第五十九話 理
冷たい風が、中庭を静かに吹き抜けていた。
ルシアが戻るまでの間、誰一人として口を開かなかった。
エリーは杖を握る手に、僅かに力を込めた。
(……届かない。)
《重力鎖》。
これまで何度も仲間を助けてきた。
ヴァルガとの戦いでも、この魔法がなければカインの剣は届かなかった。
それなのに。
ルシアは一目見ただけで、その先があることを見抜いた。
(何が足りないの……。)
答えは分からない。
ただ、その一言だけが胸に残っていた。
少し離れた場所では、カインも静かに剣を見つめていた。
(オーラの使い方を……。)
(分かっていない。)
剣へオーラを纏わせる。
それが自分の戦い方だった。
これまで、それを疑ったことなどない。
だが。
ルシアは、その使い方を根本から否定した。
(俺は……。)
(何を知らないんだ。)
静かな時間だけが流れていく。
その時。
屋敷の扉が静かに開いた。
先頭を歩くルシア。
その一歩後ろを、ノエルが分厚い一冊の本を抱えて続いている。
革張りの表紙は色褪せ、端には擦り切れた跡が残っていた。
長い年月を経てきたことが、一目で分かる。
ティーテーブルまで来ると、ノエルは本をそっと置いた。
「ルーシーお嬢様。」
「こちらに。」
「うむ。」
ルシアは短く頷く。
ノエルは静かに一歩後ろへ下がった。
ルシアは本へ手を置く。
「さて。」
「お主らは、エルダーリッチについてどこまで知っておる。」
最初に口を開いたのはセシリアだった。
「アンデッドの中でも極めて高位の存在です。」
「神聖魔法は有効ですが、通常の魔法はほとんど通用しないと学びました。」
ルシアは静かに頷く。
冷たい風が吹き抜け、木々の枝に積もった雪がさらさらと舞い落ちた。
「そこは間違っておらぬ。」
「じゃが。」
「精霊魔法は別じゃ。」
アリアとシルフィが顔を上げる。
「やつには届く。」
ルシアは二人を見たあと、ゆっくりとカインへ視線を移した。
「そして。」
「オーラもじゃ。」
カインは目を見開く。
「もちろん、神聖魔法も有効じゃ。」
今度はセシリアへ視線を向ける。
そして、ルシアは一同を見渡した。
「つまり。」
「お主らには、やつを傷つける手段がある。」
張り詰めていた空気が、僅かに緩む。
しかし。
ルシアの表情は変わらない。
「そこでじゃ。」
冷たい風が白銀の髪を静かに揺らした。
「勝てると思うか?」
誰も答えない。
風に揺れた枝から、雪が静かに地面へ落ちる。
その音だけが、中庭へ小さく響いた。
やがて。
カインがゆっくりと口を開く。
「今までも。」
「俺たちは、この仲間で苦難を乗り越えてきました。」
一人ひとりの顔を見渡す。
「今回も。」
「力を合わせれば……。」
「だから。」
ルシアの声が静かにその言葉を遮る。
「お主らは分かっておらんのじゃ。」
再び静寂が訪れる。
ルシアは一同を静かに見渡した。
深紅の瞳が、一人ひとりを見据えていく。
「では。」
「問おう。」
誰も目を逸らさない。
「やつが放つ、広範囲の殲滅魔法を。」
「どう防ぐ?」
誰も答えられなかった。
重い沈黙が中庭を包む。
セシリアが俯く。
アリアも静かに目を閉じた。
シルフィは言葉を失い、エリーは小さく拳を握る。
そして。
カインも気付く。
(……レオン。)
《不壊の盾》。
これまで強大な攻撃が仲間へ迫るたび、何度もレオンの《不壊の盾》が防いでくれた。
だからこそ、自分たちは攻撃へ踏み込むことができた。
だが。
今、ここにレオンはいない。
《不壊の盾》もない。
エルダーリッチの殲滅魔法を防ぐ術が、自分たちには存在しない。
「攻撃が届いても……。」
エリーが震える声で呟く。
「その前に、私たちが倒されたら……。」
「そういうことじゃ。」
ルシアは静かに頷く。
「力を合わせる。」
「仲間を信じる。」
冷たい風が再び吹き抜け、本の頁がかすかに揺れた。
「それ自体は間違っておらぬ。」
「じゃが。」
「信じるだけでは、魔法は防げぬ。」
誰も言葉を返せなかった。
長い沈黙。
ノエルもまた、静かにルシアの横顔を見つめている。
やがて。
ルシアはゆっくりと本へ手を置いた。
「じゃが。」
その一言に、一同が顔を上げる。
深紅の瞳が、真っ直ぐ全員を見つめた。
「唯一。」
「勝ち筋がある。」
張り詰めていた空気が変わる。
ルシアは静かに本を開いた。
乾いた紙の擦れる音が、中庭へ響く。
古びた羊皮紙には、幾重にも書き込みが残されていた。
「百五十年。」
ルシアが静かに告げる。
「これは、やつを討つために積み重ねられてきた記録じゃ。」
一同の視線が、古びた本へ集まる。
ルシアはゆっくりと顔を上げた。
その視線は、エリーへ向けられていた。
「切り札は。」
冷たい風が白銀の髪を優しく揺らす。
「重力魔法じゃ。」




