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七星を廻る物語  作者: 豆柴の旅々
第一章 旅立ち

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第五話 リヴァルの夜

 侯爵令嬢の護衛依頼は、正式に受注する前に、依頼人との面談が必要だという。


「面談は明日でも大丈夫ですよ。」


 エマにそう教えられた二人は礼を言い、冒険者ギルドを後にした。


 外へ出ると、昼下がりの陽光が石畳を明るく照らしている。


 街は朝以上の賑わいを見せていた。通りには多くの人々が行き交い、商人たちの呼び込みや、どこからか聞こえてくる笑い声が街に活気を添えている。


 エリーは大きく伸びをすると、くるりと振り返った。


「ふぅ! いろいろあったけど、初日にしては上出来じゃない?」


 その顔は晴れやかだった。


 カインも自然と笑みを浮かべる。


「うん。護衛依頼の話も進んで、本当に良かった。」


「これでようやく冒険者って感じ!」


「その前に、お腹空いたよ。」


「あっ、私も!」


 顔を見合わせ、二人は笑った。


 夜中に祖父の家を出発し、ここまで歩き続けてきた。緊張も重なり、空腹はすでに限界だった。


「何か食べようか。」


「うん! あっ、何かいい匂いがする!」


 エリーが鼻をひくひくと動かす。


 通りの向こうから、香ばしい匂いが漂ってきた。


「あそこかな?」


 カインが指差した先には、焼き立てのパンを売る屋台があった。


「行ってみよう!」


 二人は屋台へ向かって歩き出した。


 その時だった。


 道の向こう側に、一人の小さな女の子がいた。


 すぐそばでは、母親らしい女性が知り合いと話し込んでいる。


 女の子は通りのこちら側にある屋台をじっと見つめていた。焼き立てのパンが、次々と店先へ並べられていく。


 女の子は母親の服を軽く引っ張った。


「お母さん、あれ!」


「ちょっと待っててね。」


 母親はそう答えると、再び知り合いとの話へ戻った。


 女の子はもう一度、屋台を見る。


 そして、母親のそばを離れ、通りへ飛び出した。


 ちょうどその時、一台の馬車が近づいていた。


「危ない!!」


 御者が慌てて手綱を引く。


 だが、間に合わない。


「カイン!?」


 エリーが声を上げた時には、カインはすでに駆け出していた。


 女の子へ飛びつき、その小さな身体を抱きかかえる。


 直後、二人は石畳の上を転がった。


 ――ガタンッ!!


