想い人の背中が(8)
「……元気そう?」
俺の声は思わず上ずった。テルが元気そうだと? 先ほど、二組を覗いた俺には少なくともそうは見えなかった。訊き返された事に多少の驚きを示しつつも、宇野は淡々と事実を伝える。
「別にテル君が元気ってわけじゃねーじゃん。ただ、住田の方がひどいって言っただけじゃね?」
「そおだよ住田君、のがみん達でよかったら相談に乗るけどお…… もし良ければこれまでBL漫画で培ってきたケンカップルもびっくりな寝技を伝授してあげても良いのよ❤」
「のがみんさすがに自重しなよ」
……俺がひどい? つまり、暗いってことか? そんなはずはなかった。俺はできるだけ元気でいようと務めているし、そもそも昨日の一件でそこまでダメージを受けていない。何故なら俺はテルとの関係を復活させるのに忙しく、傷心している場合ではないからだ。その辺を勘違いされていると困る。
「……テルとはすぐに元通りになるさ。ま、見てろって。別に俺はこの事がそれほどまずい問題だとは思ってないぜ?」
「そおなんだあ……」
「ただ、テルにあんまりしょげた顔させるのも悪いしな! 早めにケリつけて、明るく行こうか!」
「ふーん。ま、がんばれじゃん」
随分と心のこもっていない応援だったが、それが宇野のスタンダードなのだろう。俺はちょうどその時弁当を食べ切ったので、席を立った。やっぱり俺の場合、色々考えて悩むのは性に合わない。思い立ったらすぐ行動に移した方が良いだろうし、テルもそんな俺の性格を分かってて付き合ってるはずだ。
もしかしたらテルは、今も俺が駆け付けるのを待っているのかもしれない。別れようと言ったものの、俺が何のアクションも起こさないでいるから、本当にまずい事を言ってしまったと後悔しているかもしれない。俺は息を吐いた。あいつに言う言葉、考えとかないとな!
○ ○ ○ ○ ○ ○
学校内だと人目につく。かと言って家の前で待ち伏せするのは卑怯だ。ゆっくり話をするためにも、俺は校門で待つことにした。テルは今日も部活が遅く、軽音部室の方からはまだ賑やかな声が聞こえたので、陸上部の練習が終わった後、俺はじっと校門のところで待った。
時間にして三十分くらいだろうか。暇つぶしに携帯を見ていた所で、聞き覚えのある声が徐々に近づいてきた。何を言ってるかまでは分からなかったが、俺は携帯をしまって、脱いでいた上着を抱えて、姿が見えるのを待った。
「ん? おう、洋次か。こんなとこで何してやがんだ?」
真っ先に俺の姿を視認して、声を掛けてきたのは達也だった。正直予想通りだ。そしてその隣にはあまり見覚えのないイケメンと、それから奥野、そして少し後ろにテルが居た。一瞬俺と目が合ったが、強引に反らされた。とりあえず俺は達也の質問に答える事にする。
「テルを待ってたんだ。話したい事があってな」
「話す事、ないよ」
冷たい声だった。あまりの冷たさに、達也もイケメン君も奥野も、揃ってテルの方を注視した。前髪で表情が隠れている。……これは予想を外した。俺が固まりそうになっていると、俺とテルの表情を交互に見比べた達也が言った。
「お前ら、喧嘩でもしてるのかよ」
「そういうわけじゃないんだが……」
「でも、話す事はないよ。みんな、帰ろう」
場の雰囲気を少しでも達也と俺が明るくしようとしたが、無駄だった。テルの冷たさにかき消され、そしてテルは歩きだし、俺を通過しようとした。
「待てよ。あのまま終わりにするのかよ」
俺は目の前に来たテルの左腕を掴んだ。少々強引でも構わなかった。まず話をしない事には何の解決もできない。ようやく空気の読めない達也が、俺の言葉で状況を理解したようで、押し黙った。代わりにイケメン君が口を開く。
「何だ? 何かあったのか?」
「直樹ちょっと黙ろっかー」
「何で? 正には分かるのか?」
「マジで静かにしててよー」
イケメン君と奥野が話し始めて、場に妙な空気が流れた。テルはこちらを見ようとしない。その身体は微かに震えている。このままでは状況は変わらない。適切な言葉を探していると、下駄箱の方からもう一人、やって来た。
「ごめんなさあい、ってあれ、住田君だ❤」
野上だった。そう言えば最近、宇野と一緒に居る場面を見すぎて、こいつが軽音部だという事実をすっかり忘れていた。今日の昼に俺の話を聞いていた野上は、ありがたい事にすぐ状況を察知した。
「ねえみんな、住田君はテル君と話したいんでしょお? じゃあ先に帰っちゃおうよ❤」
「お、おう…… そうだな」
「大丈夫だよ。話す事ないから、もう帰るよ」
野上の提案に同調しようとした達也に対して、テルは頑なだった。どうしても俺と会話がしたくないらしい。テルを掴んでいる右手に力がこもる。そんな様子を見つつ、野上はテルの横に近づいてくる。
「でもお、テル君今逃げても住田君はまた次の機会を狙うだけだよお? そんなの、テル君が一番分かってるんじゃないのお?」
「……!」
「というわけで、のがみん今日は撤退❤ ばいばあい! みんなも帰ろ❤」
