第五十一話 北への旅路
アリアの別邸へ戻る頃には、春の柔らかな陽射しが庭園へ降り注いでいた。
瑞々しい新緑が風に揺れ、色とりどりの花々の間を、小鳥たちが楽しそうに飛び交っている。
穏やかな風が頬を撫で、庭園にはゆったりとした時間が流れていた。
◇
別邸の執務室。
アリアは、旅の間に届いていた書簡へ静かに目を通していた。
各地の貴族から届いた挨拶状や招待状。
公爵家へ寄せられた報告。
公爵令嬢として、目を通しておくべきものばかりだった。
リーナは封を開けた書簡を順に机へ並べ、リズは読み終えたものを丁寧にまとめている。
少し離れた応接用のソファでは、セシリアが静かに本を読んでいた。
一方、シルフィは窓辺に立ち、物珍しそうに庭園を眺めている。
「すごいね。」
「こんなにたくさんの花、綺麗に並んでる。」
そんな声が聞こえた、その時だった。
コンコン。
「どうぞ。」
扉が開き、カインとエリーが姿を現した。
「お帰りなさい。」
アリアは柔らかな笑みを浮かべる。
「ギルドへの報告は終わった?」
「うん。」
カインは頷いた。
「でも、それだけじゃなくて。」
「みんなに相談したいことがあるんだ。」
その真剣な表情を見て、アリアも静かに書簡を閉じた。
「何があったの?」
カインは一枚の羊皮紙を机へ置く。
「これ。」
アリアが手に取り、静かに目を通す。
隣からセシリアも覗き込んだ。
「七星……?」
アリアが思わず呟く。
依頼人の欄には、確かに記されていた。
『七星 ルシア・ノクティス』
「七星からの指名依頼……。」
セシリアも驚きを隠せない。
エリーが苦笑する。
「ギルドの支部長さんも、すごく驚いてたよ。」
「七星からの指名依頼なんて、聞いたことがないって。」
「そう……。」
アリアはもう一度、依頼書へ視線を落とした。
「確かに、七星が冒険者へ直接依頼を出すなんて、あるのかしら。」
そう言って、依頼内容へ目を移す。
『刻限が迫っている故、至急ルクシオン領へ来られたし。』
書かれているのは、それだけだった。
「依頼内容は……これだけ?」
「うん。」
「詳しいことは何も書かれてなかった。」
部屋へ静かな空気が流れる。
セシリアが小さく口を開いた。
「ルクシオン……。」
「北の大陸ですよね。」
アリアは静かに頷く。
「ええ。」
「ルクシオンは、かつてルナヴェール王国だった土地の南部に残る領地よ。」
カインが顔を上げる。
「ルナヴェール王国?」
「百年以上前、エルダーリッチによって滅ぼされたと伝えられている国よ。」
アリアは静かな口調で続けた。
「かつての王国領で、今も人が暮らしているのは南部に残るルクシオン領だけ。」
「そうなんだ……。」
その時、セシリアが何かを思い出したように口を開いた。
「確か……。」
「噂では、今のルクシオン領はヴァンパイアが治めていると聞いたことがあります。」
「ヴァンパイア?」
カインが思わず聞き返す。
セシリアは小さく頷いた。
「はい。ただ、私も詳しいことまでは知りません。」
カインは再び依頼書へ視線を落とした。
エルダーリッチによって滅ぼされた王国。
その地に残された領地を治める、ヴァンパイア。
依頼書に記された地名が、先ほどまでとは少し違って見えた。
シルフィも興味深そうに依頼書を覗き込む。
「北の大陸……。」
その新緑の瞳が、僅かに輝いた。
「じゃあ。」
「どうやって行けばいいの?」
カインの問いに、アリアが答える。
「エヴァンス湖を渡って、まずはヴァイスシルト公爵領へ向かうことになるわ。」
一度、言葉を区切る。
「北の大陸へ向かう交易船は、そこから出ているはずよ。」
「ヴァイスシルト……。」
カインは小さく呟く。
「それ以上のことは、現地へ行かなければ分からないわね。」
再び、依頼書へ視線が集まる。
セシリアが小さく呟いた。
「刻限が迫っている……。」
「何のことでしょう。」
誰も答えられない。
部屋は静まり返った。
やがて、カインが静かに口を開く。
「考えても、答えは出ない。」
一呼吸置く。
「だったら、直接会って聞いてみるよ。」
そして、カインは皆を見渡した。
「みんなは、どうする?」
アリアは静かに頷いた。
「私は行くわ。」
依頼書へ視線を落とす。
「七星から、竜を倒した私たちへの指名依頼。」
「しかも、刻限が迫っているとまで書かれている。」
その瞳が真剣なものへ変わった。
「何も知らないまま、放っておくわけにはいかないもの。」
エリーも大きく頷く。
「うん。」
「もちろん私も行くよ。」
カインが笑う。
「エリーは最初から一緒だろ。」
「それでも言いたかったの!」
エリーは少し頬を膨らませる。
「私は、お姉ちゃんなんだから。」
「はいはい。」
「もう!」
そんな二人を見て、セシリアが小さく微笑んだ。
そして、静かに頷く。
「私も参ります。」
「ドラゴンゾンビとは、私も一緒に戦いました。」
セシリアは依頼書へ視線を向ける。
「この依頼が何を意味するのか、私も確かめたいです。」
カインは頷いた。
「うん。」
その時。
「私も行く!」
シルフィが元気よく手を挙げた。
全員の視線が集まる。
「シルフィ?」
「だって。」
シルフィはにこりと笑う。
「私も、もうみんなの仲間でしょ?」
一瞬、静かな間が流れた。
やがて、カインも笑顔になる。
「ああ。」
「もちろん。」
「やった!」
シルフィは嬉しそうに両手を上げた。
アリアはそんな皆を見渡し、小さく微笑む。
「決まりね。」
そして、リーナとリズへ視線を向けた。
「二人とも。」
「お願いできる?」
リーナが一歩前へ出る。
「かしこまりました。」
「旅の準備を進めます。」
続いて、リズも軽く一礼する。
「私は、ヴァイスシルト行きの定期船と、北の大陸へ向かう交易船を確認して参ります。」
「お願い。」
「刻限が迫っている以上、できるだけ早く出発したいわ。」
「お任せください。」
二人は揃って一礼し、執務室を後にした。
カインはもう一度、手元の依頼書へ目を落とす。
七星から届いた、謎の指名依頼。
その先に何が待っているのかは、まだ誰にも分からない。
けれど、行かなければ何も始まらない。
カインは依頼書を静かに畳んだ。
「よし。」
「準備しよう。」
次に目指す場所は――。
北の大陸。
雪の大地。
ルクシオン領。




