階段を下りていく、慌ただしい足音だけが聞こえる。


「……」


ゆっくりと手を上げ……


……唇に触れた。


「……」


キス。


あの……


本物のキス。


私はゆっくりと息を吐いた。


「……」


「一体全体……?」


すべてがあまりにも早すぎた。


彼女が滑った。


私にぶつかってきた。


二人ともバランスを崩した。


そして、どちらかが反応する間もなく――


「……」


「……」


「そうなってしまった。」


私は目を閉じた。


「……」


「……なんて大惨事だ。」


私は後頭部をさすりながら、ゆっくりと体を起こした。


「……」


「明日、橘さんに絶対に殺される。」


実のところ……


さっき、彼女は本当に私を殺しかけていた。


私は無意識に、また頬に手を当てた。


「……」


「自業自得だったのかな。」


でも……


誰のせいでもなかった。


ただ……


運が悪かっただけ。


「……」


再び、部屋は静寂に包まれた。


私は視線を落とした。


指がまた無意識に唇を撫でた。


その時……


ほんの一瞬――


記憶がよみがえった。


ある声が。


「……初めてのキス……」


「……」


「……」


私の表情が固まった。


顔から温もりが消えた。


いや。


今じゃない。


「……」


「……こんなふうじゃダメだ。」


その言葉は、ほとんど囁きのように漏れた。


私は拳を握りしめた。


「……」


「……彼女の初キスを奪いたくなかった……」


罪悪感に苛まれていた……


誰かの初キスがどれほど大切か、分かっていたから……


私は自分を制した。


一瞬、目をぎゅっと閉じ、それから静かにため息をついた。


「……もういいや。」


何が起きたにせよ……


もう変えようがない。


それは事故だった。


それだけのことだ。



少なくとも……


そうあるべきだった。


私はゆっくりと立ち上がった。


落ちていたコントローラーを拾い上げた。


部屋に残っていた最後の明かりを消した。


そして静かに階段を下りていった。




アイリの視点:

足はまだ妙に力が入らない。


一歩踏み出すたびに、あのことを思い出して――


「だめ」


「考えちゃダメ」


リビングに着いた。


ちょうど二階へ上がろうとしたその時――


彼がちょうど階段を降りてきた。


ほんの一瞬……


私たちの視線が合った。


「……!!」


全身が凍りついた。


またしても顔に熱が駆け上がった。


彼じゃない……!!


今じゃない!!


彼はぎこちなく首の後ろをこすった。


「え、えっと……」


「今なら……僕の部屋で寝てもいいよ」


「……」


「……」


「……」


口を開いた。


声は出なかった。


彼の声を聞いた瞬間――


私の鼓動は完全に制御不能になった。


バクッ!!


バクッ!!


バクッ!!


「ふんっ!」


私はすぐに顔を背けた。


一言も発することなく――


彼の横を素通りした。


ほとんど走っているような勢いで。


まっすぐ二階へ。


彼には答えなかった。


振り返ることさえしなかった。


ただ……


逃げ出した。


カチッ。


寝室のドアが閉まった。


静寂。


「……」


「……」


「……」


ベッドに登った。


隅っこに丸まった。


膝を胸にぎゅっと引き寄せた。


両腕で脚を抱きしめた。


そして、その間に顔を埋めた。


「……」


「……」


「……」


「…ああああああああああああああああああああああああ!」


頭が完全にパンクした。


わ、わ、キスしちゃった!!


本当にキスしちゃった!!


唇と!!


私、初めてのキス!!


私はさらに深く顔を埋めた。


「ンッッッッッ……」


「な、なんで……」


「なんであんなことになっちゃったの……」


「あれは……」


「……ただの事故だった……」


だよね?


そうだった。


もちろんそうだった。


それなのに、なぜ……


なぜ、そのことばかり考えてしまうんだろう?


私は激しく首を振った。


「違う!」


「そんなのカウントされない!」


「絶対にカウントされない!」


「ただ滑っただけ!」


「それだけのこと!」


「……」


……


それなのに、なぜ……


あの温もりが、今でもはっきりと覚えていられるのはなぜ?


