第3部 : 褒め言葉、ある人物、そしてとても長い朝
少しお知らせがあります。
新しいキャラクターが第10章から登場する予定です。
そのキャラクターの背景や性格をしっかり作り込みたいので、更新まで少し日数をいただくかもしれません。
ご理解いただけると嬉しいです。
レンの視点に戻る:
私は走った。
全速力で。
…
「…遅刻だ――遅刻だ――遅刻だ――!」
前へ前へと駆け出す私の靴が、舗道を叩く。
なんでこんなに遅く起きてしまったんだ――?!
…
走りながら時間を確認した。
10:05
…
「…まだ間に合う…」
「…たぶん…」
…
角を曲がり、さらにスピードを上げた。
…
携帯が振動した。
…
「…また何よ—?!」
取り出した。
発信者:
リク
…
「…やっぱり彼か。」
電話に出た。
「…何?」
「…君もおはよう」とリクが言った。
「…手短にして、走ってるから」
「…走ってる?自発的に?心配したほうがいいかな?」
「…リク――」
「…わかった、わかった」と彼はため息をついた。「…今日は何してるの?」
…
「…忙しい」
「…何してるの?」
「…いろいろ。」
「…どんなこと?」
「…大事なこと。」
…
「…怪しいな。」
「…怪しくないよ。」
「…何か隠してるみたいだ。」
「…文字通りただ走ってるだけなのに――」
「…どこへ?」
…
「…どこにも。」
「……君、走るの嫌いだったのに。」
「……人は変わるものさ。」
「……そんなに急に変わらないよ。」
……
「……リク。」
「……レン。」
……
「……言いたいこと言えよ。」
「……わかった。前にあげた映画のチケット、覚えてる?」
……
「……うん。」
「……一緒に行く人、見つかったの?」
……
「…うん。」
…
沈黙。
…
「…誰?」
…
「…ただの友達。」
…
「…友達の友達?」
「…そう。」
「…それとも『友達』の友達?」
「…違いなんてないよ――」
「…あるよ。」
私はため息をついた。
…
「…まあいいや…ありがとう。」
「…ん?」
「…チケットのこと。」
…
少しの間。
…
「…そんなに本気なんだね?」
「… 「黙って。」
「…走ってる最中に感謝されてるよ。」
…
「…リク。」
「…レン。」
…
「…切るよ。」
「…待って――一つだけ答えて。」
「…何?」
…
「…白崎さん?」
…
一瞬、私の足取りが鈍った。
…
「…一体どういうこと――」
「…彼女なのか?!」
「…そんなこと言ってない――」
「…再生を止めたじゃないか!」
「…別に意味なんてない――」
…
「…レン」
…
「… ただ映画を見てるだけだよ。」
…
「…デートしてるんだろ。」
「…デートなんかじゃない!—」
…
「…女の子との待ち合わせに遅れてるんだろ。」
「…寝坊したからさ—」
「…パニックになってる。」
「…遅刻しちゃうから——」
…
「…そうだな」とリクは冷静に言った。「…それってデートって言うんだよ」
…
「…違うよ——」
…
「…何時に会うんだ?」
…
「…10時」
…
「…それならもう遅刻してるよ」
「…分かってるよ――」
…
「…せめてまともな服は着た?」
「…うん。」
「…『まとも』ってどういう意味?」
「…黒のTシャツ。黒のズボン。」
…
「…かっこつけようとしてる?」
…
「…切るよ。」
「…待って。」
…
「…どうしたの。」
…
「…頑張って。」
…
私は走り続けた。
…
「…ありがとう。」
…
「…そして、台無しにしないで。」
「…しないよ。」
…
「…それから、レン?」
「…何?」
…
「…間違いなくデートだよ。」
…
「…違うよ!――」
通話が切れた。
…
「…信じられない。」
…
スマホをポケットに押し込んだ。
さらに速く走り出した。
…
時間が過ぎた。
足音。
曲がり角。
息が荒くなる。
…
もう一度時間を確認した――
10:12
…
「…間に合った…」
…
建物が見えてくると、少しペースを落とした。
モダンなマンションだ。
…
