第八十九話 葡萄酒
翌日。
セントリア学園で行われた編入試験を終え、その日のうちに結果が発表された。
カイン、エリー、セシリア、シルフィ。
そして、ルーシー。
五人は無事に合格した。
アリアは以前すでに合格しており、これで全員がセントリア学園へ通うことになった。
◇
その夜。
無事に学園への合格が決まったことを祝して、別邸ではささやかな食事会が開かれていた。
クロエも招かれ、食卓には様々な料理が並んでいた。
賑やかな笑い声が、食堂に響いている。
「いやー、良かった良かった!」
エリーが上機嫌に料理を頬張る。
「これでみんな一緒に通えるね!」
「はい。」
セシリアも嬉しそうに微笑んだ。
「私も安心しました。」
「妾にかかれば、編入試験など造作もないわ。」
ルーシーは得意げに胸を張る。
「ルーシー師匠、試験中ずっと難しそうな顔してませんでした?」
「そ、そのようなことはない!」
カインの言葉に、ルーシーが慌てて否定する。
そんな二人を見て、アリアたちから笑い声が零れた。
その時だった。
「そういえば。」
ルーシーが何かを思い出したように顔を上げる。
「以前、街へ出た時に買った葡萄酒があったのう。」
「あ。」
カインも思い出す。
ルーシーが初めてエヴァンスの街を歩いた日。
酒屋の前で足を止め、一本の葡萄酒を買っていた。
「せっかくじゃ。今夜はそれを嗜むとしよう。」
その言葉を聞いたリーナが、すぐさま一礼する。
「それでは、ご用意いたします。」
「うむ。」
満足そうに頷くルーシー。
しかし。
「葡萄酒……。」
クロエが僅かに眉を寄せた。
「ルーシー様が飲まれるのですか?」
「もちろんじゃ。」
「……やめておいた方がいいのでは……。」
「なぜじゃ?」
ルーシーが不思議そうに首を傾げる。
「妾が酒に飲まれるわけがなかろう。」
「……そうですよね。」
クロエはそれ以上何も言わなかった。
その目には、僅かな不安が浮かんでいた。
「ルーシー師匠が飲むなら!」
シルフィが勢いよく手を上げる。
「私も飲むー!」
「おお。シルフィも分かっておるではないか。」
「うん!」
やがて。
リーナが二人の前へ葡萄酒を用意する。
深い赤色の液体が、透明なグラスへ静かに注がれていく。
「ほう……。」
ルーシーがグラスを手に取り、香りを確かめるように鼻先へ近づけた。
そして。
一口。
「……うむ。なかなかじゃ。」
「うん! 美味しいね! ルーシー師匠!」
「そうじゃろう、そうじゃろう。」
二人は上機嫌で、料理とともに葡萄酒を楽しんでいった。
それから、しばらくして。
「…………。」
シルフィが食卓へ突っ伏していた。
「シルフィ?」
カインが覗き込む。
「ふにゃ……。」
「寝ちゃったの?」
「ふにゃぁ……。」
完全に眠っている。
カインは思わず苦笑した。
「シルフィ。こんなところで寝ると、風邪引くよ。」
「ふにゃ……。」
その時。
とん。
誰かがカインの肩を叩いた。
「ん?」
振り返る。
そこには。
ルーシーがいた。
「…………。」
「ルーシー師匠?」
ガーネット色の瞳が、完全にすわっていた。
「……カイン。」
「は、はい。」
何かがおかしい。
カインの本能が、そう告げていた。
「カインは。」
「私のこと、どう思ってるの?」
「……え?」
食卓が、一瞬で静まり返った。
エリー。
セシリア。
アリア。
クロエ。
全員の視線が、一斉にカインへ集まる。
「わ、私?」
「そう。」
ルーシーが身を乗り出す。
「ねぇ、カイン。教えて?」
「え、えっと……。」
カインは僅かに身を引く。
「ルーシー師匠。酔ってます?」
「酔ってない!」
「ひっ。」
即答だった。
「誤魔化さないで!」
ルーシーがさらに顔を近づける。
「カインは。」
「私の騎士なの?」
「え?」
熱のこもった瞳が、真っ直ぐにカインを見つめている。
「ル、ルーシー師匠。ち、近いですー!」
「どうなの? 答えて!」
がしっ。
「え?」
ルーシーの両手が、カインの肩を掴んだ。
「カイン!」
「私の騎士なの!?」
「え、ええっ!?」
「どうなの!?」
ガクガクガクガク!!
「い、痛い!」
「師匠!」
「い、い、痛いです!」
細い腕からは想像もできない力で、カインの身体が激しく揺さぶられる。
「カイン!」
「答えて!」
「た、た、助けてーー!!」
アリアたちが慌てて駆け寄ろうとした。
その瞬間。
「邪魔しないで!」
――ドンッ!!
「ひっ……!」
凄まじいオーラが、一瞬にして部屋中へ広がった。
空気が震える。
食器が、カタカタと音を立てる。
「な、なに……これ……。」
エリーの顔が引きつる。
誰も近づけない。
そして。
至近距離にいたカインだけは。
「うっ……。」
完全にオーラに当てられ、意識を失った。
ルーシーの手から力が抜け、カインはその場へ崩れ落ちた。
「カイン!?」
「カインさん!」
その光景を、少し離れた場所から見ていた二人がいた。
「リズ。」
「はい。」
リーナとリズ。
二人は静かに頷き合う。
その手には。
いつの間に用意したのか。
水の入った桶が握られていた。
「参ります。」
「ええ。」
二人は、その場から勢いよく桶を振り抜いた。
バシャァァァン!!
「――っ!?」
大量の水がルーシーの頭上から降り注いだ。
先ほどまでの異様な圧力が、嘘のように消える。
「……?」
ルーシーが瞬きをした。
「……何があった?」
自分の身体を見る。
髪も。
服も。
びしょ濡れだった。
「……なぜ、妾は濡れておるのじゃ?」
「…………。」
誰も答えない。
カインは床へ倒れている。
シルフィは食卓へ突っ伏して眠っている。
エリー。
セシリア。
クロエ。
そしてアリア。
全員が互いの顔を見合わせた。
「……?」
ルーシーが首を傾げる。
「何があったのじゃ?」
「…………。」
アリアが必死に周囲を見回す。
そして。
見つけた。
食卓へ突っ伏している。
シルフィを。
「……実は。」
「うむ。」
「シルフィが寝惚けて、火の精霊を召喚しちゃって……。」
「……何?」
「危なかったから、水をかけたの。」
アリアの目が、明らかに泳いでいる。
「ね?」
アリアが皆を見る。
「みんな?」
「う、うん!」
エリーが必死に頷く。
「そ、そうです!」
セシリアも何度も頷く。
「え、ええ。」
クロエまで、視線を逸らしながら頷いた。
「…………。」
ルーシーは、眠っているシルフィを見る。
「ふにゃ……。」
「まったく。」
ルーシーは呆れたように息を吐いた。
「シルフィには。」
「今後、葡萄酒は禁止じゃ。」
「…………。」
アリアは、眠っているシルフィへ視線を向けた。
(シルフィ……ごめん。)
「ふにゃ……。」
何も知らないシルフィは、幸せそうに眠っていた。
その日。
リーナとリズは。
一つのことを固く心に誓った。
――二度と。
ルーシーへ葡萄酒を出してはならない。