「……」


「……」


「……」


「あああああああああああああ!!!」


私はベッドに身を投げ出した。


片側に転がった。


それから反対側へ。


そして顔を枕に埋めた。


「うううううううううう!!!」


「バカ!!」


「バカな中村くん!!」


「……」


沈黙。


「……」


「違う。」


「私がバカなんだ……」


「待、待って!!」


「違う!」


「取り消す!」


「私のせいでもない!」


「……」


……


もしかして……


誰のせいでもなかったのかもしれない。


「……」


「ちっ……」


私は仰向けになった。


目を閉じた。


すぐにまた目を開けた。


目を閉じたその瞬間――


それが見えた。


あの驚いた瞳。


あの凍りついた表情。


私たちの間にある、あり得ないほどの距離が、一瞬にして消え去っていく。


「い、いや……」


「消えて……」


「思い出したくない……」


私は火照る顔を両手で覆った。


「……」


すると……


別の顔が脳裏に浮かんだ。


レン。


今日、彼が私に見せてくれた優しい笑顔。


彼の手の温もり。


あのキス……


私が彼の頬に贈ったもの。


「……」


胸の奥に、かすかな痛みが広がった。


「……私の心は……」


「レンのもの。」


「ずっとそうだった。」


「それなら……」


「それなら、なぜ……」


なぜ私の初めてのキスが……


こんな形で起こらなければならなかったの?


「……」


涙がこぼれそうになったが、私は慌てて目をこすった。


「だめ。」


「泣いちゃダメ。」


「事故だったの。」


「それだけよ。」


「何の意味もないわ。」


「ないの。」


「絶対にないの。」


私は膝をさらに強く抱きしめた。


「……明日……」


「……二人とも会いに行くわ。」


レン。


そして……


中村くん。


「……」


「……えっ?!」


私は突然、背筋を伸ばして座り直した。


「い、いや!!」


「中村くんの顔なんて見られない!」


「恥ずかしさで死んじゃう!!」


私はすぐに毛布を頭から被った。


その下に完全に身を隠して。


「全部、あいつのせい……」


私はつぶやいた。


その一瞬後――


「……」


「……違う。」


「そうじゃない。」


「あれはただ……」


「……事故だった……」


私はその言葉を何度も繰り返した。


まるで、何度も口にすれば……


その記憶が消えてしまうかのように。


消えなかった。


私は膝をさらに強く抱きしめた。


そして、どんなに文句を言っても……


どんなに言い訳を並べても……


私の指先は静かに……


……唇へと戻っていった。


「……おはよう……」


ゆっくりと階段を下りながら、その言葉がほぼ無意識に口をついて出た。


よく眠れなかった。


全然眠れなかった。


目を閉じるたびに――


あの光景が。


その。


一度。


一度。


ごとに。


「……」


ダイニングルームに着く前から、もう顔が熱くなっていた。


朝食の香りが家中に漂っていた。


「おばさん……おはよう。」


彼女は温かな笑顔を見せた。


「おはよう、アイリちゃん。」


「眠そうね。」


「あ、あ、ちょっと夜更かししちゃって。」


「はは、一晩中ゲームしてたの?」


「……」


「……」


「……」


思わずむせそうになった。


「一、一、一晩中なんてやってないよ!」


彼女はまばたきをした。


「ただ、夜更かししたみたいに見えたって言っただけよ。」


「……」


「……」


「……」


地面に飲み込まれてしまいたいと思った。


「ふふ。」


「かわいいね。」


か、かわいいわけない!!


私は静かにテーブルの席に着いた。


お願い……


どうか彼がまだ眠っていてくれますように……


お願い……


今回だけ……


足音。


「……」


「……」


「……」


まさか。


「中村くん。」


彼がダイニングに入ってきた。


目が合った瞬間――


パチン!


私は即座に反対方向を向いた。


私、彼なんて見てない!!


ありえない!!


昨日のあの後なんて!!