「…そう…4階…」
…
中に入った。
すぐに冷たい空気が流れ込んできた。
…
「…エレベーター…」
私は素早くエレベーターに向かって歩いた。
ボタンを押した。
…
「…早く…」
…
ドアが開いた。
中に入った。
4階のボタンを押した。
…
ドアが閉まった。
…
静寂。
…
「…なんで今になって緊張し始めるんだ…」
…
エレベーターのドア越しに、自分の姿がこちらを見つめ返していた。
…
「…大丈夫かな……」
…
シャツを少し直した。
髪を手でかき上げた。
…
「…落ち着け……」
…
「…ただの白崎さんだ……」
…
一瞬の沈黙。
…
チン。
…
4階。
…
ドアが開いた。
…
私は外へ出た。
廊下を歩いた。
…
一歩一歩が、いつもより大きく響くように感じた。
…
「…いよいよだ…」
…
彼女の部屋のドアの前で立ち止まった。
…
深呼吸をした。
…
手を上げた。
…
そして、インターホンを押した。
一度。
…
二度。
…
足音。
…
心臓の鼓動が速くなった。
…
ドアがカチッと鳴った。
…
ドアが開いた。
…
そして――
…
「…おっ。」
…
私は固まった。
…
そこに立っていたのは、白崎だった。
…
一瞬――
何もかもが頭の中で整理できなかった。
…
彼女の服装。
顔周りに柔らかく垂れ下がる髪。
淡いピンクのトップス。
シンプル。
それでも彼女には完璧に似合っていた。
そしてスカート――
軽やかに揺れ、
ちょうど足元が少し見えるくらい――
派手なものではないけれど、
それが彼女を…
…
…本当に可愛く見えた…
…
僕の視線は彼女から離れなかった。
長すぎる。
あまりにも長すぎる。
…
「…あ、あの…」彼女はそっと声をかけた。
…
僕は返事をしなかった。
まだ見つめたまま。
まるで馬鹿みたいに。
…
「…高橋くん…?」彼女は少し首を傾げた。
「…私、服が…何かおかしい?」
…
「…えっ—?!」
僕は一瞬で我に返った。
「…い、いや—! その…!」
…
「…君は…」
また固まってしまった。
言葉が詰まる。
…
「…君は…」
…
言え。
…
「…綺麗だ。」
…
沈黙。
…
彼女の目が少し見開かれた。
…
そして――
彼女の顔が赤くなった。
…
「…私――」
彼女は素早く視線をそらした。
「…あ、ありがとう……」
…
「……ちょっと……ここで待ってて……」
……
彼女は少し後ずさった。
「……ヒールを履かないと……」
「……それから鍵を取りに行かないと……」
……
「……うん、いいよ……」
……
彼女は家の中へ入っていった。
少し慌ただしい様子で。
まだ動揺しているようだった。
……
そして、私はただそこに立ち尽くしていた。
…
「…私、本当にそんなこと言っちゃったの…」
…
心臓はまだ高鳴っていた。
…
「…私、どうしちゃったんだろう…」
カチッ。
彼女がドアに鍵をかけていた。
…
そして、まさにその瞬間――
――
[デイリークエスト更新]
[本日のスペシャルセット:ロマンチック優先モード]
――
「…やばい。」
—
[タスク1:白崎を心から笑わせる(3回以上)]
[タスク2:チャンスを察知してから10秒以内に「ラブコメシーン」を演出する]
[タスク3:白崎と10分以上手をつなぐ]
[タスク4:白崎と「目線ゲーム」をして勝つ]
[課題5:シロサキにからかわれたら、逆にからかう]
「…なんで5つもあるの—?!」
…
「…いつもは3つなのに—!!!」
…
私は画面を凝視した。
固まってしまった。
…
「…いつから課題が5つになったの—?!」
…
「…それに、なんで全部こんなのなの—?!」
…
「…アイコンタクト—?!からかい—?!また手をつなぐ—?!」
…
「…これ何—?最終ボスステージ—?!」
正気が失われていくのを感じた。
…
「…落ち着け…」
…
「…いや――これは『落ち着け』で済むレベルじゃない――!!」
…
「…これは生き残りをかけた戦いだ――!!」
…
私は深呼吸をした。
