第二十八話 目覚めし災厄
――北の遺跡。
深い地下。
かつてドワーフたちが鉱石を求め、幾千もの槌音を響かせた場所。
今では人の気配も消え、ただ静寂だけが支配していた。
暗闇の中、巨大な影が眠っている。
かつて大空を支配した存在。
強靭な鱗。
巨大な翼。
強大な力を持った竜。
しかし、その身体にはもう生命の輝きは存在しない。
ただ、死した巨躯だけが深い闇の中に横たわっていた。
その時。
空間が歪む。
何もなかった場所に、一人の男が現れた。
死を司る異能を持つ者。
その後ろには、仮面で顔の半分を隠した少年のような男――ラグエルが立っていた。
男は眠る竜を静かに見下ろすと、おもむろに両手を広げ、口の端を吊り上げる。
「《死者廻旋》」
瞬間。
赤黒い光が、死した竜の巨躯を包み込んだ。
不気味な光が脈打つように明滅する。
一度。
二度。
やがて、竜の身体がわずかに震えた。
空洞だった瞳の奥に、青白い光が灯る。
その姿を見上げながら、ヘルが告げる。
「目覚めよ……。」
「死を纏いし古き王よ。」
「再び、その翼を広げよ。」
「大地を踏み鳴らせ。」
「生ある者を――蹂躙せよ。」
低い唸り声が地下空間へ響いた。
かつて世界を震わせた咆哮。
それは今や、生者を拒む死の咆哮へと変わっていた。
ヘルは満足そうに、その姿を眺める。
「行け。」
「お前の役目は、生ある者たちへ死を届けることだ。」
◇
ヘルは、目覚めた竜をしばらく眺めていた。
やがて静かに踵を返す。
ラグエルも何も言わず、その後に続いた。
空間が静かに歪み、気付けば二人の姿はもうなかった。
地下には、目覚めた災厄だけが残されていた。
◇
少し前。
北の遺跡、その入口では、カインたちがついに目的地へ到着していた。
かつてドワーフたちが使用していた鉱山跡。
しかし、長い年月の中でその姿は変わっている。
崩れた岩壁。
錆びた採掘道具。
入口には、人の営みが存在していた痕跡だけが残されていた。
「……静かですね。」
セシリアが呟く。
その声が暗闇へ吸い込まれていく。
「何か感じる?」
アリアがカインを見る。
カインは静かに目を閉じ、意識を広げる。
暗闇の奥へ、感覚を静かに伸ばしていく。
しかし――。
「……今のところ、何も感じません。」
アリアは頷いた。
「慎重に進みましょう。何があるか分からないから。」
セシリアがロッドを掲げる。
「光よ。」
柔らかな光が灯った。
暗闇の中、五人の周囲だけが淡い光に包まれる。
足元や崩れかけた岩壁、錆びついた採掘道具が闇の中から浮かび上がる。
だが、光はその先までは届かない。
少し離れた先には、光さえ呑み込むような暗闇が広がっていた。
進めば、その闇も照らされる。
代わりに、さらにその先から新たな闇が現れる。
どこまで続いているのか。
その奥に何があるのか。
何も見えない。
五人は、その小さな光の中を慎重に進み始めた。
コツ。
コツ。
足音が、暗い遺跡の奥へ響いていく。
誰も口を開かない。
聞こえるのは、自分たちの足音と僅かな呼吸の音だけ。
歩くたび、目の前の闇だけがゆっくりと後ろへ退いていく。
まるで、五人を奥へ誘っているかのように。
◇
しばらく進んだ時だった。
カインの足が、ぴたりと止まった。
「……。」
「どうしたの?」
アリアが尋ねる。
返事はない。
カインの額に、僅かに汗が滲む。
突然、《存在感知》が何かを捉えた。
生者とは違う。
温もりがない。
冷たく、不気味な存在。
アンデッド。
それも――。
(……大きい。)
今まで感じたことがないほど巨大だった。
ドクン。
自分の鼓動が、やけに大きく聞こえる。
「……近い。」
カインが低く呟く。
「近くにいます。」
空気が変わった。
レオンが大剣へ手を掛け、アリアも静かに剣の柄を握る。
エリーの周囲には淡い魔力が集まり始め、セシリアはロッドを前へ掲げた。
淡い光が、暗い坑道を照らす。
だが、その先にあるのはただの闇。
「……何も見えません。」
レオンも周囲を見回す。
「姿がない……。」
静寂。
五人の呼吸だけが、静かな遺跡へ響いている。
(いる。)
カインは剣の柄を強く握った。
(確かにいる。)
(でも――どこだ?)
前。
光の先には、誰もいない。
右。
左。
何もいない。
背後。
そこにも、何もいない。
なのに、存在だけは消えない。
近い。
すぐ近くにいる。
その時。
――ゴゴ……。
「……?」
足の裏へ、僅かな振動が伝わった。
カインの目が大きく見開かれる。
巨大な反応が動いた。
違う。
前じゃない。
カインの視線が、ゆっくりと足元へ落ちる。
「――下だ!!」
叫んだ瞬間だった。
――ゴォォォォ――ッ!!
足元から凄まじい轟音が響き、床を突き破って赤黒い炎が噴き上がる。
「避けろ!!」
カインは咄嗟に横へ飛ぶ。
直後。
灼熱の炎が遺跡を貫いた。
岩石が弾け飛び、激しい爆風とともに土煙が一気に巻き上がる。
だが、それだけでは終わらない。
――ミシッ。
亀裂が床を走った。
「なっ……!」
――ドゴォォォン!!
凄まじい轟音とともに、床が崩れ落ちる。
五人の足元が消えた。
「うわっ!!」
カインの身体が宙へ投げ出される。
凄まじい落下感。
暗闇の底へ、身体が吸い込まれていく。
そして。
世界は白い土煙に包まれた。
◇
白い土煙の中。
「……っ。」
カインは、ゆっくりと目を開けた。
「……みんな!」
身体を起こし、周囲を見回す。
視界は悪く、土煙で何も見えない。
「私は大丈夫です!」
セシリアの声が返る。
続いて、土煙の向こうからレオンとアリアの声も聞こえた。
「こっちも平気!」
最後にエリーの声。
カインは小さく息を吐いた。
全員いる。
無事だ。
だが、その直後。
ゾクリ。
背筋を冷たいものが走った。
いる。
すぐ後ろに。
カインの呼吸が止まる。
ゆっくりと振り返る。
白い土煙の向こう。
最初に見えたのは、二つの光だった。
青白く揺らめく光。
それが瞳だと気付く。
土煙がゆっくりと晴れていく。
巨大な脚。
朽ちた鱗。
折り畳まれた巨大な翼。
そして。
見上げるほどの巨躯。
「……竜?」
カインの声が僅かに震えた。
かつて大空を支配した竜。
しかし、その身体にはもはや生命の気配など存在しない。
死を纏ったその存在が、青白く燃える瞳で静かにカインたちを見下ろしていた。