「おはよう。」


彼の声は妙にぎこちなく聞こえた。


「……」


私は聞こえなかったふりをした。


完全に。


絶対に。


100パーセント。


無視した。


「……」


「……」


「……」


目の端で……


彼がぎこちなく頬をかいているのに気づいた。


それから彼は静かに座った。


二人とも口をきかなかった。


一言も。


その沈黙は耐え難かった。


「……」


なんでそんなに近くに座ってるの?!


他にも椅子はあるのに!!


どいて!!


どこか別の場所に行け!!


こっちに向かって息を吐かないで!!


「……」


いや。


待って。


なんでパニックになってるのは私なの?!


彼がわざとキスしたわけじゃないし!


私が滑っただけ!


私にも責任があるんだ!


「……」


……


い、いや!!


なんで私が彼を擁護してるの?!


バカ!!


箸が手から滑り落ちそうになった。


私は箸をぎゅっと握りしめた。


朝食に集中しなきゃ。


朝食。


ご飯。


味噌汁。


魚。


普通。


すべてが普通。


昨日は何も起こらなかった。


本当に何も。


「……」


……


それなのに、なぜ……


彼の存在を、こんなにはっきりと感じられるの?


「ほら、アイリちゃん。」


リクの母親が、もう一品おかずをテーブルに置いた。


「たくさん食べてね。」


「あ、ありがとうございます。」


私はすぐにうつむいた。


何でもいい……


彼を見る以外なら、何でもいい。


「……」


テーブルの向こう側……


感じられた。


彼も何も言わなかった。


よかった。


そのままでいて。


思い出させないで。


謝らないで。


昨日のことは言わないで。


まるで何もなかったかのように振る舞おう。


「……」


「……」


「……」


すると――


「立花さん――」


「あ、あれは事故だったんです!!」


気づく間もなく、その言葉が口から飛び出した。


ダイニングルーム全体が凍りついた。


「……」


「……」


「……」


私の脳みそ……


動かなくなってしまった。


リクがまばたきをした。


「……お茶、もう一杯いかがですか、と聞こうとしただけなんです。」


「……」


「……」


「……」


ああああああああああああああああああああああああ!


私は顔を覆った。


「い、いいや!!」


「お、お茶なんていらない!!」


リクの母親は私たち二人を交互に見つめた。


「……」


「……昨日、何かあったの?」


「な、何もない!!」


あまりに素早く答えたせいで、声がひっくり返ってしまった。


「本当に何もない!!」


リクは拳で口を押さえて咳払いし、すぐに目をそらした。


「……」


バカな中村くん!!


なんで今、そんなこと聞くの?!


いや。


待て。


彼は紅茶のことを聞いてきたんだ。


また私のせい!!


「……」


……


消えてしまいたかった。


今すぐ。




レンの視点:


