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七星を廻る物語  作者: 豆柴の旅々
第三章 死竜

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第二十七話 運命を操る者たち

 ――トライデン公国の東。


 アルカディア神聖国。


 その広大な領土の北部には、アルカディア教が治める自治領が存在していた。


 セントリア大陸最大の宗教。


 その信徒は、数十万とも言われる。


 アルカディア教。


 自治領の中心には、大地から天へ伸びるように、巨大な白亜の塔が聳え立っていた。


 アルカディア教の総本山であり、大陸各地の信徒が聖地と仰ぐ場所。


 その最上階。


 教皇室。


 普段なら厳かな光に満たされているはずのその部屋は、今夜に限って異様な静けさに包まれていた。


 照明は、わずかな蝋燭のみ。


 揺れる炎が壁に不気味な影を映し出している。


 薄暗い室内では、そこにいる者の表情すら、はっきりとは読み取れない。


 ただ一人、恰幅の良い老人だけが、額に浮かぶ汗を何度も拭いながら深く頭を下げていた。


「アトロポス様……申し訳ございません。」


「計画は……失敗したようです。王子も王女も、無事なようです……。」


 沈黙。


 返答はない。


 だが、老人にとって、その沈黙こそが何よりも恐ろしかった。


 言葉を発することすら許されないような圧迫感。


 ただそこに存在しているだけで、空気が重く沈む。


 老人の背中を冷たい汗が流れ落ちた。


「そ、それで……我々はいかがすれば……。」


 しばらくして、正面に座る男がゆっくりと顔を上げる。


 白磁のような肌。


 闇のように長い黒髪。


 閉じられていた瞳が開かれる。


 そこに宿っていたのは、温度を感じさせない赤い瞳。


「……運命の流れが変わったか。」


 静かな声が響く。


 部屋の奥から、退屈そうな笑い声が漏れた。


「まったく。これだけのアンデッドを用意するのに、どれだけ時間を使ったと思っているんだ。」


 椅子へ深く腰掛けていた男が立ち上がる。


 短い赤髪。


 赤く鋭い瞳。


 口元には、人を嘲るような笑みが浮かんでいた。


「人間同士を争わせるなんて、面倒なことをする必要はない。最初から直接潰せばよかったんだ。」


 アトロポスは静かに男を見た。


「……ヘル。その短気な性格は、変わらぬな。」


 ヘルは肩をすくめて笑う。


「効率がいいって言ってくれ。」


 アトロポスは小さく頷いた。


「……運命は変わる。ならば、その流れに合わせるだけだ。」


 ヘルは満足そうに笑う。


「なら決まりだ。」


 そして部屋の中央へ視線を向ける。


「ラグエル。頼めるか?」


 いつからそこにいたのか。


 誰も気付かなかった。


 肩まで伸びた黒い髪。


 顔の半分を覆う仮面。


 その奥から覗く黒い瞳が、静かにヘルへ向けられる。


「……ああ。」


 短い返答。


 それだけだった。


 教皇は思わず息を呑む。


(……いつから、そこにいた。)


 ヘルは満足そうに頷いた。


「なら、行くぞ。」


 ラグエルは何も言わず、その言葉に従うように立ち上がる。


 そのまま二人は、静かに教皇室を後にした。


「それより……。」


 アトロポスが教皇へ視線を向ける。


「最近、素材の集まりが悪いようだな。」


 その瞬間。


 教皇の顔から血の気が引いた。


「も、申し訳ございません! 最近……我々を嗅ぎ回っている者たちがおりまして……。」


 アトロポスは興味なさそうに目を細める。


「構わない。だが、強き素材を集めよ。」


「誓約の時は迫っている。」


「は、はい!」


 教皇は深く頭を下げた。


 誰も知らない。


 人々が祈りを捧げる場所の奥で。


 神の名を借りた狂気が、静かに蠢いていることを。


◇


 一方。


 エヴァンスを出発して二日目。


 北の遺跡まで、あとわずか。


 日が暮れ始めたため、カインたちは遺跡近くの森で野営の準備をしていた。


 夕暮れの光が木々の隙間から差し込む。


 カインは慣れた手つきで薪を組み、火打石で火花を散らす。


 その傍らでは、リーナとリズが夕食の準備を進めていた。


 一人が野菜を切り、もう一人が干し肉を食べやすい大きさに切り分けていく。


 今夜は、それらを煮込んだ簡単なスープを作るらしい。


 やがて小さな炎が揺らめき始め、その様子をアリアとセシリアが興味深そうに見つめていた。


「……火魔法で起こすと思っていたわ。」


 アリアが呟く。


「え?」


「だって、魔法があるなら、その方が簡単じゃない?」


 カインは少し笑った。


「確かにそうだけど、こういうこともできないと旅では困るって、じいちゃんに教わったんだ。」


「生きるための技術だって。」


 セシリアも炎を見つめながら頷く。


「なるほど……こうやって火を起こすのですね。」


「そうだよ。」


 やがて夕食の時間になる。


 焚き火の上では、リーナとリズが作ったスープから湯気が立ち上っていた。


 それに硬い保存用のパンを添え、皆で火を囲む。


 アリアはスープを一口飲む。


「……美味しい。」


 今度はセシリアがパンを手に取る。


「これは何ですか?」


「パンです。」


「……パン?」


 セシリアは不思議そうな表情で一口かじった。


「……硬い。」


 一瞬。


 静寂が流れる。


 そして。


「ふふっ。」


「ははっ!」


 自然と笑い声が広がった。


「ご、ごめんなさい……。」


 セシリアは頬を赤く染める。


「私、こんなに硬いパンを見たことがなくて……。」


 張り詰めていた空気が、笑い声でほどけていく。


◇


 夜。


 焚き火の揺らめきの中、五人は翌日の遺跡探索について確認していた。


 レオンが皆を見渡し、静かに口を開く。


「北の遺跡は、元々ドワーフが採掘していた鉱山跡だ。古い坑道を利用した遺跡らしいから、内部構造は複雑になっている可能性がある。」


 皆が静かに頷く。


 レオンはそのまま説明を続けた。


「だから明日は慎重に進む。役割は予定どおりだ。」


 レオンは焚き火越しに四人を見る。


「前衛はアリアとカイン。中衛は俺。後衛はエリーとセシリア。」


 再び、皆が頷いた。


「何が待っているか分からない。油断はしないでくれ。」


 静かな夜。


 星空の下。


 五人はまだ知らなかった。


 その遺跡の奥深く。


 一つの死が、静かに目覚めようとしていることを。


 かつて大空を支配した存在が。


 再び、その翼を広げようとしていることを。


 そして――


 運命を操ろうとする者の糸は、静かに彼らへ絡み始めていた。

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