そしてもう一度。
…
「…よし…」
…
「…とにかく…どうにかして…これらを全部…こなさなきゃ…」
…
一瞬の沈黙。
…
「……死ぬ。」
ふと、あることを思い出した……
「……待て。」
……
「……ペナルティ……」
……
私の表情が凍りついた。
……
「……リセットされた……?」
……
確認していなかった。
一度も。
昨日から。
……
「……まさか……」
……
「……まだそこにいるなら――」
……
私はゆっくりと顔を向けた。
……
まさにその瞬間――
別の部屋のドアが開いた。
……
一人の少女が姿を現した。
何気ない様子でエレベーターの方へ歩いていく。
……
「……完璧だ。」
……
「……試してみよう。」
……
私は数歩進んだ。
彼女の進路に少し近づいた。
…
そして――
彼女の横をすり抜けた。
近く。
近すぎず。
ちょうどいい距離。
…
私は立ち止まった。
待った。
振り返らずに。
…
「…彼女は――」
…
何の反応もない。
ひるむ様子もない。
身を引くこともない。
…
ただ――
普通だった。
彼女は歩き続けた。
まっすぐエレベーターに向かって。
…
「…彼女は反応しなかった…」
…
「…彼女は身を引かなかった…」
…
「…つまり――」
…
「…そうだ。」
…
「…消えたんだ。」
…
安堵感が瞬時に押し寄せた。
…
「…よかった…」
…
「…あの化け物は悪夢だった…」
…
私はゆっくりと息を吐いた。
…
「…よし…」
…
「…あとは、こいつらを乗り切るだけだ――」
私はシステムウィンドウをちらりと振り返った。
…
「…ロマンチック優先モード…」
…
「…ああ、もう終わりだ。」
…
背後で――
ドアがカチッと開く音がした。
…
白崎が姿を現した。
私は振り返った。
しばらくの間、ただ彼女を見つめていた。
彼女は身支度を整えていた――ハイヒールを履き、バッグを手に、髪もきちんと整え……だが、その表情には、さっきの動揺の痕跡がまだかすかに残っていた。
「……待たせてごめんね」彼女はそう言うと、耳にかかった髪を軽くかき上げた。
「行こうか?」
「うん」
私たちは並んでエレベーターへと歩き出した。
数秒間、二人とも黙っていた。
廊下には、足音の柔らかな響きだけが響いていた。
その時、気づいた――私たちの歩調が。
完璧に合っていた。
エレベーターが柔らかなチャイム音と共に到着した。
私たちは中に入った。
ドアが閉まった。
静かな空間。
静かすぎる。
二人とも、理由もなく視線を合わせないようにしていた。
「……それで」彼女が先に口を開き、沈黙を破った。「映画、楽しみ?」
「……もちろんさ」私は即座に答えた。「『ブレイド・オブ・インフェルナ』の新作だもん」私は微笑んだ。
「私たち、意見が一致してるみたいね」と彼女は言った。
「ああ… 間違いなくね」
彼女は少し間を置いた。
彼女の視線が私をじっと見渡した。
「…ふむ」
「…何?」
「…その格好…」
「…何が?」
少しの間が空いた。
「……彼を着ているわね」と彼女は言った。
「……当たり前だろ。これから観に行く映画の主人公なんだから」
「……それでも」と彼女はそっと近づいてよく見ようとしながら、静かに言った。「カイエン・アルゼスが、本当にあなたの好きなキャラなの?」
「……ああ」と私は即座に答えた。「あいつは最高だ。躊躇なく戦う姿――炎を操るシーンは脚本が最高に練られている」
彼女の目がわずかに輝いた。
「……私も彼、好きよ」
「……そう?」
「……負けるって分かっていても、他人を守ろうとするあの部分……あのシーン、本当に良かったわ」
私はまばたきをした。
「……待って――それ、覚えてる?」
「……もちろんよ」
彼女はそれが当たり前であるかのように言った。
「……似合ってるわ」
「……え?」
彼女はそう言うとすぐに視線をそらした。
「……あなた……似合ってるわ。」
……
一瞬――
頭が真っ白になった。
……な、何だって――?