「……おはよう。」


学校へ向かって歩いていると、清々しい朝の空気に、近くのパン屋から漂う焼きたてのパンの香りが混じっていた。


背後から足音が近づいてきた。


「……おはよう、高橋くん。」


僕は振り返った。


「おはよう、白崎さん。」


彼女は優しく微笑んだ。


なんだか……


その笑顔を見ただけで、昨夜の疲れが少し和らいだ気がした。


「……よく眠れた?」


僕は頬を掻いた。


「たぶんね。」


「そう思ってたわ。」


「ん?」


「今日は、疲れが和らいでるみたい。」


「……」


やっぱり気づいてたんだ。


また。


「……君、意外と観察力があるね。」


「昔からそうよ。」


彼女は両手を背中で組み、私の横を歩きながら言った。


「それに……」


かすかな笑みが浮かんだ。


「……あなたを眠らせたのは私よ。」


「……」


「……」


すぐに顔が熱くなった。


「そ、そんな言い方しなくていいよ。」


彼女は無邪気にまばたきをした。


「他にどう言えばいいの?」


「私……」


「……」


「……いいや、いい。」


彼女から静かなくすくす笑いが漏れた。


「……顔、赤くなってる。」


「赤くなってないよ。」


「赤くなってる。」


「ただ、暑いだけ。」


「外は20度だよ。」


「……」


「……それは本題じゃない。」


彼女はまた笑った。


大声ではなかった。


朝のそよ風が運び去るのにちょうどいいくらいの声だった。


「……」


また聞こえてきた。


あの笑い声。


なぜか……


それを聞いて、僕もうっかり笑みがこぼれてしまった。


彼女はすぐにそれに気づいた。


「……笑ってるね。」


「君もだよ。」


「私が先に聞いたの。」


「僕が先に答えたよ。」


彼女はほんの少しだけ頬を膨らませた。


「……それ、不公平よ」


「最高の師から教わったんだ」


「……」


「……それ、褒め言葉だったの?」


「たぶんね」


彼女の頬に、かすかなピンク色が浮かんだ。


「……」


「……それ、受け取っておくわ」


突然――


何の予告もなく――


彼女は手を伸ばして……


……私のネクタイをそっと直した。


「……え?」


「結び方が曲がってた。」


「そう?」


「うん。」


私が反応する間もなく……


彼女は一歩近づいた。


とても近くまで。


「……」


「……」


一瞬、息が止まった。


彼女の指が丁寧にネクタイを緩め……


それから、ゆっくりとした繊細な動きで、再びまっすぐに整えた。


「……」


彼女があまりにも近かったので、シャンプーのほのかな香りが漂ってきた。


淡いフローラルの香り。


彼女の金色の瞳は、もっぱらネクタイの結び目に注がれていた。


完全に真剣な表情だ。


「……」


なぜか……


ふと、私たちの顔がどれほど近いかを強く意識してしまった。


「……」


心臓の鼓動が速まった。


「白崎さん……」


「ん?」


彼女が顔を上げた。


私たちの視線が合った。


「……!」


「……!」


二人とも固まってしまった。


彼女も気づいていなかったようだ。


私たちの距離は、ほんの数センチしかなかった。


どこを見ればいいのか、二人ともわからなくなるほど近かった。


「……」


「……」


彼女の頬に、かすかなピンク色がゆっくりと広がっていった。


「……ご、ごめんなさい。」


彼女は慌てて再び視線を落とした。


「あなたのネクタイに集中していたんです……」


「い、いいですよ。」


なぜ自分が緊張していたのか、自分でもよくわからなかった。


「……」


「……」


彼女はゆっくりと息を一つ吸った……


そして、ネクタイの結び目を整え終えた。


「はい。」


彼女はそっとネクタイを撫でて整えると、小さく一歩後ずさった。


「……終わったよ。」


そのわずかな距離ができた後で初めて……


私たち二人は、無意識のうちに止めていた息をようやく吐き出した。


「……」


「……」


彼女はぎこちなく微笑んだ。


「たぶん……」


「……今の方がずっと良くなったと思う。」


私は思わずネクタイに手を触れた。


「……うん。」


「……ありがとう。」


「……どういたしまして。」


ほんの一瞬……


二人とも何も言わなかった。


朝のそよ風が、静かに私たちの間に吹き抜けていった。


そして……


ほぼ同時に――


「……」


「……」


私たちは二人とも、視線をそらした。


私たちの顔に残ったほのかな赤みは、なかなか消えようとしなかった。


