あぶない!保健室(9)
「……えっ、まさか……」
中島先生が袖を掴んでいた手を、パッと放すと、
工藤は顔を真っ赤にしながら、先生から距離を置く。
……どういうことよ。あの工藤が……女だっていうの?
「そうだよ!俺の身体は女の身体だよ!悪いか!」
シャツを必死に押さえていた工藤は、顔を背けて、
怒ったような声で、必死に叫んでいた。
「ほほう……そういう事でしたら、明日うちの女医がまた来ますから、君の検診は改めて行いましょう。」
医者のおじさんが、背中をトントンと叩きながら立ち上がり、
唖然として動けなくなっている中島先生に一礼し、
それから安達先生とあたしにも一礼して、保健室を出て行った。
工藤の衝撃の発言に、しばらくその場の誰も動けずにいたが、
「女」である事を見抜いた安達先生が、ふうと一息吐きながら、
椅子を転がして、工藤のそばへと持って行った。
「失礼を承知で聞くが工藤、お前は『トランスジェンダー』なのか?」
……まさか、本当に?あたしには信じられなかった。
あたしたちの学年には、分かりやすい例として花園優希が居る。
でも彼は、女口調で女の姿をしていても、男子の制服をきちんと着て、
そして彼自身「男」だという事を分かっている様なのだ。
しかし、目の前の工藤は違った。
どこからどう見ても短髪でさわやかな男の子。口調も、仕草も。
勘の良いあたしと言えども、一瞬たりとも気付かなかった……、
いや、それが違和感として、あたしはずっと気になってたのかもしれないわ。
言われてみれば普通の男子よりは小柄で、ガサツに見えてハンカチも持ち、
パッチリした目は、男子のものではなかった、という事ね……。
安達先生が動き出したのを見て、中島先生もハッと我に返り、
ふてくされている工藤に近づいて、頭を下げた。
「す、すみません工藤君、いや、工藤さん、僕は教師としてあるまじき……」
「もう良いよ。あーあ。綿華さんにも見られちまった。」
工藤は頑なにこちらを見ようとはしない。
あたしも何と声を掛けて良いか、すぐには分からなかった。
彼のあたしへの気持ちが本当だったとしたら、今は辛いでしょうね。
好きな相手に、一番知られたくなかった秘密を知られてしまうなんて。
「いつから自覚したんだ?」
安達先生は自らも椅子を持ち出し、コーヒーを片手に工藤のそばに座る。
一方で中島先生は工藤と一定の距離を取りつつ、
あまり聞き過ぎないように、と牽制をかけようとする。
「中学に入ってから、他の女子たちの話についていけなくなってさ。男が好きだとかもよく分かんねえし……膨らんじまう、胸も嫌だったんだ。」
工藤は嫌そうな顔をして自分の胸を押さえる。
服の上から見ると、ほとんど無いように見えるわ。
サラシか何かで押さえてるのかしら?十分考えられるわね。
「だから、もうスカートをはくのが面倒で、中学の最後はほとんど学校に行かなかった。そっから髪切ったり眉毛ボーボーにしたりして、へへ、昔の中学の奴らに会ってもすぐには気づかれないと思うぜ!」
自身の過去をあっけらかんと話す工藤。
きっとこの子にも色んな葛藤があったんだろうけど、乗り越えたのね……
あたしが今の工藤の気持ちを推し量っていると、
コーヒーを口から離した安達先生が、工藤の横顔を見つめた。
「バルガクで、隠し通すつもりだったのか?」
「まーな。ES学園じゃ大変な目に合っちまったからよ。」
「……そうか、確か君は転校生だったな。」
「ES学園の奴ら、俺が女だと分かった途端に、手のひらを返して仲間外れにしやがって……一年間散々からかわれたぜ。」
ES学園とは、それほどバルガクから離れていない別の高校だけど、
何で近所同士で転校したのかと不思議に思ってたら、
そんな理由があったなんて……。
確かに、ES学園はお堅い学校だから、無理はないわね。
「だから、バルガクを選んだんだ。ここなら隠し通せるかもしれねえし、バレたとしても……ほら、変人も多いって噂だし、実際変な奴ばっかだし、上手くいくんじゃねえかって思ったんだ。」
工藤はふてくされたような言い方で、でも真剣にそう言った。
……バルガクは外から変人学園だと思われてるなんて。
ま、ばっちり当たってるわね。ゲイだらけだし、変な子多いし。
でも、工藤としてはきっと気づかれたくなかったのね。
去年にバレた時に、きっと言い知れない傷を負っただろうし、
それが彼女の、いや彼のトラウマになったのかもしれないわ。
保健室は不思議な空間と化していた。
まだ落ち着くことなく、冷や汗をかいている中島先生に対して、
安達先生は落ち着いて、しかもこれ以上余計に質問する事は無かった。
……ちょっとだけ、見直したわ。ただのナンパ野郎じゃないって事ね。
「やっぱ駄目だったか。内科検診なんて、逃げ切れると思ったけど、甘かったよな……綿華にも、見られちまったしさ。」
俯いた工藤が、自信なさげな声でつぶやく。
まだこちらをちゃんと見れないでいる工藤に、あたしはゆっくりと近づいた。
安達先生があたしの横顔を見て、ゆっくりとうなずく。
分かってるわ。あたしが言わなきゃいけないんでしょ?
「なんか今日の工藤は、全然工藤らしくないわ。」
「え?」
「男とか女とか以前に、工藤は工藤でしょ?あたしらの都合も突っぱねて、思った通りに行動する単純バカ。あなたはそれでいいんじゃない?」
しょんぼりした顔の工藤と目が合う。こんな顔、初めて見たわ。
いつもずっと、嫌にニコニコして、あたしに向かってくるくせに。
急にしおらしくなっても、似合いやしないわよ。
「あたしは黙っててあげるけど、言いたくなったらいつでも言いなさいよ。バルガクの中には、変に囃し立てる生徒なんかいないわ。」
「そうだな。要は君の自由にすればいいって事だ。男で居たければ居れば良いし、女に戻りたければ戻ればいい。トランスジェンダーなんてひとくくりに出来ないんだから、それは自分で考えてくれ。」
あたしの足りない言葉を、安達先生が後押ししてくれた。
トランスジェンダー。きっと花園優希も工藤昴もそれにあたるけど、
それぞれの「なりたい自分」なんて人それぞれね。
あたしがあたし自身「なりたい自分」があるのと同じで、
別に違いなんてありゃしないわ。
工藤の顔から迷いがなくなって、一気に笑顔になった。
そして元気よく立ち上がって、ようやくあたしの方を真っ直ぐに見る。
あたしも思わず微笑んだ。元気を取り戻してくれたなら……
「そうっすね!じゃあ綿華さん、結婚を」
「しないわ。」




