第九十五話 誘拐
それから、何事もないまま一週間が過ぎた。
カインたちも少しずつ学園での生活に慣れ始めていた。
朝になれば、クロエの馬車で学園へ向かう。
午前はそれぞれの講義を受け、昼になれば食堂へ集まる。
最初こそ広い校舎で迷うこともあったが、今では教室への道にも迷わなくなった。
「カイン! 次、歴史の講義だよ!」
「あ、うん。」
廊下の向こうから、ソフィアが小走りでやってくる。
その姿も、いつの間にか見慣れたものになっていた。
講義ではカインたちの近くへ座り、休み時間になれば一緒に話す。
昼休みになれば、ソフィアも当たり前のように食堂へついてくる。
「それでね! 昨日、お父さんがまた新しい商品を仕入れてきて――」
昼食を前に、ソフィアが楽しそうに話している。
その向かいでは、シルフィが料理を頬張りながら大きく頷いていた。
「へぇー! それって美味しいの?」
「食べ物じゃないよ!」
「違うの?」
「シルフィさん、食べ物の話ばっかり!」
笑い声が食堂に広がる。
エリーも笑い、セシリアも口元へ手を添えて微笑んでいた。
午後になれば、算術や星学、剣術など、それぞれが選んだ講義へ向かう。
そして放課後には、皆で図書館へ立ち寄ったり、街へ寄り道したりすることもあった。
そんな毎日を繰り返すうちに、ソフィアもいつの間にか皆とすっかり打ち解けていた。
それはもう。
いつもの光景になりつつあった。
◇
朝。
柔らかな朝日が屋敷を照らしている。
玄関の前には、今朝も一台の馬車が静かに停まっていた。
扉が開き、クロエが笑顔で降りてくる。
「皆さん!」
「おはようございます!」
いつもと変わらない。
明るい朝だった。
馬車がゆっくりと街道を走る。
車輪の音が心地よく響く中、クロエが思い出したように口を開いた。
「そういえば、カイン。」
「今日、学園が終わったら、ギルドまで付き合ってくれない?」
カインは不思議そうに首を傾げる。
「うん、いいけど。何かあったの?」
「お父様の警護について、少し相談があって。」
「分かった。そういえば、しばらくギルドにも顔を出してなかったし。」
カインはエリーを見る。
エリーも静かに頷いた。
すると、ルーシーが腕を組む。
「そういうことなら、妾も行こう。」
「ギルドでの用事が終わったら、『しょっぴんぐ』とやらへ行くぞ。カイン。」
「はい! ルーシー師匠。」
「うむ。」
(カインと一緒に買い物じゃ!)
シルフィが元気よく手を挙げる。
「じゃあ!」
「私もついてくー!」
馬車の中へ笑い声が広がった。
◇
学園へ到着する。
しかし、いつもなら講義や廊下で顔を合わせるソフィアの姿が見当たらなかった。
◇
昼休み。
食堂は今日も学生たちで賑わっている。
料理の香りと楽しそうな話し声が辺りへ広がる中、セシリアが辺りを見回した。
「今日は、ソフィアさんのお姿をお見かけしませんね。」
シルフィが首を傾げる。
「お腹痛いのかな?」
エリーも少し心配そうな表情を浮かべた。
「昨日は元気そうだったのにね。」
一同は少しだけ気になった。
しかし、その日、ソフィアは最後まで姿を見せなかった。
◇
放課後。
校門の前には、朝と同じ馬車が静かに待っていた。
一行を乗せた馬車は街中を進み、やがて冒険者ギルドの前でゆっくりと停車する。
クロエたち五人が馬車を降りる。
馬車には、アリアとセシリアが残っている。
アリアが微笑む。
「じゃあ、後でね。」
セシリアも小さく手を振る。
「皆さん、お気をつけて。」
「うん!」
カインが頷く。
馬車の扉が閉じる。
馬車は再びゆっくりと走り出し、西日に照らされた街並みへ消えていった。
クロエはギルドを見上げる。
「それじゃ、行こう。」
「うん。」
一行は冒険者ギルドの扉を開いた。
◇
いつもなら冒険者たちの笑い声で賑わうギルド。
しかし今日は、どこか重苦しい空気が漂っていた。
受付のサラが扉の音に気付き、顔を上げる。
「あっ、カインさん!」
その声に、支部長のクランツも振り返った。
「おっ、カイン! ちょうどいいところへ来た!」
クランツの隣には、一人の中年男性が立っていた。
疲れ切った表情に、充血した目。
ひどく憔悴している。
男はカインの姿を見るなり駆け寄ってくる。
「君が!」
「カイン君か!」
「はい。」
男は震える手で、カインの肩を掴んだ。
唇が震えている。
何かを言おうとして。
けれど。
声が出ない。
「……?」
カインが僅かに眉を寄せる。
やがて、男は絞り出すように声を上げた。
「頼む!」
「娘を!」
「ソフィアを助けてくれ!」
その言葉に。
ギルドの空気が静まり返った。