半ば強引に、野上は達也・イケメン君・奥野を連れてあらぬ方向へ歩き出した。とにもかくにもこの場を離れようとしてくれたのだろう。野上には感謝しなければなるまい。ふわふわして人の関係を弄くり回す女かと思えば、案外そうでもなさそうだった。
「……悪かったよ」
「え?」
「俺、この前勢いで、結構ひどい事言ったかな、って思ってさ……」
野上に作ってもらったチャンスを、俺は殺すわけにはいかなかった。テルの腕から手を離して、俺は素直に頭を下げた。テルも驚いているようだった。そういや人生でテルに謝ったのは、今日を含めて二回だけだ。前謝った時は、そのままテルに告白されて、付き合う事になったっけ。
「それはもう良いよ。あの時はきっと、色々酷い事も言いあったんだろうし」
……「それは」。俺は聞き逃さなかった。この許しは、全てを許したわけではない事に気づいた。テルは相変わらずこちらを見ようとしない。もう日も落ちてきているというのに暑い。俺の汗が止まらないのは、きっと暑さのせいだ。
「気に入らない事は、全部解決しようぜ、テル」
「…………」
「まだあるんだろ? 本当は思ってるけど言ってない事とか、色々」
俺はここで、テルのわだかまりを全て解決するつもりだった。解決できると思っていた。そうすれば、また元の関係に戻れると信じて疑わなかった。だから、テルのわだかまりを引き出す事は絶対に必要だった。何と言われても謝る。今日は俺が頭を下げる日だ。お互いが歩み寄るために、必要な事だ。
しかし、俺の目論みは外れる事になる。しばらく黙っていたテルが、不意にこちらを向いて、そして…… 何故か笑った。
「ないよ」
「え?」
「気に入らない事なんて、ないよ。あったとしても、もう全部話したよ」
「……それって、つまり、もう許してくれるって事か」
「そうじゃないんだよ、洋次」
テルは首を横に振った。ハッキリとした口調だった。
「もう、付き合えないって事なんだ」
俺は愕然とした。滝から落ちたような感覚だった。顔中の色素が抜けて行くのを感じた。学校の教室の明かりも次々に消えて行く。まだ点いているのは職員室の光だけだ。まだ残っていた少ない生徒がどんどん帰って行き、俺たちの横を素通りする。俺は、テルが何を言っているのかさっぱり分からなかった。
テルは確かに笑っていたが、明るい笑みでは無かった。よくよく見ると、涙の痕があった。しかも、昨日今日でできた痕ではない。……ここ最近ずっと、人知れず泣いていたのだ。
「僕らは付き合わない方が良かった。何も知らない幼なじみで居られたら、幸せだった。最近、ずっと考えていたんだけどね…… どうしたら上手くいくかって、考えれば考える程…… 洋次と笑い合う未来が視えなくなって」
「……そんな事、言うなよ、テル……」
「多分、悪いのは僕なんだと思う。洋次のせいじゃないよ。僕がこんなんだから、いつまでたっても僕らは前進できないんだ」
「い、一緒に歩いていければ良いだろ……」
「……もう、無理だよ…… 一緒には歩けない」
テルはゆっくりと話しながら、自分で何度もうなずいた。きっとこれは、ずっと悩みに悩み抜いた、テルの答えなのだろう。思いつきで口にしているわけではない。だからこそ、怖かった。そしてテルが、ゆっくり息を吸った。
「終わりにしよう」
今日は月が明るく輝いていた。さっきまで暑かったのに、急に肌寒く感じて、俺は制服のジャケットを肩にかけた。テルの言葉には、うんともすんとも答えなかった。絶対に答えたくなかった。答えたら、すぐにでも終わってしまう気がした。ちょっと、関係ない事を言ってみたくなった。
「……テル、また明日から、一緒に登校するか」
「それも、無理だと思う。あそこまでさらけ出して、また一線を引いて一緒に居るのは難しい。だからもう、普通の友達にはきっと戻れない」
「何でテルが決めるんだよ」
俺はテルの選択に納得がいってない。そもそもこんなのおかしいだろ。二人で考えて行くような問題を、テル一人が悩んで、答えまで出すなんて。ずっと付き添ってきた奴から、これからも付き添っていくだろうと思ってた奴から、急に別れを切り出されて、突き放されて、それで納得できるわけ……
「洋次、散々今まで勝手に決めたよね。
……それに、別れるか、って先に言ったの、洋次の方だよ」
俺ははっとした。あの時口にしてしまった言葉。奥野とお嬢の存在に、イラついている自分たちが煩わしくて、早く終わらせたくて、テルが困った時に俺を頼ってくるのも分かって、それで俺は言った。「別れるか?」と。
目の前のテルは、唇を引き締めて、今にも泣きそうな表情だった。それでも、堪えているようだった。もはや俺は目の前のテルに言い返す事ができなかった。そう、最初に突き放したのは――
俺だった。
俺が何も言えなくなったのが分かると、テルは歩き出した。俺は止めなかった。止める資格なんてない、そう思った。見つめることしか出来なかった。
想い人の背中が、小さくなっていくのを。




