第六十六話 アリア
夜。
屋敷は静かな眠りに包まれていた。
今日も一日、厳しい修行が続いた。
身体は疲れている。それなのに、アリアの目は冴えたままだった。
――百年くらい前かな。
ノエルの何気ない一言が、頭から離れない。
静かな部屋の隣から、小さな寝息が聞こえてくる。
「……すぅ。」
エリーは気持ち良さそうに眠っていた。
やがて、小さく寝返りを打つ。
「うーん……。」
「カイン……。」
「危ないって言ったじゃない……。」
どんな夢を見ているのだろう。
アリアは思わず、くすりと笑った。
その笑みも、やがて静かに消えていく。
そっと布団を抜け出した。
◇
夜風が頬を撫でる。
静かな廊下を歩いていると、一つだけ灯りの漏れる部屋が目に入った。
書斎。
扉の隙間から、暖炉の柔らかな灯が廊下へ漏れている。
アリアは足を止めた。
胸の鼓動が、少しずつ速くなる。
扉へ手を伸ばしかけ、止める。
もう一度、深く息を吸った。
そして、静かに扉を叩く。
コン……。
コン……。
返事はない。
暖炉の薪がはぜる音だけが、微かに聞こえてくる。
数秒。
いや、もっと長く感じられた。
鼓動だけが、胸の奥で響いていた。
「……入るがよい。」
その一言に、アリアは意を決し、扉を開けた。
◇
暖炉の炎が静かに揺れている。
ルーシーは椅子へ腰掛け、本を読んでいた。
アリアを見ると、本を閉じる。
「まあ。」
「座るがよい。」
「……失礼します。」
促されるまま椅子へ腰を下ろす。
二人の間には、小さなティーテーブル。
暖炉の熱だけが、その空間を優しく包んでいた。
沈黙。
ルーシーは頬杖をつき、静かにアリアを見つめる。
何も聞かない。
何も言わない。
アリアも、自分の手を見つめたまま口を開けない。
暖炉の薪が小さくはぜ、炎がゆらりと揺れる。
どれほどの時間が流れただろう。
「……ルシア様。」
ルーシーは静かに視線を向け、続きを待つ。
アリアは小さく息を吸った。
「私は……。」
一度、言葉が止まる。
唇が震える。
それでも、勇気を振り絞るように顔を上げた。
「ヴァンパイアになれますか。」
暖炉の薪が、ぱちりと音を立てた。
沈黙。
ルーシーは、じっとアリアを見つめている。
やがて、静かに口を開いた。
「呪いは消せぬ。」
ルーシーは静かに目を細めた。
「不死も呪いよ。」
再び静寂が訪れる。
暖炉の炎だけが、静かに揺れていた。
ルーシーは炎を見つめたまま、小さく呟く。
「命は限りがあるから。」
「輝くのじゃ。」
アリアは静かに目を閉じた。
「……。」
「おぬしも。」
「分かっておろう。」
その言葉に、旅の日々が脳裏をよぎる。
くだらないことで笑い、時には喧嘩して。
共に戦い、同じ食卓を囲んだ。
いつも傍には、大切な仲間たちがいた。
そのどれもが、かけがえのない時間だった。
暖炉の薪が、静かにはぜた。
ルーシーは静かに立ち上がる。
「妾が言えるのは。」
「これだけじゃ。」
アリアもゆっくりと立ち上がった。
「……ありがとうございます。」
深く一礼し、扉へ向かう。
「アリア。」
足が止まる。
振り返る。
暖炉の灯に照らされたルーシーが、微笑んでいた。
「自分が信じた道を。」
「生きよ。」
アリアは小さく頷いた。
そして、扉を閉める。
廊下には、夜の静寂だけが広がっていた。