「レン!!」


背後から、聞き覚えのある声が響いた。


二人は同時に振り返った。


アイリは元気よく手を振りながら、私たちの方へ駆け寄ってきた。


「おはよう!!」


「おはよう、アイリ。」


「おはようございます、立花さん。」


彼女は満面の笑みを浮かべた。


「おはよう、白崎!」


ためらうことなく――


彼女は両腕を白崎に回して、陽気に抱きついた。


「おはよう~!」


「あ、あ、アイリ……」


白崎は小さく笑いながら、その抱擁に応えた。


「相変わらず元気だね。」


「へへ。」


すると、アイリは私の方を向いた。


「おはよう、レン!」


私が答える間もなく――


彼女は何気なく両手を私の右腕に回して、子供の頃から数え切れないほど繰り返してきたように、その腕を自分の胸に抱き寄せた。


「行こう!」


「……え?」


突然の温もりに、私は一瞬、体がこわばった。


「…あ、あい。」


「何?」


「腕が抜けそうになったよ。」


「嘘つき。」


彼女は頬を膨らませた。


「ほとんど力入れてないよ。」


「それが問題じゃないんだ……」


私は気まずそうに頬をかいた。


「……」


白崎は静かに私たち二人を見つめていた。


そして――


一言も発することなく――


彼女はそっと手を伸ばし……


……私の空いている左手を握った。


「……え?」


私は驚いて彼女の方を見た。


彼女もまた、同じように驚いた様子だった。


「……」


「……」


「……」


彼女の瞳がほんの少し見開かれた。


「私……」


頬にほのかな赤みが差した。


「……私、ただ……」


彼女は言葉を詰まらせた。


「……」


「……そう思ったの……」


彼女の声はさらに小さくなった。


「……そうでないと不公平だと思ったの。」


「……え?」


その言葉が口をついた途端――


彼女は今言ったことに気づいたようだった。


「……!」


彼女の顔はたちまち真っ赤になった。


アイリはまばたきをした。


「……ん?」


場内は妙に気まずい空気に包まれた。


その時――


「中村くん?」


アイリは突然、後ろを振り返った。


「……」


僕は彼女の視線を追った。


数メートル後ろを、リクが歩いていた。


両手をポケットに突っ込んだまま。


その表情は、いつもとは違って無表情だった。


「……おはよう。」


「……おはよう。」白崎が答えた。


その返事は静かだった。


静かすぎる。


「……」


何かが……


おかしい。


それから、私は再びアイリの方を振り返った。


彼女はすでに目をそらしていた。


彼を待たなかった。


歩みを緩めなかった。


文句も言わなかった。


からかうこともなかった。


ただ、私たちの横を歩き続けただけだった……


まるで彼がそこにいないかのように。


「……」


それこそが、さらに奇妙だった。


普段なら……


あの二人は通りの端にたどり着く前に、もう言い争いを始めていたはずだ。


私は再び後ろをちらりと見た。


リクは誰の顔も見ていなかった。


ただ黙々と一人で歩いているだけだった。


「……」


「……何かあったんだ。」


私はほんの少しだけ歩調を緩めた。


そして、目立たないように……


彼の横に並ぶまで、そっと後ろに下がった。


私たちの前には……


アイリはすでにシロサキと再びおしゃべりを始めており、二人は何かについて笑い合っていた。


私たち二人は、その数歩後ろを歩いていた。


私は横を向いた。


「……リク」


「……ん?」


「何があったの?」


「……それは……」


彼は首の後ろをこすった。


「……長い話なんだ」


声を潜めた。


「……で?」


リクは首の後ろをかいた。


「……大げさにしないって約束して。」


私は眉をひそめた。


「……その言葉だけで、大げさにしたくなるわ。」


彼はため息をついた。


「……」


「……昨晩……」


「……立花さんと僕は……」


彼は躊躇した。


そして、静かにこう言った――


「……うっかりキスしちゃった。」


「……」


「……」


「……」


私は足を止めた。


「……何?」


リクは歩き続けた。


「……聞こえただろ。」


「違う。」


「絶対に聞いてない。」


「聞いたよ。」


「認めない。」


私は彼をじっと見つめた。


「……もう一度言って。」


彼はすっかり疲れ切っているようだった。


「……うっかりキスしちゃったんだ。」


「……」


「……」


「……」


