第三十七話 迷いの森の使者
――夜明け前。
北の遺跡近くの野営地。
春とはいえ、日の昇る前の空気はまだ冷たい。
吐く息が、朝靄の中へ淡く溶けていく。
空が白み始めるよりも早く、カインたちは出発の準備を終えていた。
ドラゴンゾンビという脅威は去った。
しかし。
アリアは馬車の窓から、静かに流れる景色を見つめていた。
(もし、あの竜が公国へ向かっていたら……。)
想像するだけで、背筋が冷たくなる。
アンデッド兵の襲撃とは比べものにならない。
街は焼かれ、城壁は砕かれ、数え切れない命が失われていただろう。
アリアは静かに目を閉じる。
(もし、誰か一人でも欠けていたら……。)
それ以上を考えるのをやめ、小さく息を吐く。
やがて、東の空が白み始める。
山の稜線から朝日がゆっくりと顔を覗かせ、朝露を宿した若葉が淡い光を受けて輝いている。
馬車は春の朝日に照らされた街道を、静かに進んでいった。
◇
穏やかな朝。
鳥たちのさえずりが響き、昨日まで命を懸けた戦いをしていたとは思えないほど静かな時間が流れていた。
「ふぁ……。」
カインが大きな欠伸をする。
アリアが振り返った。
「カイン、眠いの?」
「え?」
カインは少し照れくさそうに笑う。
「昨日は、少し寝付けなくて。」
それを聞いたエリーが首を傾げる。
「珍しいね。いつもなら、すぐ寝ちゃうのに。」
その言葉に、アリアとセシリアが同時に反応した。
セシリアがおずおずと尋ねる。
「えっと……エリーさん?」
「どうして、そんなことをご存じなんですか?」
「あっ……。」
エリーの笑顔が固まる。
(しまった……。)
「えっと、その……。」
「宿代の節約! 私たち、駆け出し冒険者だったし!」
「同じ部屋に泊まってるだけだから! ねっ、カイン!」
突然話を振られ、カインは目を丸くする。
「え?」
「ま、まあ……そんな感じかな。」
セシリアは耳まで真っ赤になった。
「カ、カインさん……。」
「未婚の男女が……同じ部屋で寝るなんて……。」
「え?」
カインは困ったように首を傾げる。
アリアも少し驚いた表情になる。
「二人って、ずっと同じ部屋だったの?」
「う、うん。」
エリーが少しだけ視線を逸らす。
「家でも、小さい頃はそうだったし。」
アリアは小さく微笑んだ。
「仲が良いのね。」
そう口にした。
それなのに、胸の奥がほんの少しだけざわついた。
(変なの……。)
レオンが思わず吹き出した。
「ははは! 兄妹みたいなものなんだろ?」
「兄妹じゃないよ!」
エリーが即座に否定する。
「義姉弟!」
「そこ、大事だから!」
「え?」
カインは首を傾げる。
「違いあるの?」
「ある!」
エリーは真っ赤になって叫ぶ。
その様子に、馬車の中は笑いに包まれた。
アリアも小さく笑っていたが、ふと何かを思いついたように口を開く。
「そういうことなら、エヴァンスにいる間はうちにいれば?」
「え?」
カインが目を丸くする。
アリアはにこりと微笑んだ。
「ちゃんと別々の部屋を用意するから。」
「……。」
エリーの頬が、ぴくりと動いた。
「いいの?」
「もちろん。部屋なら余ってるし。」
カインの表情が明るくなる。
「ありがとう!」
「本当に助かるよ。宿代も結構かかってたから。」
「ふふ。どういたしまして。」
アリアは満足そうに微笑む。
その隣で、エリーも笑顔を浮かべた。
「た、助かるわ……。」
ただ、その笑顔はほんの少しだけ引きつっていた。
セシリアはそんな三人を見つめながら、何とも言えない表情を浮かべている。
カインだけが、これで宿代が浮くと嬉しそうに笑っていた。
◇
馬車はその後も街道を走り続けた。
エヴァンスへ戻った頃には、すでに日も高く昇っていた。
カインたちはそのまま冒険者ギルドへ向かう。
扉を開くと、受付にいた職員たちが一斉に振り返った。
「カインさん!」
受付にいたサラが目を丸くする。
「もう戻られたのですか?」
その声を聞きつけ、支部長のクランツも奥から姿を現した。
「カイン。随分早かったな。それで……どうだった?」
思っていたよりも、ずっと早い帰還だった。
クランツの表情には、僅かな安堵が浮かんでいた。
しかし。
「実は……。」
カインは静かに話し始める。
北の遺跡で起きた異変。
ドラゴンゾンビとの遭遇。
そして、その討伐まで。
話が進むにつれ、クランツの顔色が変わっていく。
「……ドラゴンゾンビ……だと?」
クランツは言葉を失った。
周囲にいた職員たちからも、どよめきが起こる。
「そんな……。」
「まさか……。」
その時、フードを深く被っていたアリアが一歩前へ出る。
「私もその場にいたわ。」
静かにフードへ手を掛け、ゆっくりと外した。
さらりと流れる金色の髪。
気品ある佇まい。
クランツが目を見開いた。
「アリアーナ様!?」
その声に、ギルド内が静まり返る。
サラも息を呑んだ。
「まさか、ご一緒だったとは……。」
アリアは静かに頷く。
「カインの報告に間違いはないわ。」
「……承知いたしました。」
クランツの表情が引き締まる。
「すぐに正式な報告として処理いたします。」
その後、正式な報告手続きが進められた。
やがてサラが何かを思い出したように声を上げる。
「あっ!」
「そうでした!」
「カインさん。」
「今回のドラゴンゾンビ討伐。」
「それに、これまでの功績を合わせまして……。」
サラは書類へ目を落とす。
「カインさんとエリーさんの冒険者ランクについて――」
その瞬間。
――バァンッ!!
ギルドの扉が勢いよく開いた。
全員が振り返る。
そこに立っていたのは、エルフの少女だった。
衣服は泥にまみれ、ところどころ血が滲んでいる。
肩で荒く息をし、立っていることさえ辛そうだった。
「お願い……!」
少女はその場へ膝をつく。
「助けて……ください……!」
少女は震える声で訴えた。
「もう……時間がないんです……!」
ギルド中が静まり返る。
少女は涙をこらえながら叫んだ。
「迷いの森が……!」
「迷いの森が襲われています!」
悲痛な叫びが、静まり返ったギルドに響き渡った。




