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七星を廻る物語  作者: 豆柴の旅々
第五章 七星 ルシア・ノクティス

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第七十六話 本当の願い

 二日後。


 交易船はヴァイスシルト公爵領へ到着した。


 セントリア大陸北方最大の港町。


 ルクシオンとはまた違う熱気に包まれている。


 港を吹き抜ける風は、もう冷たくない。


 街路樹には瑞々しい若葉が茂り。


 柔らかな春の日差しが、行き交う人々を照らしていた。


 港には大小さまざまな船が停泊し、荷車を押す商人や荷物を運ぶ船員たちの掛け声が絶え間なく響いていた。


 港から街の中心へ続く大通りには、多くの露店が並ぶ。


 焼きたてのパン。


 香ばしい串焼き。


 見たこともない果物。


 威勢の良い呼び込みの声が、街中へ響き渡っていた。


 ルクシオンは穏やかで、人々は静かな幸せの中で暮らしていた。


 しかし、ここには。


 それとは違う、人々の力強い営みがある。


 ルーシーはゆっくりと辺りを見渡す。


 その瞳は。


 まるで初めて祭りへ来た少女のように輝いていた。


 その時だった。


 ドンッ。


「いたっ。」


 一人の男の子がルーシーへぶつかり、その場へ尻餅をついた。


 手には食べかけの串焼き。


 その拍子に、ルーシーのスカートへ小さな汚れが付く。


「申し訳ございません!」


 近くにいた母親が慌てて駆け寄る。


 しかし。


 ルーシーの姿を見た瞬間、息を呑んだ。


 白銀の長い髪。


 その左右を飾る、大きな黒いリボン。


 上質な衣装。


 そして、自然と漂う気品。


 どこからどう見ても、高貴な令嬢としか思えない。


「本当に申し訳ございません!」


 深く頭を下げる母親。


 ルーシーは静かに首を振った。


「妾は構わぬ。」


「それより。」


 男の子へ優しく視線を向ける。


「そなたは怪我はないか?」


「うん!」


 元気よく頷く。


 その笑顔を見て、ルーシーは穏やかに微笑んだ。


「そうか。」


「それは良かった。」


「ですが、お召し物が……。」


「ん?」


 ルーシーは自分のスカートへ視線を落とす。


「妾も露店に見とれておった。」


「気にするでない。」


 母親はもう一度深く頭を下げた。


「ありがとうございます。」


 二人は礼を言いながら、その場を後にした。


 五人は、その様子を微笑ましく見守っていた。


 やがて。


 ルーシーはカインを見る。


「カインよ。」


「はい。」


「あの子が持っておった食べ物は何じゃ?」


「あれは串焼きです。」


「お肉を串に刺して焼いたものですよ。」


「ほう。」


 ルーシーは小さく頷く。


「妾も一つ所望する。」


「買ってまいれ。」


「はい!」


「ルーシー師匠!」


 嬉しそうに駆け出していくカイン。


 その背中を見送りながら。


 エリーは苦笑した。


「師匠じゃないって言ってたのに。」


 アリアも微笑む。


「完全な師弟関係ですね。」


 セシリアも優しく笑った。


「カインさん、何だか嬉しそうです。」


 ルーシーは振り返る。


「何か言うたか?」


「「「いえ。」」」


 三人は慌てて首を振る。


「何でもありません。」


「ルーシー師匠。」


 シルフィが満面の笑みで言った。


「師匠は師匠だもんね!」


 ルーシーは呆れたようにため息をつく。


 しかし。


 その口元は、どこか嬉しそうに緩んでいた。


◇


 翌日。


 交易船はエヴァンス公爵領へ向け、湖をゆっくりと進んでいた。


 船尾。


 ルーシーは、西の空へ沈みゆく夕陽を、どこか愛おしそうな眼差しで見つめていた。


 そこへ。


 カインが歩み寄る。


「あの。」


「ルーシー師匠。」


「……。」


「本当に俺たちと一緒に……。」


 その先の言葉が出ない。


 ルーシーは小さく微笑んだ。


 それだけで。


 カインが何を尋ねたいのか、すべて分かった。


「よいのじゃ。」


「これは。」


「父上と母上が、本当に望んだことじゃ。」


 静かに目を閉じる。


 遠い日の記憶が蘇る。


◇


『私たちも、ヴァンパイアにしてほしい。』


『……なりません。』


 ルーシーは首を振った。


 父は静かに微笑む。


『お前を一人にはできない。』


 母が、そっとルーシーの手を握った。


『あなたには、まだ叶えていない願いがあるでしょう?』


『その願いが叶うまで。』


『私たちも、一緒にいさせて。』


『……。』


◇


 ゆっくりと目を開く。


 夕陽が湖面を赤く染めていた。


 あの頃は。


 父と母の言葉の意味を、深く考えたことなどなかった。


 本のお姫様に憧れた、十五歳のあの日。


 恋をして。


 世界を巡り。


 たくさんの人と出会いたい。


 それが。


 ルーシーの本当の願いだった。


 その願いが叶う日まで。


 十五歳のままでいたい。


 ただ、それだけのつもりだった。


 しかし。


 少女の願いは、思いもよらぬ形で現実となった。


 そして、長い年月が過ぎた。


 父と母は。


 ルーシーの本当の願いを知っていた。


 だから。


 娘を一人にはしなかった。


 長い年月も。


 孤独も。


 悲しみも。


 共に背負い続けてくれた。


 そして。


 ルーシーが自由を取り戻し。


 本当の願いを叶えること。


 それが。


 いつしか父と母の、本当の願いになっていた。


 そして今。


 二百年という時を越えて。


 その願いを。


 ようやく叶えられる時が来た。


 カインは何も聞かなかった。


 ただ静かに。


 ルーシーの隣へ並ぶ。


 春の柔らかな風が。


 二人の間を、静かに吹き抜けていく。


 西の空へ沈みゆく夕陽だけが。


 二人を優しく照らしていた。

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