「……えっ?!」


私の声は、意図したよりもずっと大きくなってしまった。


アイリとシロサキが二人とも振り返った。


「な、何でもない!!」


私はすぐに両手を振った。


「歩き続けて!」


二人は戸惑ったような顔を見合わせ、それから会話を続けた。


私はすぐにまた声を潜めた。


「……違う。」


「信じない。」


「信じなくてもいい。」


「絶対にありえない。」


「あるよ。」


「どうやって?!」


「アイが急に告白したの?」


「なんで彼女がそんなことを……」


「君が告白したの?」


「違う!!」


「……どっちかが賭けに負けたの?」


「違う。」


「じゃあ、どうやって?!」


リクはまたため息をついた。


「……彼女が滑ったんだ。」


「……」


「……彼女が何?」


「床にコントローラーが落ちていたんだ。」


「彼女がそれを踏んでしまった。」


「バランスを崩して。」


「僕に倒れ込んできた。」


「二人で転んだ。」


「……」


「……」


「僕たちの唇が……」


「……触れ合ってしまった。」


「……」


「……」


私は数秒間、彼をじっと見つめた。


その光景を頭の中で思い描こうとしていた。


アイ。


滑って。


リクにぶつかって。


二人で転んで。


そして――


「……」


「……」


私の肩が突然震え始めた。


「……レン。」


「……」


「……レン。」


「プッ――」


「……やめて。」


「や、やってるよ!」


「ハハハハ!!」


私は腹を抱えて笑った。


「お前たち?!」


「みんなの中で、まさかお前たち?!」


「偶然のキス?!」


「あ、あの時の彼女の顔、想像もつかない!」


私は目から涙を拭った。


「たぶん、殺そうとしたんじゃないの!」


リクは目をそらした。


「……彼女に平手打ちされた。」


その言葉で、さらに笑いが止まらなくなった。


「ハハハハハハハハ!!」


「マジで平手打ちされたの?!」


「やっぱり!」


「絶対そうなるってわかってた!」


通りすがりの人たちが、私たちの方をじろじろ見始めた。


私は笑いを止められなかった。


「お腹が……」


「痛い……」


リクはため息をついた。


「……話して後悔した。」


「当然でしょ!」


私は笑いながら彼を指さした。


「これ……」


「……今年一番面白い出来事だ。」


「もう始まってるじゃない」


「おい、やめてよ」


「何年も私をからかってきたくせに」


「これは仕返しだと思って」


リクはため息をついた。


「……君、これ、楽しすぎじゃない?」


「本当にね」


私はニヤリと笑いながら、彼に顔を近づけた。


「……幸せな二人を祝福すべきかな――」


「車道に突き落とすぞ。」


「……」


「……それも一理あるな。」


私は再び笑ってから、ようやく落ち着きを取り戻した。


「……でも、本気で言うけど……」


「本当に事故だったの?」


彼は即座に頷いた。


「……ああ。」


「彼女が滑ったんだ。」


「反応できなかった。」


「……それで……」


「……そうなっちゃった。」


私は前を見た。


数メートル先を、アイリがシロサキと一緒に歩いていた。


彼女は一度も振り返らなかった。


「……」


「……彼女の反応を見る限り……」


「あまり良い反応じゃないみたいだ。」


リクは疲れたような笑みを浮かべた。


「……それじゃ控えめな表現だ。」


「昨夜から、まるで公敵ナンバーワンみたいに扱われてるんだ。」


「……痛いな。」


「ああ。」


私は小さく笑った。


「……かわいそうに。」


「……」


彼は答えなかった。


彼の顔に浮かんだ笑み……


目元まで届いていなかった。


「……」


また彼をからかおうとしたその時……


思い出した。


リクの過去を……


「……ごめん。」


リクが私を見た。


「……ん?」


私は首の後ろをさすった。


「……君と誰かをカップルにしようなんて冗談を言うべきじゃなかったな」


「……」


ほんの一瞬……


彼はただ私を見つめていた。


そして――


彼は小さく笑った。


「いや、いいよ」


「大丈夫だよ」


彼は肩をすくめた。


「……正直なところ……」


「結構面白かったよ。」


「……本当に?」


「うん。」


「つまり……」


彼は頬を掻いた。


「……もしこれが他の誰かに起きてるのを目撃してたら……」


「……たぶん、僕も笑ってたと思う。」


私の顔に、ゆっくりと笑みが戻った。


