想い人の背中が(9)
最初は、どんくさい奴だな、と思った。幼稚園、みんなで外遊びする時も、あまり動かないし、何をするにも遅い。他の子とはあまり話そうとせず、ずっとお絵かきして、寂しい奴だった。……何となく、話しかけてみたくなった。
「おまえ、いつも一人であそんでんだな」
「……うん」
「なあ、いっしょにあそぼうぜ」
無理に手を引いた。奴は嫌がった。それでも強引に、遊びに付きあわせた。俺はこんなに楽しいのに、奴はつまらなそうだった。それがどうしても不思議で、何度も遊びに誘った。それでも、奴は楽しんでくれなかった。
ある時、奴はいつものように絵を描いていた。絵には興味がなかったが、奴の絵を覗いてみた。それは夜空の絵だった。星空に、月が輝いていた。
「きれいだな」
「え…… ありがとう」
何事にも無関心そうだった奴が、俺に向かって、初めて微笑んだ。その笑顔に、俺は心を奪われた。
――テルとは、その時からずっと一緒にいた。
小学校で、達也、良助、慎悟と出会って、五人で遊ぶようになった。中でもテルはいつもマイペースで、声を掛けなければ来ない奴だった。しかし俺は声を掛け続けた。最初の理由は、テルを一人にしたくなかったからだった。
中学校に入って、俺に彼女が出来ても、俺はテルの事を気にし続けた。あいつは一人でいるとずっと自分の殻に閉じこもってしまう。たくさん外の空気を吸ってほしかった。そして、彼女にフラれて閉じこもった俺を、今度はテルが慰めに来てくれた。だから俺はテルを抱いた。
罪の意識を抱いてはいたものの、身体の欲望に負けて、もう一度テルを抱いた時、テルは痛みに耐えながらも、微笑んでいた。その微笑みの正体は分からなかったが、ふと気づいた。……俺は、テルに恋をしているのだ、と。
「好きだよ、洋次」
自らの罪の意識を口にして、テルに謝った後で、先に想いを口にしたのは、テルの方だった。俺もすぐに、「俺だって好きだ」と言葉を返した。そこから、俺たちの正式な交際が始まった。それが去年の文化祭の日のことだった。
クリスマスにはデートした。バレンタインにはチョコをもらった。遊園地にも行ったし、何度も試験勉強に付き合ったし、セックスだって何度もした。
その関係が、さっき終わった。
○ ○ ○ ○ ○ ○
「おい。どうした」
校門の傍で座り込み、冷たい地面のコンクリートをぼんやりと見つめていた俺は、誰かに声を掛けられて顔を上げた。その男は、学校の鞄を持ち、ジャージ姿で俺を見下ろしていた。
「……良助」
「こんな時間までここに居たのか」
そう言われて腕時計を見ると、時刻は20時27分。そうか、良助はスイミング帰りでここを通ったのか、と納得すると同時に、ちょっと笑った。
「何笑ってるんだ」
「いや…… 確かに俺、何やってんだろうなと思って」
笑っている俺を、怪訝な目で見つめる良助。俺はふうと一息吐いた。テルの部活が終わるのは19時前。そこでテルと話してから今まで、ずっと思いを巡らせていた。……俺たちはどこで道を間違えたんだろうか。テルの言う通り、勢いでテルを抱いてしまったあの時から、俺たちは「間違った」のだろうか。
「帰らないのか」
「……じゃあ帰ろうぜ」
良助に問われて、俺はそう答えて立ち上がった。ケツには砂が付いていて、俺との別れを惜しむようになかなか取れてはくれなかった。俺が鞄を持ったのを見ると、良助も歩き出した。
そういや今日は、朝も良助と一緒だった。あの時の俺は、テルとの関係をどうにかするつもりで居て、今よりは明るい気持ちで良助と接していた。こんな状態の俺を見て、良助は何か思うはずだが、あえて何も訊いて来なかった。ただ黙って、前を向いて歩いていた。
甘える事もできた。しかしながらそれはしなかった。あえて俺は、今起きたことを口にしよう、と心に決めた。
「……テルを説得しようと思ったんだが、上手くいかなくてよ」
「だろうな」
「友達にも戻れない、ってさ」
言いながら苦笑する俺。別に笑いたいわけではなかったが、笑わずにはいられなかった。すると、良助が足を止めてこちらを見た。俺もつられて足を止めた。何を言うかと思えば、良助はニヤリと不敵に笑んだ。
「ざまぁないな」
「…………」
「今朝、時間が解決してくれる、って言ってたのに、もう行動したのか」
「……我慢が効かないもんでな」
「そうか」
良助は鼻で笑って、それからまた歩き出した。俺も少し遅れて歩く。もちろん、こいつに慰めてもらえると思って口にしたわけではない。だが、やたら良助の言葉は俺の胸に刺さった。俺を励ます気はさらさらない様だ。
「今まで思う存分わがまま言ってきたツケだろ」
「……わがまま?」
「試験勉強に誘ってヤる事ヤッたり、思いつきでデートに誘ったり、とにかくテルを振り回してきたのは事実だろ」
良助はテルの相談を受けて、テルの方の立場に立っているらしかった。だから、テルから見たら、俺は酷い男らしい事がよく分かった。そんな俺が、「別れるか」なんて訊いたら、テルも別れたい気持ちになるのは当然だった。
……つまり俺は、最低の自己中野郎だという事だ。テルの気持ちを考えていたつもりで、全く考えられていなかった。良助と話す事で、そう思い知らされた。今それに気付けただけでも成長、普段ならそう思えていた俺だったが、文字通りボロボロの俺には、ただのトドメにしか思えなかった。
俺も良助も、お互いしばらく黙っていた。俺は良助に痛い所を突かれて、反論できないでいたし、俺が何も言わないのを、良助は色々察しているようであった。しかしやがて、俺の中に一つの疑問が浮かび上がってきて、思わずそれを、口に出した。
「……どうしたらいいんだろうな、俺」
何かをどうにか出来るという状況ではもはやない。無様なのは分かってる。でも、テルを失った俺は、もはや何をすべきなのか分からなくなってしまった。俺は少し俺より背の高い、良助の顔を見上げた。良助は絶句して、俺の顔を見つめていた。そんなにおかしい事を言っただろうか。
しばらく黙っていた良助が、「は」と息が漏らしながら口を開いて、その呆気にとられた口で、今度はため息をついた。
「そこまで堕ちたか、洋次」
「……え?」
「お前、人に意見を求めるのも、人から指図されるのも、嫌いだったろ。
お前の事はお前で決めるんじゃなかったのか」
俺は急に悔しくなって、唇を噛む。俺は何を聞いてるんだ。それも良助に。冷静に考えれば、今までの自分を否定するような事を言ってしまった。
……いや、否定したって良い。テルを傷つけてしまうような俺なんて、居なければ良い。こんな糞野郎、死んだって良いんだ。
分かれ道に差し掛かって、良助が一度俺に手を挙げてから、道の先へ消えて行く。俺は分岐路に取り残されて、夜はいっそう更けてゆく。




