第四十六話 黒き使者
静寂を破ったのは、小さな足音だった。
コツ……。
コツ……。
夜の森に、不思議なほど静かな音が響く。
レオンが鋭く振り返った。
「誰だ。」
全員の視線が、一斉に音のした方へ向く。
大樹の陰から、一人の男がゆっくりと姿を現した。
黒い外套を纏い、肩まで伸びた黒い髪。
顔の半分を覆う仮面。
その奥から覗く黒い瞳は、傷ついたヴァルガではなく、仲間たちに支えられる黒髪の少年だけを感情の読めない眼差しで見つめていた。
男は小さく目を細める。
「……カインか。」
その一言に、その場の空気が凍り付く。
エリーがカインを庇うように一歩前へ出た。
「あなた……誰?」
レオンも静かに剣を構える。
「なぜ、その名を知っている。」
男は問いには答えず、ただ小さく呟いた。
「……なるほど。」
「アトロポスが感じた違和感。その正体は、お前か。」
その言葉の意味を理解できる者はいない。
男はカインから視線を外すと、静かにヴァルガの前まで歩み寄った。
片膝をついたヴァルガが、ゆっくりと顔を上げる。
見覚えのない男だった。
それでも、その姿を見た瞬間、ヴァルガには男が何者なのか察しがついた。
男は何も名乗らない。
ただ、静かにヴァルガを見下ろしていた。
「……まだ、ここで終わる時ではない。」
ヴァルガは静かに目を閉じた。
抵抗することも、問い返すこともなかった。
次の瞬間、二人の周囲の空間がゆっくりと歪み始める。
「待て!」
レオンが踏み込む。
しかし、一歩遅かった。
二人の姿が歪んだ空間へ溶けるように消えていく。
あとには、静寂だけが残った。
◇
ゼフィロスは静かに一歩前へ出た。
疲弊した身体を仲間に支えられながらも、その眼差しは少しも揺るがない。
「まだ終わってはいない。」
「黒装束を捕らえろ。一人も逃がすな。」
「はっ!」
エルフたちが一斉に駆け出す。
だが、黒装束たちは誰一人として逃げようとはしなかった。
互いに顔を見合わせ、静かに口を開く。
「――すべては、神の御心のままに。」
ガリッ。
次の瞬間。
「ぐっ……!」
一人の黒装束が苦しげに喉元を押さえ、その場に崩れ落ちた。
「なっ……?」
続いて、別の男が身体を折るようにして倒れる。
「がっ……!」
一人。
また一人。
黒装束たちが次々と崩れ落ちていく。
レオンが駆け寄り、その一人を抱き起こした。
「まさか……毒か?」
男の口元へ視線を向ける。
「……口の中に、毒を仕込んでいたのか。」
「まだ間に合うかもしれません!」
セシリアが慌てて駆け寄り、ロッドを掲げる。
柔らかな聖光が、倒れた黒装束たちを包み込んだ。
しかし、誰一人として反応はない。
セシリアはゆっくりと首を横へ振った。
「……駄目です。もう、間に合いません。」
森に重い静寂が流れる。
ゼフィロスは倒れた黒装束たちを見つめ、小さく息を吐いた。
「……そこまでして、何を隠している。」
◇
それから、負傷した者たちの手当てが始まり、倒れた黒装束たちも一か所へ集められた。
戦いの跡が残る森にも、ようやく静けさが戻り始めていた。
ゼフィロスはカインたちの前まで歩み寄ると、深く頭を下げた。
「皆、礼を言う。」
「お前たちが来なければ、この森は無事では済まなかっただろう。」
その隣で、シルフィも深く頭を下げる。
肩まで伸びた金色の髪がさらりと揺れ、新緑の瞳にはうっすらと涙が浮かんでいた。
「ありがとう……。」
「本当に、ありがとう。」
木々の隙間から、淡い月明かりが差し込んでいた。
迷いの森は守られた。
しかし、レオンだけは鋭い眼差しで倒れた黒装束たちを見つめていた。




