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ネガティブな僕と、中二病っぽい彼。  作者: ホワイト大河
第二章 知らなくたって、いいんだよ
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オベディエント(9)


「……すみません、呼び止めてしまって」


私は上がりかけた階段を二、三段下りて、純平様と同じ高さに立った。

透様と話す時もなるべくそうしている。渡兄弟は二人とも背が低めで、

平均身長に満たない私でも、見下ろさなければならないのが申し訳ない。

ためらいがちな純平様に、私は笑顔を向けた。


「構いませんよ。……何か用事なら、そこの調理室を借りましょうか」

「……はい」



私は使い慣れている、すぐそばの調理室に純平様を招き入れた。

透様と違って食事にうるさくない純平様は、調理室をあまり使った事もなく、

落ち着かない様子でキョロキョロと天井を見上げている。


「……珍しいですね、純平様が私に用事とは」


純平様の用事を伺うと、私の出したコーヒーを口に運びながら、

言いにくそうに口を動かした後、うつむきがちに彼は言った。



「聞きました、織田さんのこと……『奇跡の子』、なんですよね?」

「……純平様もご存知でしたか」

「ええ、やっぱり氷紀さんも……『イチロー』の事は、覚えていますか?」


実際、「イチロー」がイザナギに現れたのは中三の秋で、

イザナギを離れた私たちは、彼と僅かしか共に過ごしてはいないが、

連日織田直樹を見ている事もあり、彼を思い出すのは容易な事であった。


しかし、一学年下であった純平様や熱哉は、

当然私たち以上に、イチローと共に過ごしているはずであり、

その脅威もよく分かっているのだ。


「兄と氷紀さん達が卒業して、残された僕らにとって……あの一年は地獄でした。出る杭は打たれる……そんな一年でした」


おぞましい物を見たような表情で、純平様は語り始める。

天才たちがそれぞれの分野で活躍し、大きな輪を紡ぎだす。

そんなイザナギの伝統は、たった数ヶ月で崩れ去ったのだ。


「花園理事長の徹底的な競争主義、それを後押しする『イチロー』……。当時勢いに乗っていた秀でた者たちが、『イチロー』と勝負して次々と敗れ、それから失意のうちにイザナギを去って行く……」

「……私も熱哉から少しは聞いています。天才たちの弱肉強食の世界……その頂点には『イチロー』が居た、と」

「恐怖はそれだけではなく……僕らの学年にも、突然転校生が複数入って来たかと思えば、彼らは『奇跡の子』を積極的に名乗り……まるでイザナギは、『奇跡の子』のPRのための学校のようで……」


……私が居た頃は、まだ「イチロー」もその素性までは隠していたが、

「イチロー」の成功を機に、花園理事長も方向性を変えたらしく、

純平様にとっては、「奇跡の子」は馴染みのある単語だったようだ。

また、独自に調べた情報によると、織田直樹は「奇跡の子」第一号であり、

必然的に二号、三号が存在する事は容易に予測できた。


……そんな状況で、純平様たちが高等部への進学をしなかったのも、

透様の決断と同じく、むしろそれ以上に、当然だったように思えた。

しかし、一つ気になった事があった。


「……『奇跡の子』の話までは、私も存じ上げませんでした。イザナギの様子は私も気にしていたのですが、熱哉からは何も……」

「それはきっと、熱哉が言わないようにしてくれていたんだと思います。僕らが苦しんでいる様子を、遠い場所に居る氷紀さんや兄に、少しでも隠そうと、彼なりに考えていたのではないでしょうか……」


……成程。ただ騒ぐだけのバカな弟だと思っていたが、

彼も彼なりに人を思いやる事が出来るようになっていたとは。

少なくとも純平様の中では、熱哉は足手まといの邪魔者ではないようだ。


「あの、僕が氷紀さんに伝えたかったのは、それじゃなくて……」

「ええ、何でしょうか?」


「兄を……止めてもらいたいんです」



純平様はそれだけ言うと、急に押し黙った。

……その言葉が何を意味するか、すぐに察しはついた。

しかしながら、あえて私が口を閉ざしていると、純平様が口を開いた。


「『奇跡の子』には常人では敵わない。それを僕らは経験し、そして氷紀さんや兄でさえも知っている……だからこそ、織田さんと戦おうとしている兄を、止めて欲しい。それが出来るのは、兄の傍に居る、氷紀さんにしか……」



「……残念ですが、お断りします。私は透様を止める意志は御座いません」


私はハッキリと、純平様にそう申し上げた。

私の態度に、少なからず純平様は驚いたようだった。


「……どうしてでしょうか?氷紀さんには分かるはずですが」

「私は生まれてから一度も、透様の選択に逆らった事は御座いません。ましてや、私から透様の意志に抗う進言など、出来ません」


明確な私の拒絶に、さすがの純平様も納得がいかないようで、

波風を立てない彼が、珍しく食い下がった。


「あ、兄は確かに優れた人です。しかし、『奇跡の子』と違って完璧ではない。だからこそ、間違った選択をした時に、止める人が居ても良いし……氷紀さんだって、これからずっと兄に束縛されるなんて……それこそ熱哉のように、少し気を抜くことがあっても良いと思うんです!」


無謀な戦いに挑む兄、それを支える私、

私たち二人の事を思いやって、発言してくれる。

……気持ちは充分伝わった。純平様は、やはり優しいお方だ。


だからこそ、私は誠意をもって、お答えしなければならない。

ただ「仕えているから」と言って納得しなかった宇野に、

追求されて答えたのと、同じ言葉を。



「……純平様、私は覚えているのです」

「え?」

「透様が今まで誰にも臆さず戦ってきて、勝ってきた記憶を……

 だからこそ私は、透様の勝利を願っていたいのです」


今日、透様のことを心配するような目で見てしまった私は、

そうしてしまった後ろめたい気持ちはあったものの、

純平様の言うように、透様の選択を止めようとしたわけではなかった。

むしろ、透様らしくない、そんな彼を激励したい、

そんな気持ちで、私は透様を心配していたのだ。

散ってしまいそうになったツバを飲み込みながら、私は言った。


「透様はいずれ、日本の頂点に立つお方。だからこそ、こんな所で……ただの同級生なんかに、負けるわけにはいかないのです」

「……よく兄もそう言っていますが、あれはパフォーマンスも」


「そうであったとしても、私は信じています。透様の意志を」


言い切った私に、もはや諦めたような形で、純平様は立ち上がった。

しかしその表情は、どこか落ち着いた様子で、

私に声を掛けてきたときのような不安は、無いようだった。


「……なんだか、安心しました。きっと兄は、氷紀さんと一緒なら、氷紀さんに支えられて……どこまでも、行けるんでしょうね」

「そう言ってもらえて光栄です。……では、今日はもう遅いので、そろそろ戻りましょう。透様も、自習室から出られている頃ですし」


話に夢中になっていた私は、時計を見て慌てて立ち上がった。

もうすっかり夜も更けた。時間の事などすっかり忘れていたのだ。

それから、夢中な私が気付かなかったのは、

調理室の入口で、透様が私たちの話を聞いていた、という事であった――。


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