どーでもいーじゃん(8)
それはすごい剣幕だった。見た事のない恒太の一面だった。
言い切ってから、我に返ったらしい恒太は、
また困ったような顔をして、頭をペコペコと下げ始めた。
「あ……すみません!えーっと……そもそも、僕がうのぽんと友達だなんて事自体がおこがましいですよね。」
あまりの態度の変わりっぷりに、俺は思わず噴き出した。
それから、唖然とする恒太に訊いてみた。
「……ぷはは、頼って良いの?」
「ぼ、僕で良ければ……」
「頼りねーじゃん。」
「あは、やっぱりそうですよね★」
恒太も俺につられて、自虐的に笑い出した。
……もうその時、自分の決意は揺らいできていた。
俺の覚悟に気づいたのか、恒太も神妙な面持ちでそこに座っていた。
だから、俺は一つ息を吸って、ゆっくりと吐き出した。
「……俺が中学に入ってしばらくした時、両親が離婚したんだ。」
仕事の都合もあって、なかなか家に帰れない父親だったから、
自分と血の繋がった父親の記憶は、あまりはっきりしない。
たまに帰っても、ひどい事を言うような人間だった気がする。
母親は、じっとそれに耐え続けているように見えたが、
ある時、浮気相手を家に連れてきた。
「私は今の人と別れて、この人と結婚したいの。やっと……幸せな結婚生活を、この人となら、送ることができる気がするの。」
「うん、分かった。」
聡明な姉は、母の言葉にじっくり耳を傾け、ゆっくりとうなずき、
母の隣に立っている、初めて見る男の人に会釈までしてみせた。
俺はどうしたら良いか分からず、隣の部屋のドアの隙間から、
母が選んだ相手をじっくりと観察することしかできなかったし、
母も、無理に俺をその男と対面させようとはしなかった。
久しぶりに父が家に帰ってきて、母が別れ話を切り出した夜、
もはや愛情の渇ききった父に、俺と姉のことはどうだっていいと言われ、
いかに血の繋がりが不確かなものかを知った。
母は俺と姉の事を気遣ってか、すぐには再婚しなかった。
その頃の母は、荒れていることが多く、家事のほとんどは姉がやっていた。
姉も大学受験を控えていて、ストレスが溜まっているようだった。
……一人で生きられない俺は、母や姉に嫌われないよう、
機嫌を伺い、必死に空気を読んで、理想の息子なり弟なりを振舞い続けた。
姉が大学に、俺が高校に入る頃、母は正式にあの人との再婚を決めた。
それは、あの人が家に住む事を意味していた。
姉は初めから、大学進学と同時に家を出るつもりだった。
そして、俺に言った。「出て行った方が、幸せだよ。」
その言葉に誤りは無かった。俺と姉が出て行った方が、
母も、義父も、俺たちも、みんな幸せになれる。
何より、本当の幸せを手に入れた母の横顔を見ると、
俺が家に残って、新生活の邪魔をしていいようには思えなかった。
「それで、わざわざ隣の県にある、寮設備のしっかりした学校を探して、バルガクにたどり着いた……ってとこじゃん。」
俺が一通り喋るのを、恒太は一生懸命聞いていて、
話の切れ目を見つけて、一つ質問を投げかけてきた。
「……バルガクに入ってから、家には帰ってないんですか?」
「そーだよ。……多分それは、恒太も一緒だと思うけどね。」
恒太は苦笑いした。正直、恒太も何かあるんだろうとは思っていた。
入寮可能になってすぐ、俺はバルガクの寮に荷物を揃えて、
まだほとんど新入生が来ていない中、恒太も同じように準備を終えていた。
……恐らく普通は、入寮前の貴重な時間を、家族と過ごすのだろう。
恒太にも家族で過ごせない事情があるということに、俺は気づいていた。
「僕は逃げただけですから……周りの悪い環境から離れて、過去から切り離されて、新しい自分を見つけたかった……と言えば聞こえは良いですが……」
「そんなもんじゃん。俺だって、そーいう感じじゃね?」
「……そんなもんですかね……」
不思議な感じだった。初めて人にこんな悩みを打ち明けた。
恒太も、同じような悩みを抱えていた。
話し合っただけで、深い霧が晴れたような気がした。
しばらくうなった後、恒太はためらいがちに俺に質問した。
「ご家庭から連絡は来ますか?」
「……連絡?」
「僕はたまに電話がかかって来て、学校はどうか、いつ帰るのか、色々と質問されますが、はぐらかすばかりで……幸い成績は上がって来てるので、帰らなくても怒られはしないんですけど……」
恒太も俺も、長期休暇に入っても、一度も実家に帰る事はなかった。
お互いいつも寮に居て、家の話はこれまでしたことがなかった。
だからこそ、部活もクラスも違うのに、親近感を持っていたのかもしれない。
俺は自分の状況を、素直に恒太に説明することにした。
「連絡取ってないよ。母親にも母親の人生があるし、別にそーいうもんだと思ってたけどね。……ただ、ついこの前、母親から手紙が届いた。」
「……お返事は出したんですか?」
「……いや、出してない。開けてすらないよ。今さら何だって思ってさ。」
似たような境遇の恒太と、決定的に違うのはこの一点だった。
俺はもう家族と一年以上連絡を取っていない。声も聞いていない。
高校二年生にしては、さすがに少しばかり異質な事なのかもしれない。
「手紙、読んでみたらどうですか?」
「……え?」
「無視するのは勝手だと思うんです。でも、何が書いてあるかくらい、見ておいた方が、色々と良いと思うんです……」
「そう?」
「……僕は最近になって、自分が親不孝だなって思って……そろそろ家に顔見せないといけないのかな、って思い始めて……」
恒太は遠慮がちにもごもごと口を動かし、最後まで言い切らなかった。
俺は何となく、話の続きを予測しつつ、さっきの質問に答えた。
「そーかもね。……せっかくだし、読んでみよーじゃん。」
「あ、そうですか……なんか、えーと……」
「俺も一年間勝手させてもらったからさ、返事くらい出そうかな。」
「……それは良かったです……」
混じりけの無い笑顔で、恒太は笑った。
自分も自分で大変なのに、よく他人のことをそこまで考えられるものだ。
少なくとも、こうして自分の話を恒太にしてみて、
恒太なら面倒に突っ込むこともしないし、ちょうどいい距離感があって、
これはこれで良い関係なのかな、と思うことができた。
自分の事を誰かに話すなんて、馬鹿らしいと思っていた。
悩んで、何らかの感情を抱くなんて、必要ないと思っていた。
……それを変えてくれたのは、恒太だ。
「なあ恒太。」
「な、何でしょうか?」
「ありがとな。」
恒太は俺の言葉に驚いて、少しだけ動揺した素振りを見せたものの、
それからすぐに、俺の方をきちんと向き直して、笑った。
「いえいえ。これからも、よろしくお願いします。」
それは、向日葵のような笑顔だった。
まぶしくて、見ているうちに……元気になるような、笑顔だ。




