想い人の背中が(3)
「ねーのがみん、そーいうの直接言わない方が良いんじゃね?」
「だってだってえ、テル君が変だったんだもおん……」
状況が整理出来ないが、俺はあと一歩で自分の席に着くところだというのに、宇野、野上、この二人に止められている。ついでに言うと視線の先で、鈴木が俺の方を見るなり、ぷくっと頬を膨らませて、一人で弁当を食べ始める。いつもなら俺がその相手をするのだが、そもそも今日は相手をする気はなかった。勿論、テルの所へ行くためで、この二人と話すためではない。
「とりあえず、どいてくれんか?」
「住田ごめん、のがみんは悪気があるわけじゃないから、許してやってよ。テル君と軽音楽部で一緒で、何か気になってるってさ」
「そうなのよお! それで、住田君に直接聞いてみよおって思ったわけ❤」
半笑いで謝ってくる宇野。ポーズを決めながらウインクする野上。俺の中では、野上はもう少しツンツンした女の子だという印象ではあった。まあ、これ以上お嬢の他にツンツンしたのが増えても困るだけなので良しとしたい。
それはそれとして、この野上という女は非常に鬱陶しい。俺は急いでいる。こんな女、振り払っても良かったが、さっきから気になる事を口走っているのが気にかかった。
「テルが何だって?」
「そお! テル君、いつもぼやあっとしてるけど、いつも以上にぼやあっとしてて、何か様子が変だったのお!」
……それだけか。それくらいなら想定内だ。俺が言った事、メールで送った文章、色んな事を考えてテルは必要以上に迷っている。すぐに答えを出せそうなものだとは思うが、それに迷うとは優柔不断なテルらしい。しかし、俺には呑気に構えている余裕はなかった。
俺は二人を振り切って先へ行こうとした。宇野が俺の肩を掴む。
「で、テル君になんて言ったの?」
宇野は気持ち悪い笑みを浮かべて俺を見た。何の気なしに聞いてる感じにも見えたが、俺の肩を掴むその手はちっとやそっとでは離れそうになかった。宇野が達也から俺たちの関係のことを聞いているのは知っていたが、俺に必要以上に干渉してくるのはこれが初めてだった。
「別に、俺が何か言ったとは限らないだろ」
「でも何かしたんじゃね? テル君がぼんやりしてる理由を気にしてないって事は、住田はそれを知ってるって事じゃん」
宇野はじっと俺の目を見てくる。……何だこいつは。ひらりとかわそうとしたつもりが、問い詰められ、逃げ場が無くなってしまっていた。恐ろしい観察眼だ。宇野は何にも関心が無さそうな態度を取っておきながら、他人の事をしっかりと観察しているのがよく分かった。
野上まで俺の事を注視し始めたので、俺は肩をすくめる。
「……そうだとしても、お前らには関係ない話だな」
「そんなことないよお! のがみんはテル君と住田君の恋愛がうまくいくようにアドバイスする役目があるんだからあ❤」
「アドバイス?」
思わず顔をしかめた。そう言って近づいてくる輩にはロクな奴が居ない。そういう行為を実の所お節介だと言うのだと思う。一か月前には、洋次はお節介だ、と良助に言われてしまったものの、俺は恩着せがましくアドバイスとやらを押し付けたりはしない。正直、俺は心底気分が悪くなった。
俺の表情の微妙な変化を見抜いたらしい宇野が、一歩踏み込んで来ようとした野上を止めた。相変わらずニヤニヤしている。まるで意図せずして変な笑いがこみあげてくるかのように。
「これ以上詮索されたくなさそーだし、この辺でやめた方が良いんじゃね?」
「ちょっとうのぽん、カップルの一大事にい!」
「まあまあ、のがみんそーいうのはむしろ隠した方が良いじゃん」
宇野と野上が話し込み始めたので、俺はその横を通り抜けようとすると、二人は意外にもあっさり通してくれた。それで、ようやく机に荷物を置き、お嬢に一言断って、弁当を手に取り、教室の外へ足を伸ばそうとしたその時、
「住田、余計なお世話だと思うけど言っとくね。