思わず自分の姿を見下ろした。
「……あ、あの……ただの黒いTシャツなのに……」
「……それでも似合ってる……ハンサムに見える……」彼女は少し声を潜め、顔を赤らめながら繰り返した。
その返事に、僕はたちまち動揺してしまった。
どう返せばいいのか、言葉が見つからなかった……
沈黙。
エレベーターの速度が緩んだ。
チン。
ドアが開いた。
私たちは外に出て、建物の出口へと歩いた。
外に出た瞬間、日差しが私たちを照らした。
彼女は少し足を止め、スマホを取り出した。
「……タクシーを呼ぶわ」
「わかった」
彼女は画面に集中して、素早くタップした。
「……近くにいるはず……」
私は彼女をしばらく見つめた。
集中して眉をわずかにひそめる様子。
スマホの持ち方を調整する様子。
「……見つかった」と彼女は言った。「5分くらいかかるみたい」
「よかった」
タクシーが私たちの目の前で止まった。
「……早かったな」と私はつぶやいた。
「うん」と白崎は番号を確認しながら答えた。
私は一歩前に出て、ドアを開けた。
「……先に行って」
彼女は一瞬ためらうと、私を見た。
「……え?」
「……レディファーストだよ」
彼女の顔に小さな笑みが浮かんだ。
「……今日はすごく紳士的ね」
「…ただの礼儀だよ。」
「…うん…そうね」と、彼女は楽しそうにそっと言った。
彼女が乗り込んだ。
私も続いて乗り込み、ドアを閉めた。
車が動き出した。
しばらくの間、二人とも黙っていた。
ただ、エンジンの静かな唸り音が響くだけだった。
…
[リマインダー:デイリータスク5]
[白崎の手を10分間握る]
[システム分析:現状—成功確率高]
—
…何?
…
「…成功確率高—?!
…
…何に基づいて—?!
…
私の手は、自分の脇に置かれていた。
彼女の手のすぐそば。
近すぎる。
…
…タスク…
…
…自然にやれ…
…
ゆっくりと――
私は手を動かした。
もう少し近づけて。
慎重に。
…
指先が触れ合った。
…
彼女はびくっとした。
ほんの少しだけ。
…
心臓が止まった。
…
…失敗した――
…
でも、彼女は手を引かなかった。
…
彼女の手はそのままそこにあった。
じっとして。
温かくて。
…
…彼女は動かなかった…
…
私は一瞬ためらった。
そして――
そっと――
指を彼女の手の上に重ねた。
…
一瞬の沈黙。
…
そして――
私たちの指が絡み合った。
…
心臓の鼓動が激しくなった。
…
…一体何が起きているんだ…
…
彼女を見なかった。
見られなかった。
…
視線の端で――
彼女の顔が窓の方を向いていた。
…
耳元が少し赤くなっていた。
…
沈黙が二人の間を埋め尽くした。
重苦しい。
でも、居心地が悪いわけではなかった。
…
「…それで…」
彼女の声が静寂を破った。
柔らかく。
「…このまま…私の手を握り続けるつもり?」
「…僕…えっと…」
「…何も言わずに?」
「…そのつもりだったんだけど…」
「…ふーん。」
彼女の口調には、ほんの少しからかうようなニュアンスが混じっていた。
「…これって、結構大胆ね、高橋くん」
「…大胆?」
「…うん。何も聞かずに」
「…僕…」
私は固まった。
[リマインダー:デイリータスク5]
白崎にからかわれたら、逆にからかう]
…
…ああ。
…
…待てよ…
…
…彼女は僕をからかっていたんだ…
…
…タスク。
…
…わかった…
…
僕はゆっくりと手を緩めた。
慎重に。
…
「…やりたくないなら、いいよ…」
僕は呟いた。急に動かさない。
言い終わる前に――
彼女の手が強く握りしめられた。
…
彼女は私の手を握りしめた。
しっかりと。
…
私は固まった。
…
「…え――?」
…
彼女はすぐに目をそらした。
顔は少し赤らんでいる。
「…私…やりたくないなんて言ってないわ…」
「…じゃあ――?」
…
「…ただ…急に…」
彼女は少し言葉に詰まった。
「…だから、そう思って…」
彼女は言葉を止めた。
…
「…いいや、気にしないで…」
…
私は二人の手を見つめた。
まだ絡み合ったまま。
今や、さらに強く握り合っていた。
…
「……今日は……いつもより大胆ね」と彼女は静かに言った。
「……大胆?」
「……そう」
「……普段はこんなことしないのに」
「……えっと……」
私は彼女をちらりと見た。
「……いつも公平とは限らないんだから」
「……ん?」
「……あなたはいつも私をからかうもの」
「……そんなことないよ――」
「……あるわよ」
「……そんなにからかってないよ」
「……あるわよ」
「……ないよ」
「……あるわよ」
彼女は少し私の方を向いた。
「……じゃあ、これは何?」
「……仕返しだよ」
…
彼女はまばたきをした。
そして――
笑った。
柔らかく、心からの笑い声。
…待てよ… 俺、たった今3つのタスクを一度にクリアしたのか?!
…おお、やったぞ!!!
…今日は運が最高だ!