 馬車がすぐ脇を通り過ぎ、少し先で止まった。


「……っ!」


 カインは女の子を抱えたまま、ゆっくりと身体を起こした。


「大丈夫?」


 女の子は驚いたように目を丸くしていたが、やがて小さく頷いた。


「……うん。」


「そっか。良かった。怪我がなくて。」


 カインはほっとしたように笑った。


「カイン!」


 エリーが慌てて駆け寄ってくる。


 そこへ、女の子の母親も駆けつけた。


「大丈夫!? 怪我はない!?」


「お母さん!」


 女の子が母親へ飛びつく。


 母親は娘を強く抱き締めると、カインへ深く頭を下げた。


「ありがとうございます! 本当に、ありがとうございます……!」


「いえ。無事で良かったです。」


 カインは笑顔で答えた。


 母親は何度も礼を言い、女の子の手を引いて去っていった。


 その姿を見送っていたカインが、ふと顔をしかめる。


「……いてて。」


「え?」


 エリーが振り返った。


 カインは自分の肘を見下ろしていた。服の袖が少し破れ、肘には擦り傷ができている。


「あれ? 怪我してた。」


「もう! 自分が怪我してるじゃない!」


「ははは。そうみたい。」


「そうみたい、じゃないでしょ!」


 エリーは呆れたように息を吐いた。


「宿に着いたら、ちゃんと手当てするからね。」


「え? これくらい大丈夫だよ。」


「ダメ!」


「……はい。」


 カインが素直に頷くと、エリーはようやく笑った。


 そして、ふと何かを思い出したように顔を上げる。


「あっ、そうだ!」


「ん?」


「お腹空いてたんだった!」


「ああ、そうだったね。」


 二人は顔を見合わせ、思わず笑った。


 そのまま屋台へ向かい、焼き立てのパンと温かなスープを買った。


 近くの長椅子へ並んで腰掛ける。


 パンを割ると、白い湯気が立ちのぼった。香ばしい小麦の匂いが鼻をくすぐる。


 温かなスープを一口飲むと、冷えと疲れが残る身体へじんわりと染み渡っていく。


 エリーの頬が緩んだ。


「美味しいね。」


「うん。」


 それだけで十分だった。


 冒険者になって初めて食べる食事。


 いつもと変わらないパンとスープなのに、今日は少しだけ特別な味がした。


◇


 食事を終えると、二人は宿を探すことにした。


 祖父から旅費は十分にもらっている。とはいえ、まだ駆け出しの冒険者だ。無駄遣いはできない。


 エマに教えてもらった、町外れの小さな宿を訪ねることにした。


 扉を開けると、恰幅のいい女将が笑顔で二人を迎えた。


「いらっしゃい。宿泊かい?」


「はい。一泊お願いしたいんですが。」


 すると、女将は少し困ったように頭をかいた。


「悪いねぇ。手頃な料金の部屋は、もう一部屋しか残ってないんだよ。」


「一部屋だけですか?」


「ああ。別の部屋なら空いてるけど、料金は三倍になっちまうねぇ。」


 カインとエリーは顔を見合わせた。


 女将に案内された部屋は、小さいながらも清潔だった。


 窓際には机と荷物棚が一つずつ。


 そして――


 小さなベッドが一つ。


「あの……。」


 カインは女将とベッドを交互に見る。


「部屋、本当にここだけですか?」


「手頃な部屋はね。今日は商人のお客さんが多くて、どこも埋まっちまったんだよ。」


「どうする?」


 カインがエリーを見る。


 エリーは一瞬だけ黙り、部屋の中を見渡した。そして、ベッドへ視線を向ける。


(……別々の部屋。)


「この部屋で大丈夫です。」


「えっ?」


 驚くカインを見て、エリーは得意げに笑った。


「昔は一緒に寝てたじゃない。」


「いや、それは子どもの頃で……。」


「何?」


 エリーは少しだけ口元を緩める。


「今さら恥ずかしいの?」


「……。」


 そう言われると、反論できない。


 結局、二人はその部屋を借りることになった。


◇


 夕暮れ。


 部屋へ戻ると、エリーは荷物から手当ての道具を取り出した。


「ほら、カイン。腕、見せて。」


「ああ、そうだったね。」


 カインが袖をまくると、肘には先ほどの擦り傷が残っていた。


 エリーは傷口を丁寧に拭き、薬を塗っていく。


「まったく……。女の子を助けたのはいいけど、自分も気をつけなきゃダメでしょ。」


「うん。ごめん。」


「……でも。」


 エリーは手を動かしながら、小さく笑った。


「無事で良かった。」


「うん。」


 手当てを終えると、カインは荷物を棚へ置き、窓を開けた。


 涼しい風が静かに部屋へ流れ込んでくる。


 昼間の喧騒は少しずつ遠ざかり、代わりに、どこかの酒場から聞こえる笑い声が夕暮れの街へ溶けていく。


 カインは窓辺から街を眺めた。


 今日一日だけで、いろいろなことがあった。


 街へ着いて、冒険者ギルドへ行って、試験を受けて。


 そして、初めての依頼の話まで進んだ。


 冒険者として迎える、初めての夜だった。


 夜通し歩き続けた疲れもあり、眠気はもう限界だった。


 カインは部屋に一つしかないベッドを見た。


「やっぱり俺は床で寝るよ。」


「ダメ。」


 エリーは即答した。


「床じゃ疲れが取れないでしょ。」


「でも……。」


「昔は一緒に寝てた。」


 それは事実だった。


 小さい頃は、同じ布団で眠ることも珍しくなかった。


「それに……。」


 エリーは少しだけ視線を逸らす。


「家族なんだから。」


「……。」


 カインは少し迷ったあと、小さく頷いた。


「分かった。」


◇


 魔力灯の灯りが消える。


 部屋が静かな闇に包まれた。


 ――ガサリ。


 シーツが擦れる。


 窓の外からは、遠くを走る馬車の音や、誰かの笑い声が微かに聞こえてくる。


 やがて、それも少しずつ遠ざかっていった。


 エリーは天井を見つめていた。


(……。)


 目を閉じる。


 ――ガサリ。


 もう一度、寝返りを打つ。


(……あれ?)


 眠れない。


 身体は疲れているはずなのに、なぜか胸が落ち着かなかった。


 隣から、静かな寝息が聞こえる。


 エリーはそっと横を向いた。


 窓から差し込む淡い月明かりが、眠るカインの横顔を静かに照らしている。


 エリーはしばらく、その横顔を見つめていた。


 昔は、同じくらいの背丈だった。


 同じ目線で笑って、同じ布団で眠って。


 何も気にしたことなんてなかった。


 なのに。


 今は――。


 エリーの視線が、カインの肩へ向かう。


 いつの間にか、自分よりずっと広くなっていた。


「……。」


 エリーは慌てるように視線を逸らし、胸元の布団をぎゅっと掴んだ。


(……何してるんだろ、私。)


 目を閉じても、すぐ隣から聞こえる寝息が妙に耳に残る。


 そっと、もう一度だけ横を見る。


 カインは何も知らず、静かに眠っていた。


「もう……。」


 エリーは小さく呟いた。


 少しだけ頬を膨らませ、布団を鼻先まで引き上げる。


 そして、カインへ背を向けた。


(……寝よ。)


 目を閉じる。


 それでも、胸の鼓動はなかなか静かになってくれなかった。


 窓の外では、月が静かに夜空を渡っていく。


 まだ、名前すらない。


 小さな想い。


 その答えを知らない少女を、淡い月明かりだけがいつまでも優しく照らしていた。

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