第六十九話 静寂
ルクシオン領の兵士たちに護衛された馬車は、雪原を静かに進んでいた。
車輪が雪を踏みしめる音が、一定の間隔で車内へ届く。
誰も口を開かない。
普段なら、何気ない会話の一つでも聞こえてくるはずだった。
だが、今は違う。
車内には、張り詰めた空気が流れていた。
これまで何度も繰り返してきた作戦。
その最後の確認だった。
カインはエリーへ視線を向ける。
「エリー。」
「重力魔法は、10分なら維持できる?」
エリーは少し考え、小さく息をついた。
「うーん……。」
「どんなに頑張っても、10分かな。」
「…………。」
10分。
その短い時間へ、すべてを賭ける。
今回の勝機は一つしかない。
短期決戦。
エリーの魔力が尽きる前に決着をつける。
それだけだった。
カインは膝の上で、ゆっくりと拳を握る。
隣では、アリアが腰の剣へ視線を落としていた。
セシリアは胸元で手を重ね、シルフィもいつもの笑顔を見せることなく窓の外を見つめている。
「それと。」
エリーが口を開いた。
皆の視線が集まる。
「私の新しい魔法だけど、最後にもう一度だけ確認しておくね。」
「戦いが始まったら、私がみんなとエルダーリッチの間に特異点を作る。」
カインたちが頷く。
「特異点を挟んでいる間は、向こうから飛んでくる魔法は全部そこに吸い込まれる。」
「でも、こっちから使った魔法も同じ。特異点を越えて向こうまでは届かない。」
「精霊魔法以外は、だよね?」
シルフィが確認する。
「うん。」
エリーが頷いた。
「精霊魔法は、精霊が起こした現象そのものだから、特異点には吸い込まれない。」
そして、カインとアリアへ視線を向ける。
「だから、エルダーリッチを倒すには、二人には特異点を越えて近づいてもらうしかない。」
「…………。」
カインは静かに頷いた。
アリアも何も言わず、エリーを見つめている。
「ただし。」
エリーの声がわずかに低くなる。
「特異点を越えたら、もう私の魔法では二人を守れない。」
「エルダーリッチが近くから魔法を使ったら、その魔法は特異点を通らないから、そのまま二人に届く。」
再び、車内を沈黙が包んだ。
聞こえるのは、車輪が雪を踏む音だけ。
「分かった。」
カインが答える。
アリアも静かに頷いた。
エリーは今度はセシリアへ視線を向ける。
「それと、セシリア。」
「はい。」
「神聖魔法も特異点には吸い込まれる。」
「だから二人を治癒するときは、特異点を越えて二人の近くまで行ってから使って。」
そこで、エリーはまっすぐにセシリアを見つめた。
「ただし、セシリアも特異点を越えたら守れないから。」
「本当に必要なときだけお願い。」
「…………はい。」
セシリアが静かに頷いた。
それ以上、誰も口を開かなかった。
作戦は決まっている。
できることも、すべてやった。
あとは。
戦うだけだった。
◇
馬車は雪原を進み続ける。
窓の外には、一面の白銀世界が広がっていた。
どこまでも続く雪原には、馬車と護衛の兵士たちが残した跡以外、何一つ足跡がない。
鳥の声はしない。空を横切る鳥影すら見えない。
雪の間から顔を出す枯れ草も、風に揺れる木々もなかった。
獣の気配も、モンスターの姿もない。
聞こえるのは、雪原を吹き抜ける風の音だけ。
まるで生命そのものが、この地を避けているかのようだった。
ただ、どこまでも続く静寂だけが一行を迎えている。
やがて、雪の向こうに朽ち果てた城壁が姿を現した。
かつて、ルナヴェール王国が栄華を誇った王都。
今は。
死だけが支配する都となっていた。
◇
王城。
玉座の間。
闇の中、玉座には一体の骸があった。
かつての威厳を残すような法衣は、長い歳月に晒され、見る影もなく朽ち果てている。
その身体を覆うように、薄い霧のような瘴気がゆらゆらと漂っていた。
微動だにしない。
まるで王の骸が、そのまま玉座へ置かれているかのように。
虚ろな眼窩。
その奥で、蒼い光が静かに揺らめいていた。
生者の気配。
五つ。
骸は動かない。
ただ、玉座の間を満たす瘴気だけが静かに揺らめいていた。