「……ほらね?」


「やっぱり君のセンスはいいんだね。」


リクは目を転がした。


「調子に乗らないでよ。」


「もう立ち直ったよ。」


「へえ?」


「完全に。」


「つまり……?」


私はニヤリと笑った。


「……アイとのキスを認めたってこと?」


「……レン。」


「ん?」


「……さっき言ったこと、全部取り消す。」


私は笑った。


「やっぱりあの子だ。」


「親友がやっと戻ってきた。」


「ふん。」


「あんたには彼なんてふさわしくなかったわ。」


「痛っ。」


「自業自得よ。」


二人で笑った。


さっきまでの気まずい雰囲気は、静かに消え去った。


その朝初めて……


またいつもの私たちに戻ったような気がした。


「……ところで。」


リクが突然私を見た。


「……お前に借りがあるな。」


「何のこと?」


「俺の最大の恥ずかしい話を一つ教えてやったんだ。」


「だから?」


「だから、次は君の番だ。」


「……」


「……いや。」


「絶対に。」


「いや。」


「絶対に。」


「何も言わないわ。」


彼はニヤリと笑った。


「……じゃあ、白崎さんに聞くよ。」


「……そんなことしないでしょ」


「絶対に聞くよ」


「この化け物」


「最高の師匠から教わったんだ」


「……あなたと友達になって後悔した」


「嘘つき」


「……うん」


彼の口元から小さな笑みがこぼれた。


「……たぶんね」


私たちは一緒に歩き続けた……


取るに足らないことで言い争いながら。


通りの真ん中で、馬鹿みたいに笑いながら。


いつものように。


しばらくして、私たちは全員学校に着いた。


門をくぐろうとしたその時……


青い画面が現れた。


ああ……やっぱり……またか。


いつもの通知が来るだろうと予想していた。


新しいデイリークエスト。


馬鹿げた目標。


恥ずかしいようなもの。


でも……


何も表示されなかった。


私はまばたきをした。


「……」


画面は静まり返っていた。


すると、新しいメッセージが現れた。




[デイリータスク:


なし。


特別指示:


観察せよ。


対象:


中村リク


立花アイリ]


私は凝視した。


「……」


一瞬、読み間違えたのかと思った。


それから、もう一度読み返した。


そしてまた。


「……えっ?!」


デイリータスクがない?!


そんなことは今まで一度もなかった。


システムはいつも、私に何かを求めてきた。


青い画面が目の前に残っていた。


クエストもない。


目的もない。


ただ、あの二語だけ。


「観察せよ」。


私はそのメッセージをじっと見つめた。


「……」


私の表情が徐々に硬くなっていった。


待てよ……


私はもう一度、名前を確認した。


中村リク。

立花アイリ。


……まさか!!!


背筋を奇妙な感覚が這い上がってきた。


「システムが……」


私は唾を飲み込んだ。


「……」


すると――


別の通知が表示された。


ピッ。


前のメッセージが消えた。


新しいウィンドウが開いた。




[ロマンスルート情報


サイドルート:


中村リク


×


立花アイリ


ステータス:


進行中]


私は凍りついた。


「……」


数秒間……


脳が完全に停止してしまった。


「サイド……」


再びその言葉に視線を移した。


「恋愛ルート?」


青い画面は沈黙を保っていた。


だが、その意味は明らかだった。


このシステム……


ただ私を見ているだけじゃなかった。


ただ私のやり取りを誘導しているだけじゃなかった。


全員を観察していたのだ。


すべてを計画していた。


「……」


思わず小さな笑いが漏れた。


それが可笑しかったからではない。


信じられなかったからだ。


「つまり、これが……?」


私はリクとアイの名前をじっと見つめた。


「このシステムは……」


「……みんなのためにルートを生成しているのか?」


私の指がわずかにこわばった。


今まで、この奇妙な恋愛ゲームに閉じ込められているのは自分だけだと思っていた。


だが、それは間違いだった。


リク。


アイリ。


もしかしたら、他にもいるかもしれない。


誰もが役割を持っていた。


誰もがルートを持っていた。


そして、最も不気味な点は……


システムが、すでにそれを知っていたということだった。



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