あんまり相手の気持ちを決めつけねー方がいーんじゃね?」
背中越しに宇野にそう言われた。俺はあえて振り返らなかった。いまいちどういう意味か分からなかったからだ。相手の気持ちを決めつける、なんて言葉には全くピンとこなかった。
先ほどまで話していた流れからすると、宇野はどうやら、俺がテルの気持ちを決めつけて考えていると言いたいらしかった。しかしそれは間違っている。テルと俺の関係は、最近やっと知ったような他者から見ればそう見えるかもしれない。だが、俺たちは幼稚園からの幼なじみだ。お互いの事なんて知り尽くしている。今回の一件でテルがあそこまで感情を吐露したのだけが、俺の予想を超えた出来事だった。
だから俺は宇野に構わず、真っ直ぐに廊下を目指した。すると、ちょうど出入り口の扉付近に、よく覚えのあるふわふわした茶髪の男が立っていた。
「……洋次…… 今、時間ある?」
「おう! ちょうどそっちへ行こうとしたところだ」
茶髪の主は勿論テルだ。昨日俺のもとから逃げ出して、メールにも返事を出さなかったテルが直接俺に会いに来た。昼の時間にあまり会う事が無いから、昼に見るテルの姿は新鮮だ。先ほどの授業でも寝ていたらしく、机に突っ伏した時に出来る赤いあざが、まだ顔に残っていた。
「じゃあ昼、一緒に食うか!」
「そうだね」
テルの左手にはもとから購買の袋が握られていて、最初からそのつもりで俺に会いに来たらしかった。それは俺たちの通じ合っている証拠でもあった。教室を出る時に、思わず先ほど居た席の辺り、宇野と野上がまだ談笑している方を振り返った。考えすぎなんだよ、そんなメッセージを伝えるつもりだったが、宇野はこちらを見るなりまた不気味に笑ったので、俺はすぐに前を向き直った。
二人で食べられる場所は、さしあたり屋上しか思いつかなかったから、俺たちは屋上へと向かった。道中、特に何か口にする事もなく、淡々と屋上まで上がっていく。そこには既に先客が居たが、秘密の話をするでもないし、特に気にはならなかった。
「……その、昨日は…… ごめんね」
サンドイッチの袋を開けながら言った、テルの最初の言葉は謝罪だった。拍子抜けした。昨日のあの凄い剣幕は何だったのだろうか。夢だ、と言われればまだ納得するかもしれない。
「落ち着いて考えれば分かってたんだけど…… 何か、口にしちゃった」
「『お嬢』の事か?」
「……うん」
「お互い別々のクラスになれば、違う知り合いも出来る。俺は『お嬢』に変な気起こしたりしてないぜ。テルも同じじゃないんか?」
諭すようにそう告げた。テルは黙って頷いた。……テルと奥野の関係を、ただの部活仲間だと割り切れれば楽だった。実の所それが難しかった。俺はテルが頷いただけでホッとしてしまった。我ながら安直だと思う。
俺は絶対に、お嬢に必要以上の感情なんて持ち得ないが、テルが本当に奥野の事を何とも思っていないかは分からなかった。あそこまで他人を許したテルを見たのは、初めてだったからだ。でも今日は、せっかくテルの方から近づいてきて、謝ってくれた。これ以上詮索するのは野暮だと分かっていた。
テルはサンドイッチ、俺は弁当を食べ始め、他愛もない話を続けた。俺たちの関係は元通りどころか、ちょっと良い方向に向かっているのではないかとさえ思えた。お嬢と奥野、二人の転校生のせいで、俺たちの関係にヒビが入りそうになったのは間違いなかった。実際昨日は焦った。
テルと一緒に過ごしたいという気持ちが、俺の中で高まってきて、テルを少しでも繋ぎ止めておきたいから、俺はデートの提案をする事にした。
「テル、明後日の日曜日空いてるか?」
「……昼過ぎからなら大丈夫だよ」
「久しぶりにショッピング行って、何か食おうぜ。何食いたい?」
「それじゃ…… イタリアン」
背中から春の終わりの風を受けた。そう言ったテルの微笑がやけに美しく、どこか儚げだったから、俺はその光景を目に焼き付けた――。




