オベディエント(7)
「はは、確かに二年三組学級委員の言う通りではないか。貴様の奴隷を作りたいだけならば、俺はすぐに学級委員をやめてやろう」
反発の声に、ここぞとばかりに乗っかったのは城崎仁であった。
彼は反撃のチャンスを探していて、まさに渡りに舟というわけだ。
一年生にとっては初めての委員会。少し不安げな表情を見せる面々の中には、
純平様と熱哉の、驚いたような、困ったような、そんな顔つきも見られた。
ざわつき始める教室。不安そうに顔を見合わせる一年生。口々に文句を言う三年生。
私が何か言った方が良いのか、この状況の打開案を考えていた所、
透様が一度机を強く叩き、教室は静けさを取り戻した。
「……静粛に。どのような意見があっても構わないが、いたずらに会議を乱すのはやめて頂こう。織田の言う通り、案の押し付けは良くないからこそ、僕の説明を聞いてもらえないだろうか?」
透様は冷や汗をかいているように見えた。焦っているのだ。
静まり返った教室全体に向けて、透様は説明を始めた。
体育祭では、主役は体育委員であり、学級委員はそのサポートが多いこと。
ただ、何かと係で不在にする体育委員の代わりに、
クラスを整列させたり、まとめたりする役割を果たすこと。
他、諸々の注意事項を説明した後で、一息ついた彼は問い掛けた。
「僕はこれが最善だと思うが……賛成する委員は挙手してもらいたい。過半数を取れれば、これで行こう」
……なるべく私が率先して手を上げたつもりだが、
事情を分かっている二年生はよく手を挙げ、
それから一年生も、多少迷いながらではあるがほとんど手を挙げていた。
しかし、織田直樹と、それから三年生、しかも全員が手を挙げなかった。
ふんぞり返っている三年生の様子を視認しつつも、
腑に落ちない、という表情を隠すようにして、少し元気な声で透様が言った。
「……過半数のようだ。では体育祭、また詳細の指示をしよう――」
騒動の委員会はそうして終わって。
悪態をつきながら教室を出ていく三年生、無言で消えていく織田直樹、
透様に心配そうに声を掛けた、二年四組学級委員の花園優希、
それに一言二言返事をして、逃げるように教室を出ていった透様。
私は、透様を追いかけようとしたところを、純平様と熱哉に遮られた。
「……ひと悶着、ありましたね」
「お!お!あの織田って奴、感じ悪いよな!」
「彼は、兄を貶めようとしているのでしょうか?」
騒いでいる熱哉は良いとして、純平様は大変不安そうにしている。
ここまで荒れると思わなかったが、私は平静を保ちながらフォローした。
「織田直樹は空気の読めない男です。透様に危害を加えようとしたのではなく、気になったことを不意に口に出しただけの事でしょう。……それが少し、この場においては悪影響だったようですが」
「……そうですか。兄は敵を作りやすいので、心配です」
「純平様が気にする必要はありません。私が、常にサポートしております」
私は深々と頭を下げた。心配を掛けた分を、詫びるためにも。
顔を上げると、純平様はまた困ったような表情をしていて、
この空気を何とかしようと考えていると、熱哉が割って入って来た。
「お!お!兄貴すげえよな!頑張ってんな!」
「……熱哉、あなたはもう少しわきまえなさい」
「お!お!怒られちまった!それじゃ純平、行こうぜ!」
走るようなスピードで教室を飛び出した熱哉を、
純平様は一度私に会釈してから、ゆっくりと追いかけていった。
いつの間にか教室は私一人だけになっていて、
言い知れぬ孤独と、先の見えない恐怖が、ふと私に襲い掛かって来た。
……透様は生徒会室に戻られたのだろうか。
私は寮で待とう。今は、声を掛けない方が良いだろうし。
○ ○ ○ ○ ○ ○
