第九十六話 救出
男は肩を震わせながら、何度も頭を下げた。
「頼む……。」
「娘を。」
「ソフィアを助けてくれ!」
その声は、広いギルドの中へ悲痛に響いた。
周囲にいた冒険者たちも、いつの間にか言葉を失っている。
クランツは険しい表情でカインを見た。
「カイン。落ち着いて聞いてくれ。」
「実はこちらの方は、ローゼンタール商会の会長さんだ。」
カインは小さく頷く。
クランツは続けた。
「娘さんがさらわれた。」
「しかも、相手は冒険者殺し。」
「カイザー一味らしい。」
(……カイザー?)
(どこかで聞いたような……。)
カインは記憶を辿る。
しかし、すぐには思い出せない。
クランツは腕を組み、重い息を吐いた。
「これまで、何人もの腕利きが奴らの討伐へ向かった。」
「だが、全員返り討ちだ。」
ギルドの中へ、重苦しい沈黙が落ちる。
「だから、ちょうど今。」
「奴らと渡り合える可能性があるのは、お前達くらいしかいないと話していたところなんだ。」
カインはソフィアの父へ視線を向ける。
「でも、騎士団には助けを求められないんですか?」
ソフィアの父は、震える手で一枚の紙を差し出した。
「これを……。」
何度も握り締めたのだろう。
紙には深い皺が刻まれている。
カインはそれを受け取り、荒々しく書かれた文字へ目を落とした。
――娘の命は預かった。
――日が沈むまでに。
――町外れの洞窟へ身代金を持って来い。
――騎士団へ通報すれば。
――娘の命はない。
紙の端には、洞窟までの簡単な地図も描かれていた。
カインは窓の外を見る。
日は西へ傾き始め、街並みに落ちる影も少しずつ長くなっていた。
「もう、そんなに時間がないじゃないですか。」
「ああ……。」
「身代金は用意した。言われた通り、私が持っていくつもりだ。」
ソフィアの父は強く拳を握り締める。
「だが……。」
「相手はカイザー一味だ。金を渡したからといって、本当に娘を返してくれる保証はない。」
そして、カインたちへ視線を向ける。
「だから、もしもの時のために。」
「腕の立つ冒険者に、一緒に来てもらいたかったんだ。」
唇が震える。
ソフィアの父は床へ膝をつくように、深く頭を下げた。
「頼む……。」
「もう、君たちしか頼れる人がいない。」
「どうか。」
「娘を助けてくれ!」
相手は強敵。
しかも、ソフィアを人質に取っている。
一つ間違えれば、彼女の命が危ない。
それでも。
カインは迷わなかった。
「分かりました。」
真っ直ぐにソフィアの父を見つめる。
「ソフィアは、必ず助けます。」
エリーも静かに頷いた。
「もちろん。私も行くわ。」
ルーシーが一歩前へ出る。
「妾も参ろう。」
カインは驚いたように振り向いた。
「ルーシー師匠。いいんですか?」
ルーシーは穏やかな表情を浮かべる。
「学友を見捨てるほど。」
「妾は薄情ではない。」
シルフィも勢いよく手を挙げた。
「皆で!」
「助けに行こう!」
クロエは静かに頷く。
「私は、アリアに知らせてくる。」
そう告げると、クロエは足早にギルドを後にした。
ソフィアの父は涙を浮かべながら、何度も何度も頭を下げる。
「ありがとう……。」
「本当にありがとう……。」
「娘を。」
「どうか頼む。」
カインは力強く頷いた。
そして、脅迫状へもう一度目を落とし、紙の端に描かれた洞窟までの地図を確かめる。
「分かりました。」
「日が沈む前に、急いで向かいましょう。」
◇
町外れ。
森の奥に、一つの洞窟が口を開けていた。
入口から吹き込む夕風が、湿った空気をわずかに揺らしている。
その奥では、焚き火の明かりだけがごつごつとした岩肌を赤く照らしていた。
「へへっ。」
「こいつは上玉だ。」
一人の男が下卑た笑みを浮かべた。
「身代金を受け取ったら、今度はこいつも売り払えば。」
「二度おいしいってわけだ。」
男たちの笑い声が、暗い洞窟の奥へ何度もこだまする。
そのさらに奥。
ソフィアは冷たい岩壁にもたれ掛かるように座り込んでいた。
両手両足は固く縄で縛られている。
乱れた栗色の髪と、涙で濡れた頬。
身体は恐怖で小さく震えていた。
それでも。
ソフィアはぎゅっと目を閉じる。
脳裏に浮かんだのは、学園で出会ったばかりの一人の友人だった。
(……カイン。)
(助けて……。)