その考えを後悔することになるとは、その時は思いもしなかった……数分後……
…
「……それは不公平よ……」と彼女は言った。
「……君が始めたんだ。」
「……反撃してくるなんて思わなかったわ。」
「……僕もだよ。」
…
二人は笑った。
静かに。
…
そしてその後も――
二人とも手を離さなかった。
…
私たちの手は絡み合ったまま――
窓の外を街並みが過ぎていく。
タクシーが速度を落とした。
セントラル・モールのガラス張りの正面が見えてきた。
「着きましたよ」と運転手が言った。
「…あ、うん」と私は答えた。
車が止まった。
一瞬――
二人とも動かなかった。
それから――
私は下を見た。
…
私たちの手。
まだ絡み合ったままだった。
…
「…あっ」
…
彼女も気づいた。
「…あっ—!」
私たちは二人とも固まった。
そして—
同時に手を離した。
あまりにも素早く。
火傷でもしたかのように。
「…ご、ごめん—!」
「い、いいえ、大丈夫—!」
…
沈黙。
二人とも視線を合わせないようにしていた。
「…外に出よう」と、彼女は素早く言った。
「う、うん!」
僕はドアを押して外へ出た。
彼女も後に続いた。
外の空気が顔に当たり――
なぜか、それがすべてをさらに現実のものに感じさせた。
…
私は運転手の方を向いた。
「私が払う!」
「え?」白崎が私を見た。「そんなことしなくていいのに――」
「いや、いや――いいんだ! 私が払う!」
「……本当にいいの?」
「うん! 任せて。」
…
ポケットに手を入れた。
…
「…よし――」
…
「…待って。」
…
「…待って。」
…
手が固まった。
…
「…ない。」
…
もう一度確認した。
もう一方のポケット。
…
「…いや、いや、いや――!!」
…
「…冗談でしょ——!!」
…
私の表情は完全に崩れた。
…
「…やばい——!!」
…
「…財布を忘れた——!!」
…
沈黙。
…
「…何だって?」と彼女は言った。
「私…財布を忘れたんだ!!家に!!」
「…わざわざここまで…財布なしで来たの?」
「気づかなかったんだ—!!」
…
運転手がバックミラー越しに私を見た。
全く動じていない様子だ。
…
…まずい。
…
…マジでヤバい—!!
…
私は髪をかきむしった。
「…私…えっと…待って…えっと…」
私は白崎を見た。
「…白崎さん…そ、それ…ちょっとだけ…?!お願い…必ず返すから!誓うよ—!!」
…
彼女は口元を押さえていた。
肩が震えている。
…
「…あんなに自信満々に言い切っていたくせに…」
「…そんなこと言わないで—!!」
「…『私が何とかする』って言ってたのに…」
「…それを繰り返さないで—!!」
…
彼女は笑った。
本当に笑った。
もう隠そうともしない。
…
「ご、ごめんなさい!」彼女は笑いながら言った。「払うから!」
「…今、マジで死にそう…」
「…そう見えるわね」
…
彼女は運転手に料金を支払った。
タクシーは走り去った。
…
僕はそこに立ち尽くした。
虚空を見つめながら。
…
彼女は僕を見た。
まだ楽しげな様子で。
「…高橋くん、本当にすごいね」
「…悪い意味で?!」
「…すごく面白い意味で」
「…よかった。君を楽しませられて」
…
彼女はまた小さく笑った。
そして、ショッピングモールの入り口の方へ視線を向けた。
「……ねえ――」
僕は彼女の目を見ないようにして、首の後ろをこすった。
「……今日のこと、本当にごめん……僕、その――」
彼女は軽く首を振った。
「いいのよ」
「……え?」
「今日の分は私が払うわ」と彼女は淡々と言った。
「…いや、そんなことさせられないよ…」
「いいのよ」と彼女は遮り、顔に小さな笑みを浮かべた。「後で返してくれればいいから」
…
私は躊躇した。
胸の奥に、まだ少しの恥ずかしさが重くのしかかっていた。
…
「…わかったよ…」
私は息を吐いた。
「…絶対に返すから」
「そうしてくれるって分かってるわ」
…
彼女は入り口の方へ少し向きを変え、表情に活気が戻った。
「行こう、さあ!」
「…うん、そうだな」
…
私たちは再び歩き始めた――
並んで――
ショッピングモールへと。
そしてなぜか――
あれだけのことがあった後でも――
私の手は、まだ温かかった。
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