寮の調理室で、夕飯の支度を整えた頃になって、
ちょうど執行部での執務を終えた透様が帰られた。
簡単に挨拶をして、淡々と食器を並べて始めた私は、
今日の一件が透様にどういう影響を及ぼしたか気になったものだが、
私が声を掛ける前に、箸を持った透様がつぶやいた。
「やってくれたよ、織田直樹」
「……今日の委員会での事でしょうか」
「元々上級生が僕に反感を持っていたのは分かっていた。しかし、奴らは放置しておけば害の無い連中だ。織田直樹のあの発言があったからこそ、くすぶっていた火に油を注がれたように燃え上がったのだ」
「心中お察し申し上げます」
今日は食材の配分量を間違えなかった私は、
透様と向かい合わせになって食卓に座り、箸に手を付ける。
……表情には出さなかったが、透様がいつも通りで安心した。
どういう形であれ、弟たちや花園優希を含む大勢の前で、
恥をかかされた事件だったのは間違いない。
気に病んでいないかは心配していたものの、取り越し苦労だったようだ。
もちろん、全くの無傷だったわけでは無さそうだが。
「お部屋で、織田直樹とはお会いになりましたか?」
「ああ。いつも通り僕に一瞥もくれず、読書に耽っていたよ」
「左様ですか。その分ですと、織田直樹の方から透様に敵意を持っているわけでは無さそうですね」
「残念な事に、僕は奴に敵対心を抱かせる程の存在では無いという事だよ」
「いえ、感情の無い彼ですから、敵対心を持つこと自体不可能ではないかと」
やはり透様は悔しそうだ。そしてこの悔しさが、彼を突き動かす。
今日の所は、織田直樹の一歩リードとも言えなくもないが、
また戦いは始まったばかりである。
たとえ今は劣勢であったとしても、
透様なら劇的な勝利を収めてくれるはずだ――
○ ○ ○ ○ ○ ○
それは、翌朝の英語の授業時のことだった。
少人数の優等生Aクラスに、前回の試験結果からぎりぎり入り込んだ私は、
窓から入る五月の涼やかな風を身に感じている暇もなく、
私は板書された文字をノートに丁寧に写すのに必死になっていた。
難関大学に生徒を輩出してきた、敏腕女性講師である宇田川先生が、
問題の答え合わせを始めた時に、私は教室をようやくざっと見渡した。
学園きっての優等生花園優希は、教室の左の方で、懸命にノートを取っている。
他にも、勝村幸夫とそれを睨む上川大樹、朱雀優美とそれを睨む鈴木美沙子、
左隣で、早く解き終わって落書きをしている住田洋次、
右隣には、ノートを取る事もなく先生の顔を見つめている織田直樹、
そして左の端には透様が、いつもより上の空で、窓の方を眺めている。
もしやこの時も、織田直樹を倒す方法を考えているのだろうか。
「それじゃあ……次の問題は、渡君、答えてもらえるかな?」
そんな時、透様が宇田川先生に当てられた。
我に返った彼は、ノートに書きつけた彼の和訳をそのまま読む。
「『もし私たちが満足したならば、彼らはどのように得をしただろうか?』」
「うん……そうね、became contentと、profitの訳はよく出来てる。けれど、この時制は過去で良いかしら?……入試問題だから、少し難しいわね」
高二で難関大学の入試問題に触れさせる高レベルな授業であるため、
私にはよく分からないが、透様の訳ではいまいち足りなかったらしい。
すると宇田川先生が、少し期待を込めて、教室の反対側を見つめた。
「それでは、前回のテストで満点だった織田君、答えられるかな?」
「『もし私たちが満足して欲しがらないとするなら、彼らはどうやって恩恵を受けるのだろうか?』
「……その通り、仮定法の訳もばっちり!さすがです」
平然と解いた織田直樹に、拍手を送る教室。私は透様の方を見られなかった。
世の全てが、織田に味方しているようにさえ思えた。




